沢の螢

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我が意の赴くままに
2003年04月22日(火)

「若い頃、特に子育てをしていた頃は、人に気を使って生きてきました。
でもある時から、そうしたことは、一切捨てました。
ひとには誠実に、迷惑を掛けないように心がけ、しかし、わが意の赴くままに生きる、それが、基本的な姿勢です。
群れることもキライです。
当然、軋轢はあるし、仲間はずれのようなことにも遭いますが、仕方ないと思っています。
あれもこれも得ることは出来ません。
今の私にとって、大事なものは、自己表現。
サイトを持って、それが幾らか叶うようになりました。
インターネットが出来て、救われています。
かなりのオタクを自認していますが、たぶん、車椅子になっても、パソコン一台あれば、世界は閉ざされずにいられると思います。
ほんの少しの、共感出来る友人と家族、それで充分です。」

偶然見かけたサイトに、「ことばを繋げて遊ぶコーナー」というページがあった。
掲示板で、誰かが書き込んだ内容から、ことばを引いてタイトルにし、あらたに繋げていくものである。
私の「詩詞れんれん」と発想が似ている。
そこで、前の人が書いた文章から、「我が意の赴くままに」を題にして、書いてみた。


涙のわけ
2003年04月19日(土)

連句の会に行く。
この会は、年配のしっかりした女性が運営している。
連句の知識と指導力は言うまでもないが、何よりも、参加する人に対して、いつも「よく来たわね」という気持ちが、隅々まで現れているので、そうした人柄を慕って、月一回の土曜日、あちこちから20人前後の人が集まってくる。
主催者の手作りのつまみやお菓子も魅力である。
午前11時から始まって、終わるのが4時から5時。
そのうちの10人くらいが、そのまま飲み屋に行き、酒肴を愉しみながら、話に花を咲かせる。
今日も、3つの席に分かれての連句のあと、早く終わった席の人たちは、三々五々帰ったが、アフター連句を愉しむ何人かが残って、最後の席が終わるのを待ち、いつもの飲み屋に流れた。
「天敵」がいなかったせいもあり、私も心を許して、会話を愉しんだ。
そのうち、「あなたは少しナイーブすぎて、傷つくのね」と言ってくれた人がいて、急に胸が詰まって、涙を流してしまったのであった。
私のストレートすぎる性格は、時に、あちこちで、疎外される原因になってしまうのだが、今日、そこにいたメンバーは、みな、そういうことを理解して、認めるべき処は認めてくれる人たちだった。
その優しさに触れたからである。
私が身を置いている世界は、連句という共同作品を作る文芸集団だから、生身の人間が、時にあらわになる。
組織の中で、抜きんでようとする人は、政治家顔負けの権謀術数を使って、力のある人に近づき、地場を固めていく。
周りには、お気に入りの人たちを置き、ひとつの派を構成していく。
私は、そういう人たちとは、いつも一線を画し、望まれれば、誰とでも一緒に連句をやる代わりに、誰の配下にもならないという態度を通してきた。
生きる糧を得るためなら、そうはいかないだろうが、風雅の道を究め、遊ぶことに、おのれ以外の何に媚びる必要があるかという、一匹狼の思想である。
ところが、人間社会、どこにいても、群れることがいいと思い、そこに安住したい人種がいる。
そういう人たちから見ると、私のような人間は可愛くないのである。
無視するには、ちょっとばかり存在感があり、目障りなのである。
インテリの、陰に籠もった意地悪ほど、イヤなものはないが、私は、そうした仕打ちを、時々受ける。
たとえば、あとからどうせわかるのに、情報を与えない。
みんなに声を掛けるような集まりから、意識的に外す。
その言い訳として、たとえば、私が老父母を抱えていて、なかなか予定が立たないであろうからと言うことを、配慮するかのごとき、言い方をするのである。
行けるか行けないかは、私が自分で判断して決めることで、人に考えてもらうことではないのだが、それを言い訳に使うのである。
何度かそうした仕打ちを受けた挙げ句、私は、はじめからその人たちとは行動を共にしないことにした。
最近も、ひとつ、連句関係の行事があり、いつも付き合っている人たちに、案内状が来たのに、私には来なかった。
主催者に直接電話すると、「知っていればお送りしたんですが、そちらのグループのどなたかに、まとめてご案内して戴くようお願いしてましたので・・」という返事であった。
つまり、まとめ役を頼まれた人が、誘うか誘わないかの選別をしていたのである。
問い合わせた人は、この次から私には直接知らせてくれる約束をして、「今回もどうぞお越しください」と言ってくれたので、行くことにした。
主催者側は、なるべく沢山の人に来て欲しいと言っているのに、まとめ役が、自分の好みで、人を差別しているのである。
そんな子供じみたことをして、何のトクがあるのだろう。
そうした諸々の思いが、酒席で、思わず涙となって現れたというわけだった。


