沢の螢

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冬眠?
2002年11月15日(金)

私は、夏より冬が好き。
特に11月の後半と、一月の中頃から2月の終わりくらいまでの、静謐な頃が好きだ。年末年始は嫌いなので、なるべくその時期は、静かにしている。
この時期、私は、うつ状態になり、「冬眠」と称して、しばしば、怠ける口実にする。
昨年もそんな風に切り抜けた。
今年もそろそろねぐらにこもる準備をしようか。


チャリティーコンサート
2002年11月14日(木)

パソコンの中は新品同様になり、新しいホームページソフトも入れ、一太郎も、ウイルスバスターも入れて、とりあえず、パソコン生活を再開できるようにはなったけど、なんだか、気乗りのしない気分。
いじっているうちに、時間を忘れ、午後からの「文学講座」を欠席してしまった。
大河内先生の話は、テキストにあるような話ではないので、面白い。
残念なことをした。

夜。赤坂アクトで、チャリティーコンサートに出かける。
カンボジアの子供たちに、学校をつくる運動をしている団体があり、学生時代の友人が、関わっているので、顔を出した。
津軽三味線の新田親子、海援隊、リリーとヨウジ、上条恒彦などのステージ、それにチャリティーオークション、終わったら9時半を過ぎていた。


パソコンダウン
2002年11月13日(水)

昨夜、新しく購入したホームページビルダーを、インストールした。
うまく終わって、再起動するところで、パソコンが動かなくなってしまった。
エラーに対処するあらゆることをやってみたが、起動しない。
IBMは、機械が悪いと良い、パソコンメーカーは、ソフトのせいだと良い、結局、ソフトを買った店の人が、いろいろやってくれたが、OSの再インストールしかないという。
6月にダウンしたときは、日立が、マザーボードとハードディスクを交換して、それでもダメだったら、返金するという話だった。
しかし、今回は、ソフトのせいだから、メーカーに責任はないと言って、認めず、結局、電気屋で、XPを買い、今までのMEと入れ替えることになった。
私は、朝から連句の会に行き、留守中に連れ合いが、それらをやってくれた。
帰ってくると、まだ作業の途中だった。
何度か失敗し、電気屋の人に電話をかけて助けてもらいながら、インストールは完了した。
しかし、インターネットをやるためには、LANをつなげて、家庭内ネットワークを設定しなければならず、これが一苦労だった。
明日早朝からゴルフにいく連れ合いが、気の毒なので、そこまでで一区切り。
今、連れ合いのパソコンから、パスワードで、自分の画面に切り替えて、ホームページなど、点検している。
WEB上に表示されているコンテンツや、ボードは、全部変わりないが、元になっているローカルのファイル、メール、アドレス帳、一太郎のファイルなどは、この半月ほど保存を怠っていたので、全部失われてしまった。
この日記も、書き込みは出来るが、バックアップしてないので、どういうことになるのか。
機械の便利さとはかなさ。
紙に書いたものなら、たとえ字が薄れ、紙がぼろぼろになっても残るのに、と、あらためて、ネットのむなしさを感じている。




ネットの交友
2002年11月11日(月)

ホームページを、いまのアドレスに移してからひと月近く。
少しずつ常連の訪問者が増え、しかも、みな、いい人たちである。
ほかのリンク先から、ちょっと覗いてみるだけのひともいるが、掲示板に定期的に書き込んでくれる人が、片手の指の数くらいになった。
顔は見えなくても、その人たちのホームページを見れば、ある程度、人となりは分かる。
感性の共通するものがあり、何か響きあうものが感じられれば、ネットでのよい友達になれると思う。
性別も、年齢も関係ない。
そのようなところには、私の方からも出かけていって、掲示板に書き込んでくる。
そして、一言でも、返事があったら嬉しい。
ネットで、一番空しいのは、自分の発言なり、書いたことを、無視されることであろう。
だから、私も、戴いた記事には、なるべく早く、返事を書く。
ネットの交友は、それが命といってよい。
もちろん、内容によっては、意識的に無視するとか、削除したいようなものもあるかも知れないが、私のばあい、いままで、そういうものは、ほとんどなかった。
明らかにホームページと関係ないような宣伝、商売上の広告めいた記事があった時に、断りを入れて削除させてもらったことが、2度ほどあっただけである。
有り難いと思っている。
アクセス数の多いことより、いいお客さんに、ちゃんと見てもらって、実のあることを書き込んでもらう方が、私には、価値がある。
私は、参加型のボードも持っているので、そこには、実生活で知っている人も入っているが、それ以外は、ネット上の人たちである。
礼儀正しく、ルールを守って付き合っていれば、ネットでも、いい人間関係(というのかどうか分からないが)は作れると思う。

