沢の螢

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君死に給ふことなかれ
2003年03月22日(土)

先日テレビで、リバイバルのドラマ「おしん」を見ていたら、山中に隠れ住む脱走兵が、おしんに、「君死にたまふことなかれ」を、暗唱して聞かせる場面があった。
与謝野晶子の詩。
日露戦争に従軍した弟に宛てて詠んだものである。

旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて   与謝野晶子

あゝをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ、
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。

以上は私の心覚えなので、原詩とは違うところがあるかも知れぬ。
この詩は少女時代に読み、暗唱したので、いまでも、この冒頭は、口から出てくる。
当時は、いまとは比較にならないくらい言論が抑圧されていた時代、しかも女がこのように、明瞭な反戦とも言えることばを発することなど、思いもよらないことだったと想像する。
ことに驚くのは

すめらみことは、争ひに
おほみづからは出でまさね、
かたみに人の血を流し
獣の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思されむ。

とある一節である。
天皇は、自分からは戦いに赴かないのだから、妻を持ち、親の待つ弟に、あなたが戦争で死ぬことはない、といっているのである。
不敬罪などのあった時代、どんなに勇気のあることだったかと思う。
いまの日本は、言論の自由が保障されている。
もちろん、社会のあるところで、あるいは、何かと引き替えに、暗黙のうちに言論がセーブされているところがあるかも知れないが、表向きは、憲法で守られていることになっている。
私が、自分のホームページで、政府を批判し、戦争反対のキャンペーンを張ったとしても、特定個人の名誉を破るようなルール違反をしない限り、そのことで、罪に問われるようなことはないであろう。
しかし、国によっては、言論が自由でないどころか、正確な情報さえ与えられないところもあるのだ。
独裁者が強力な権力で、国を制圧しているところでは、言論の自由はないであろう。
しかし、それを排除し、その国民の自由を確保するためという「正義」の旗印を掲げて、よその国に攻撃を仕掛けることが、理にかなうのだろうか。
イギリスの首相の、国民に理解を求める率直かつ説得性あるスピーチに、半ば感動を覚えつつも、なおかつ私は、イラクの人たちを戦火にさらすことは、どうしても賛成できないのである。

ネット上で知っている、関係サイトに、常時アクセスして、イラク関係の情報は得ている。
若い人たちのデモ参加も多い。
腰痛肩こりも、大分良くなった。
意思表示の、実際行動に参加したい気持ちにかられながら、ニュースを見ている。


戦争の行方
2003年03月20日(木)

ブッシュが警告した時間が過ぎて、45分経ったいま、テレビを付けたままで、これを書いている。
砂漠の砂嵐の中で、待機しているアメリカ軍、若い兵士が「待たされるのは、もうイヤだ、早く決着を付けて、妻と子の元に帰りたい」と言っていた。
彼の言う「決着」は、アメリカが早々と、勝利して、戦争が終わることを意味する。
彼の言う「妻と子」は、銃口の先にあるイラクの兵士にもいるはずだが、そのことが、頭にあるかどうか。
あったとしても、それは考えずに、兵士としての任務を果たさねばならない。
それが、彼の仕事であり、生きて帰る道なのだから。
どちらが勝っても負けても、後々まで禍根を残す戦争。
なにひとつ、いいことはないのに、なぜ、戦争はなくならないのか。
日本が、アメリカの傘の下で、平和が守られてきた面は、否定できない。
しかし、間違いは間違いという勇気は、国として必要ではないのか。
アメリカのおごり、イラクの独裁者の傲慢、それらが、罪なき人たちを、戦火にさらすことになる。
そして、本当の犠牲者は、力のない貧しい人たちである。
イラク攻撃が、実行されないことを祈るばかりである。

このあと1時間後に、イラク攻撃が始まった。
腰痛で外に出られない私は、ホームページの中で、せっせと平和を訴えている。

夜、友人の携帯からメール。
アメリカ大使館前で集まって、抗議行動をしているという。
「気を付けて、私の分も」と返信。
関係サイトでは、連日集会やらデモを呼びかけている。

明日は夫の誕生日。
息子夫婦が来ることになっていたが、私が動けないので、また後日集まることにした。


Sさんへ
2003年03月19日(水)

現実の交流は途絶えてしまいましたが、私はあなたのホームページは、いつも見ています。
昨年秋3ヶ月ほど、更新も表示もされず、止まったままでしたね。
その中にいくつかある、参加型の俳句掲示板も、一部表示されませんでした。
どうしたのかな、サイトを閉じてしまったのかなと思っていたら、アドレスを変えていたことを知りました。
そして、今年になって、ホームページが一部復活しました。
でも、新しいコンテンツはなく、前の内容も、かなり削除してしまったようですね。
私が、あなたの目から閉ざすために、サイトごとアドレスを引っ越してしまったように、あなたも、私の目から、消してしまったのでしょうか。
いえ、それは、たぶん私の思い上がり、あなたはそんな思惑など全くなく、単純に、中身を変更しただけなのでしょう。
もしかしたら、本当に大事なものは、別の処に移し、いま、私の目に見えているのは、形骸だけかも知れませんね。
今年になって、あなたの本領発揮と思える掲示板の催しに、私は、新規参加者として、別名で参加していますが、お互い知っていて、知らぬ顔の、暗黙の了解の上でのことは、以前と同じです。
私たちは、以前そんなことを、お互いに愉しんでもいたのでした。
戦争とそれに繋がる悲惨を、何より憎み、反戦の行動にも、参加していたあなたは、いま、予断を許さない国際情勢の中で、毎日何らかの行動に参加しているはずです。
掲示板の催しを、ここしばらく閉じてしまっているのが、何よりの証ですね。
先日、出所はたぶんあなただろうと思われる、戦争に抗議するためのデモの呼びかけビラを、手にしました。
そして、その後、やはりそれに繋がる戦争反対の署名用紙が回ってきて、そこの一行に、私の名前を加えました。
肩を並べて、行動することは出来ませんが、あなたのいま考えていることは、わかるような気がします。
そのように、大きな目的のためには、それ程真摯になれるあなたが、1人の人間の気持ちに対しては、どうして、あれほど冷轍で無関心でいられるのか、不思議に思っています。
それが、活動家の論理というものなのでしょう。
デモの疲れで、体をこわさないように、祈っています。