耳の憂い
2003年04月14日(月)

4,5日前から左の耳に異常を感じていた。
痛いような痒いような違和感があり、耳の入り口が、少しふくらんでいるような気がする。
外出から帰ってきた時、タオルを湿らせて、耳の入り口を拭き取る習慣があるので、その時、少し痛めたかと思った。
耳かきや綿棒は、こわいので、使わないのである。
そのうちに直るかと思っていたが、だんだん痛くなるし、右側も少し痛むようになったので、週明けを待って、午前中に、耳鼻科に行った。
特に行きつけの医者もないので、電話帳で調べ、今後のために、なるべく行きやすく、わかりやすい場所にある医院を探して、自転車で訪ねていった。
駅近くの、上水べりにある医院。
耳鼻科小児科とある。
昼近くになっていたので、患者も多くはなく、あまり待たされずに診察となった。
「これは立派な外耳炎ですね」という。
耳の奥に薬を詰めてもらい、赤外線を当て、抗生物質と消炎剤をもらって、帰ってきた。
人の声が遠くに聞こえ、妙な感じである。
大分前に、一度突発性難聴にかかったことがあった。
その時は、ステロイドで治したが、薬の処方の指示が悪かったために、飲む量を間違え、大病に繋がる事態となった。
患者はシロウトなのに、医者も薬局も、不親切だったからである。
それ以後、薬には、とりわけ神経質である。
今は、医療も、患者のことを多少は考えるようになったが、18年前は、医療関係者主体の考え方だった。
そうした体質は、すぐには変わるものではない。
私は、医療というものに、根強い不信感がある。
医療ミスとしか思えないことで、体をこわされた経験からである。
今、健康でいられるのは、自分から、医療を断ち切った皮肉な結果と自負している。


行く春や
2003年04月13日(日)