今日は、天気がよいので、午後から連れ合いと、散歩した。
そば屋で遅い昼食をし、電気屋に行った。
ホームページビルダーの新しい製品が出たので、それを買った。
私は、ホームページを、勝手に検索されることは、好まないので、いま表示されているソフトのページを、ビルダーに移すことにした。
これは、HTMLが読み込めるので、はじめから検索忌避の設定が出来る。
帰ってきて、説明書を読むと、いままでのソフトより、素材も仕掛けも、ずっと幅広いが、その分、難しそうである。
いまのページは、そのまま置いて、片方でゆっくり作り、ある日、突然ほかの場所にアップロードするつもりだ。
もちろん、常連の人たちには、メールで知らせ、また、少しずつ開拓していく。
今年いっぱいに実行できたら、幸せだと思う。
いま、私のホームページは、コンテンツが、非表示になっている。
前から見ていた人は、ページによっては、お気に入りなどに入れておいてくれていれば、見ることが出来る。
ネットというのは、原則広く公開するところに意味があるのだから、私の場合は、特別なのかも知れない。

今日は、ちょっと嬉しいことがあった。
ずっと短歌が出来ずに、結社誌に載せる2ヶ月に10首の短歌が送れなかった。
今日、ふと、浮かんだことを文字にしてみたら、続けて、テーマの同じ歌が、つぎつぎと浮かび、6首を送ることが出来た。
締め切りは、10日だが、何とか入れてもらえるのではないかと期待している。
歌のテーマは、いずれも「拉致」であった。



驚き桃の木
2002年11月09日(土)

私が如何にメカに弱いかと言うことを露呈するようなことがあった。
昨日、何気なくgoogleを開けて、自分のネット上の名前を打ち込んで検索してみたら、なんと、ぞろぞろ表示されるではないか。
最近こちらに移したばかりのホームページのアドレスは、もとより、古い方のページも表示され、まさかと思っていたこの日記まで、出てきたのには、ビックリした。
ネット上では、私は本名を使っていないが、実在の私をそれと、特定できる人も、何人かいる。
私は、掲示板を使って、ネット連句をやっているので、そこに参加している人は、みな顔見知りである。
以前は、その人たちに、ホームページの存在も教えてあったが、あまり広げたくないので、連句部門だけ切り離し、そのほかの部分は、その人たちにも非公開にしたのである。
特に、日記は、知っている人が見ていることを意識すると、自由に書けなくなるので、わざわざ有料で日記ツールを借り、非公開の設定にしていたのである。
ところが、日記のサーバーそのものが、検索を許す設定になっていたので、検索エンジンにかかったというわけだった。
急いで、サーバーに問い合わせ、また、ネット上でアドバイスしてくれる人もいて、日記の表示だけは、とにかくストップした。
しかし、ホームページそのものが表示されていれば、そこから入った人は、日記が読めるわけである。
これを、検索から外す方法を検討したが、ホームページのソフトが、htmlを読み込めない設定になっているため、自力では無理なのである。
ソフトの方で、削除のタグを打ち込んでもらうしかないが、メールでの質問にまだ答えが出ない。
ネットでアドバイスしてくれた人が、「ソフトを変えた方がいい」と言ってくれたので、この際、ソフトを変えるべく、検討している。
いま使っているホームページソフトは、二年前、連れあいがホームページをはじめた時から使っていて、慣れており、私もいろいろ手伝ってもらえるので、同じもので作り始めた。
そして、今年の六月に、バージョンアップしたのである。
ただ、このソフトを使っていると、ディスクの具合がおかしくなることもたびたびあり、いつも、パソコンメーカーのせいにしてきたが、「これはソフトが悪いのかも知れないな」と、連れ合いが言い出し、ソフトももはや、旧型になってきたこともあって、考えていたところだった。
昨日、開店したばかりの大型電気店に行き、別のソフトの新型が値引きで、一万円ちょっとというのを、確かめてきた。
明日にでも、いつも行っている別の電気屋で、もうちょっと負けさせて、買ってこようと思う。
ホームページを検索エンジンに載せるかどうかは、作者の選択ではないか。
それを、問答無用で、載せてしまうのは、どういうわけなのだろう。
googleのページで調べたら、検索されたくない場合の手続きの仕方が書いてあったが、肝心の説明は、英語になってしまって、設定の仕方も、難しくできている。
とりあえず、日記だけは、ソースにMETAタグを打ち込んで、二十四時間以内に削除する手続きをし、今朝は、検索には出てこなかったが、ホームページは、そのままである。
私のページは、実在の私を知らない人に見てもらうべく、公開している。
少しずつ、いいお客さんが来るようになり、喜んでいる。
しかし、顔見知りの人に来られるのは、いやなのである。
検索する人は、知らない人より、顔見知りの方が多いと思う。
そんなところに、ずらずらと、私の名前が、出てくるのは、まるで、裸にされているようで、不愉快なのである。
私が、ネットの仕組みが分からなかったからと言えば、それに違いないが、たとえば日記の貸し主は、はじめにそれを説明するべきではないだろうか。
私の日記は、たいした内容はないから、万一、知った人が見ても、それを実際の出来事や、人と結びつけて詮索する人も、あまりいないとは思う。
でも、作家の日記と違って、市井の個人の日記は、デリケートなものである。
読んで欲しいが、ある人には読まれたくないということもある。
そんなものを書くなという考えもあるかも知れないが、公序良俗に反しない限り、表現は自由であろう。
そして、これを生業としているわけでないから、検索拒否の自由もあるはずである。
自分の無知もさることながら、腹の立つ話である。