「鶴は翔んでゆく」
2003年03月16日(日)

ふた昔も前に見た映画。
当時ソビエトだった時代のロシア映画である。
昭和30年代に一度公開され、その時は「戦争と貞操」という題だったらしい。
題名が悪かったのかどうか、あまりヒットせず、消えた。私も見ていない。
2度目の公開は、原作に添って、「鶴は翔んでいく」というタイトルで、六本木の「シネヴィヴァン」で、上映された。
その時初めて、この映画を見た。
戦争に行った夫の帰りを待つ女性が、夫の兄弟や、友人たちに、性的は誘惑を受けながら、必死に身を守り、経済的な苦労もしながら、銃後を生きていく。
そして、待っていた彼女にもたらされたのは夫の死だった。
映画のストーリイや、細かな描写は忘れてしまったが、女が銃後を生きていくつらさ、最後に、花束を持って夫の帰りを迎えに行った彼女が、その死を聞かされ、涙をこらえながら、帰ってきた他の女性の夫に向かって、花束を投げかけるシーンがわすれられない。
下界の喜び悲しみを俯瞰しながら、鶴が飛び立っていくところも、心に残った。
戦争は、多くの悲しみをもたらすが、同時に、こうした素晴らしい映画も生み出している。
それが、映像だけのことであるように、祈りたい。




女と戦争
2003年03月15日(土)

連句仲間の間で、今回のイラク攻撃について、反対の署名をホワイトハウスに送ろうという紙が回ってきた。
500人単位で、集まった段階で送るのだという。
戦争をしたがっているアメリカ、いろいろな思惑が絡んで、必ずしも同調できないヨーロッパ諸国、国連の足並みも乱れていて、難航している。
その中で、態度をはっきりさせ得ないでいる日本。
女たちは、どこであれ、戦争はイヤだと思っている。
誰も死なず、殺さずに、平和的解決は図れないものだろうか。
武器を持つことは出来ないし、何の力もないが、なお、女は、夫や息子や、子どもを戦場に送りたくないと思っているのである。
名前を書いて、ワシントンに送る。
それがどのくらい効果があるか知らない。
でも、何かをせずにいられない。
連句が終わって、飲み屋の席で、私は署名した。



女だけの連句会
2003年03月14日(金)

今日は、新宿近辺まで、連句の会へ。
この会は、実力ある女性だけ5人ほどで仕切っている会である。
月に一度、その都度会の当番が好みのゲストを呼び、いままでに私も4回ほど、声を掛けてもらった。
はじめは、躊躇するものがあったが、このごろは、呼ばれれば、何をおいても行くことにしている。
今日は、12人で2席。
女性だけであった。
そのせいかどうか、みな、リラックスして、本音で、句を出し、恋句は、かなり濃厚な付け句も出たりして、面白かった。
なめらかな指のエロスの惑乱に
というのは、私の句である。
結果は、採られなかったが、自分では満足な句なので、持って帰ってきた。
終わって、近くの喫茶店でお茶を飲み、さらにそのうちの4人が一杯飲み屋に流れ、話と酒を愉しんで散会。


近くて遠きは・・
2003年03月12日(水)

都心での連句会に参加。
11人が3席に分かれて、付け合いを愉しんだ。
この会には、昨年11月から参加させてもらっている。
夏に、それまで入っていた連句のグループをやめることになり、行き場を失っていたときに、教えてくれる人があって、入れてもらった。
この会もしっかりした宗匠が仕切っているので、少人数ながら、中身の濃い連句をやっていて、マジメである。
今日は男性1人だけ。
女性の中にいても、違和感のないタイプで、自然にとけ込める人なので、とても良い。
女性の多い会に、少数の男が加わるときは、あまり男のにおいを感じさせるタイプは、合わない。
魅力があれば、女性の中に波紋を呼び、力のある人は、周りにハーレムを作ろうとして、女性の輪を乱すからである。
女の中には、男が入ると、とたんに媚びを売る人が出てくるので、同性としては、不愉快きわまりない。
今日、連句が早めに終わって、飲みに行った席で、そんなことが話題になった。
飲み会のメンバーは、このごろ大体いつも一緒の顔ぶれ、それに、ちょっと先輩格の人が入って5人。
「連句もいいけど、終わってこれが愉しいのよねえ」と云いながら、無責任なおしゃべりを愉しんで散会。





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