歳時記の上では晩春。
五月に入れば夏になる。
実際の季感とは少しずれている。

行く春や干潟に靴の跡四つ

という俳句を作ったら、ある人が次のように直した。

行く春や靴跡続く遠干潟

「靴跡四つ」というのは、いろいろなことを想像させてしまって、思わせぶりだからと言うのである。
なるほどなと思う。
四つというのは、二人と言うことになる。
靴跡を残して入水心中した二人とまで言わなくとも、俳句には、あまりふさわしくない表現になるのだろうか。
その人は、詩や俳句を長いことたしなんでいて、自分のサイトで、初心者向けに、俳句レッスンを始めた。
昨年のちょうど今頃であった。
私は早速参加し、ネット上の俳号もつくって、「行く春、で二句作りなさい」という課題に取り組んだのである。
初めての俳句、懐かしく思い出す。
その後そのレッスンは、参加者が増えたので、句会に代わり、毎回テーマを変えて、句を募っている。
テーマが、ありきたりの句会とは違って面白いので、途中からメンバーに加えてもらった。
締め切りまでに、テーマに添って投句、互選して、得点順に表示する。
主宰は、一切コメントしないし、以前のような批評も添削もしない。
お互い、ドングリの背比べの中での遊びのようなもの。
俳句の専門家や、結社のようなところでマジメに勉強している人から見たら、これが句会かと思うかも知れない。
でも、参加者たちの俳句は、素人の目から見ても、確実にうまくなっているようだ。
いわゆる俳句の先生に教わっていたら、こういう俳句は出て来ないだろうなと思う。
枠にとらわれない表現、自由闊達さが見られ、時に、感心するような句も見かける。
主宰も、毎回テーマを考え、勝手に作らせて、結果を愉しんでいるらしい。
「素にして野だが卑ではない」と言った政治家がいたが、そのことばが、この人に当てはまるような気がする。
句をまとめて、ネットに載せる段階で、良く単純ミスを侵すので、時々、こっそりメールで教えてあげたりするが、そういうことは、綿密ではないらしい。
だから助手が必要で、このごろは、二人ぐらいの人が、まとめを引き受けている。
趣味の世界では、私と同じ世界にいるが、この人は「野」に徹していて、決して主流には近づかない。
最近、結社をやめたという話をきいた。
大まかなようで、大変繊細な人なので、自然だったかと思う。
自分のことは、元々語らない人なのである。
そして、ひとのことは、やたらに喋らない。
そうしたところが、時に不透明に感じられ、何を考えているかわからない苛立たしさもあるが、逆に、何を言っても信じられるという気がして、私は一時、自分のことをいろいろ話したことがあった。
感情の動きの激しいひとなので、ついていけない感じのする時があった。
でも、こちらが誠意を持って訊いたことには、きちんと返してくれた。
思わぬことで、交流が絶たれてしまったが、信頼をなくしたわけではない。
遠くにいても、いつも気になる人であることに変わりはない。
今は、句会の上だけのつき合いである。
ひとに思い入れが過ぎて、深く付き合ってしまうのが、私の欠点である。
距離を置いて、いいところだけで付き合っていれば、面倒なことにはならない。
寂しいが、それが大人のつき合い方かも知れない。


2年ぶりの電話
2003年04月10日(木)

昼前、突然かかってきた電話の主は、この3年ほど、全く顔も合わせていない人だった。
電話も、確か2年前に話したのが最後である。
そのころ彼女はシャンソンに凝っていて、ステージデビューを果たすと言って張り切っていたのだった。
私は、その前から始まったある人とのつき合いに、心がとらわれていて、そんなことを話したくて電話したのだと思う。
「恋というわけじゃないんだけど、何だかいつも心に引っかかってるの」というと、彼女はとたんに不機嫌になり、「それがどうしたの。結構なことじゃない」と言い、重ねて私が、「ほかのことを考えたいのに、出来なくなっちゃってるの」というと、「じゃ、止めれば」と、冷たく言い放ったのだった。
私は、彼女を、心の通じる友達だと思っていたので、話をきいてもらうことで、気持ちが少しはすっきりするのではないかと思ったから、電話したのだった。
でも、同性の友達の限界がそこでわかった。
女は、自分の友達が、恋などにとらわれることを好まないのである。
つまらないことにうつつを抜かして、と言う批判的な気持ち、その裏には、うらやましさ、嫉妬に似た気持ちもある。
「好きなことで悩んでるんだから、いいじゃないの。とことん突き詰めれば」と彼女は言って、それきり音沙汰がなくなってしまった。
私は年賀状を出したのに、返事も来なかった。
それだけの友達だったのだと思い、私も、それきり電話も掛けなかった。
それが、前触れなしに、今日、かかってきたのだった。
「お元気?」という挨拶に始まって、遣り取りしているうちに、彼女は私に、共通の知人の消息を聞きたくて、電話してきたのだとわかった。
「インターネットですぐ調べられるけど、調べましょうか」というと、連絡先はわかっているので、自分で調べるからいいという。
それなら何で、と思ったが、彼女も、2年前の電話の遣り取りで、後味の悪い切り方をしたのが、気になっていたのかなと思った。
2年も経てば、それがどんな内容だったかも、忘れるくらいのことだし、原因になった事柄そのものが、消滅してしまっている。
2年の間に、彼女は連れ合いの大病や、その心労で声が出なくなり、シャンソンも止めてしまったなどの変化があったらしかった。
「いろいろ大変だったわね」と私はいい、彼女の幸せを祈って電話を切った。