冬紅葉
2002年11月08日(金)

私の書斎の小さな窓辺には、楓の木があって、今頃は、紅葉が美しい。
今年の年賀状には、この写真を使った。
そろそろ、年賀状を考える時期、今年の紅葉か、門の傍の山茶花にするか、迷っている。

7月までいたサークルのNさんから、会報が来た。
サークルの中で、一番若い男性。
まだ大学院に行っている学者の卵である。
私がやめてからも、サークルの会報を送ってくれる。
理由の明らかでないまま、私がやめたことに、彼なりに心を痛めてくれているのが分かる。
いまの若者には珍しく、ケータイも、メールも持たない。
実家が、インターネットの環境にないからと言っているが、彼自身が、こういうものは、好きでないのである。
学校の研究室には、共有のパソコンがあって、必要なことはできるらしいが、個人のものは、持つつもりはないらしい。
いつも、きちんとした自筆で、手紙をくれる。
会報を送ってくれるのは、彼の意志だが、せめてものお礼に、記念切手を10枚ほど送り、「ついでの時で結構ですから」と言ってある。
サークルを辞めるについては、彼にも、本当のことは言わなかった。
若い彼に、大人の込み入った人間関係を、あれこれ言いたくなかったし、彼を含め、サークルの大部分の人には、関係ないことだったからである。
でも、何かと心配してくれる彼には、手紙の返信の際に、それとなく、理由を伝えた。
もちろん、関係者の名前は出さないし、一方的に誰かを非難するようなことも書いてはいない。
彼には、いまのサークルでの立場があり、これからも、そこにいる人なので、それは、大事にしたいと思った。
だから、非常に抽象的な、比喩的な書き方になってしまうが、そうした遣り取りの中で、彼なりに私の言いたいことは、分かったようだった。
そして、きょうの手紙の中で、私を傷つけぬよう配慮しながら、サークルと、私の退会に関わった人たちのことも、庇っているのが、よく分かった。
私のいなくなった後、会員たちの中で、どのように話されているか、誰にも訊いたことはないが、関係者たちは、自分たちのせいだと思いたくないが為に、ほかのことに原因をすり替えているらしいことが、彼の、言葉尻から、感ずることができた。
彼にしてみれば、サークルの中で、育ててもらったという気持ちがある。
だから、私の言うことを半ば理解しながらも、一生懸命、サークルと関係者を、弁護しているのである。
彼の優しさ、人への配慮は、よく分かるし、そんなことに、気を煩わせて済まないと思った。
これからは、もう、この話題は、こちらからはもとより、彼の手紙に触れてあったとしても、聞き流すことにしようと、あらためて思った。


訃報
2002年11月06日(水)

連れあいの周辺や、私の友人にも、この数年訃報が多い。
50代、60代での死は、自然の寿命を残してのことだけに、ただただいたましい。
きのう、連れ合いに来た訃報は、職場の後輩だった人で、癌を患って3年の闘病の末の死だった。
半月ほど前、本人から電話があり、「また入院ですよ」とのこと。
もう何回も入退院を繰り返して、癌は進んでいるが、小康状態もあって、声は元気なので、「じゃ、退院したら、会おうよ」と言うと、「帰ったら連絡しますよ」と答え、そのままになっていたのだった。
「こちらから、もう一度電話してみればよかったな」と、連れ合いは悔やんでいる。
後には奥さんが残された。
子どもがいなかったので、夫婦仲良く、どこへ行くのも一緒だったという。
私たちがロンドンにいた時、やはりヨーロッパ駐在だったその人が、一度訪ねてきて、私も会っている。
健康そのもののように、恰幅のいい人だったが、癌に命を奪われたのである。
最近、病院を訪れた人の話によると、あまりにも痩せて、痛々しいほどで、本人も、あまり人に会いたがらなかったそうだ。
連れ合いも、この1年ばかりは、電話での話にとどまっていたらしい。
声は、いつも元気で、思わぬ長電話になることもあったようだ。
明日、通夜である。合掌。



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