ともだちの意味確かむる四月かな 


句断ち
2003年04月08日(火)

最近晴れの日と雨の日が、ほぼ一日置きで来る。
一昨日の日曜日は、良い天気で、二つの公園に、お花見に行った。
いずれも我が家から近く、バスで行けるところである。
満開の桜も、もう終わりだろうと思われ、ちょうど日曜日とあって、沢山の人が花を愉しんでいた。
昨日も良かったが、夕方からくずれ始め、今日は、風雨である。
南から振り込んでくるので、雨戸を閉め、別の窓から外の様子など見ている。

このごろ参加しているネット句会、兼題が出されていたが、投句しなかった。
「句断ち」である。
イラクが戦火にさらされている間は、俳句を作る気にならない。
短歌と違って、こういうことは、俳句では表現できないような気がする。
連句は違う。
俳でなく、深刻な時事句も詠み込める。
ネット上では、すでに集まった投句が一覧表示されていた。



蕎麦屋のあんみつ
2003年04月06日(日)

昨日と打ってかわって、よい天気。
深川連句会に行く日だが、支度をしているうちに、だんだん行きたくなくなってしまった。
家から1時間半はかかる。
そうして行ったところが、来なきゃよかったという思いを、先月したからである。
昨日、仲のよいY子さんから電話があり、彼女も告別式と重なって、行けるかどうかわからないと言うし、こんな良い天気、お花見にでも行った方が良さそうだと思い直し、連れあいを誘って、井の頭公園に行った。
昨日、雨風がひどかったので、満開の桜も散ってしまったのではないかと思ったが、まだまだ、十分の花見日和であった。
日曜日とあって、家族連れや若いグループが、青いビニールシートを広げて、花見の宴を繰り広げていた。
その間の小道を縫って、歩くのだが、満員電車の中にいるようで、なかなか前に進めないほどだった。
ことに、桜が一番綺麗に見える池の周りは、すごい人だった。
池には、電動式ボートなどが浮かんでいて、カメラを構えて連れ合いは、「ボートが邪魔だなあ」と言いながら、何枚かの写真を撮っていた。
花よりも人の頭のほうが目立つ公園からおさらばして、駅近くで遅い昼食。
それから、バスに乗って、神代植物公園に行った。
一日フリー切符というのを使ったので、なるべく乗らないとソンなのである。
植物公園は、落ち着いていた。
先週来た時は、まだほとんど開花していなかった神代曙も、満開だったし、そのほかの桜も、桃、木蓮、連翹なども、みな見事に咲いていて、愉しむことが出来た。
ビニールシートや、飲んだり食べたりの騒ぎもなく、「こっちの方が良いね」と言いながら、園内を歩いた。
こちらのほうが、写真も良いものが撮れたらしい。
ここに来ると、必ず寄っていくソバ屋に入った。
ここは、蕎麦通の連れ合いに言わせると、蕎麦の味はあまりよくないと言うが、盛りがいいのと、あんみつがおいしいからである。
もう昼食は済んでいたので、あんみつだけ注文した。
具が沢山あり、別に黒蜜がついてくる。
途中で5時になると、もう閉店だと言って、新しく入ってくる客を断っている。
「書き入れ時なのに、商売気がないね」と、連れ合いは笑った。
外に出ると、閉店を知らない客が、駐車場に車を置こうとし、店の人に断られていた。
ちょうどバスが来たので、そのまま乗り込んだ。
降りてからスーパーに寄り、夕食の材料を買った。

花とあんみつで、よい日曜日だった。



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