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五月の素晴らしさをあまり味わわないうちに、月が変わってしまった。 今日は、深川の連句会に行くつもりだったが、外出の支度をしている時に、電話がかかって、10分ほど消費した。 それからあらためて支度しているうちに、もう遅刻だなと思ったら、気乗りがしなくなり、行くのをやめてしまった。 電話がきっかけではあるが、それだけではない。 場所が遠くて、少し億劫だと言うことと、その連句会には、「天敵」がいて、時にイヤな思いをするのである。 クールビューティーなどといわれている女性。 利口で能力はあるが、私はこの人から、今までに何度も、不快な仕打ちを受けているので、一種のトラウマのようなものがあり、その人の行くところには、まず行きたくない気持ちが働くのである。 連句の座は、トランプの札などで、メンバーを決めるのだが、同じ席になったらイヤだなあと言うことが一つ、彼女がいると、会が終わってからの飲み会には、行かずに帰ることになるので、それも寂しい。 そんな会に初めから行かなければいいのだが、「天敵」は、どこの席にもいることが多いので、それを避けていると、連句の機会がなくなってしまう。 そこで、出かけるわけだが、今日のように行かない理由が出来ると、自分の心に言い訳をして、欠席する。 行きがけの電話は、連句仲間のひとで、行くかどうかを訊いてきたのだった。 彼女は、外出続きで疲れたので、今日は行かないと言う。 私は、しばらく深川に行ってないので、情報収集かたがた行くつもりだと、答えたのであった。 行かないことにして、また服を着替え、彼女に電話したら、留守だった。 もしや、向こうも、私が行くというので、気が変わって行ったのではないだろうか。 彼女は、私の「天敵」のことは知っている。 あとで、もう一度電話してみようと思った。
昼前母から電話。 「いつ来るの?」と訊いている。 ゴールデンウイークに、我が家に来て、6日間ほど滞在したが、その後、私も顔を見ていなかった。 予定がたて込んでいて、忙しかったせいもある。 先週の金曜日、行こうかと思って電話したら、ちょうどは医者に行くところで、「来週ゆっくり来て頂戴」というので、やめた。 母がこんな返事をした時は、あまり来て欲しくない時なのである。 多分、妹でも行っているのだろうと察し、じゃあと電話を切ったのであった。 両親が、今のところに行くまでには、私と妹たちとの間で、いろいろ確執があり、この数年、ほとんど顔を合わせないような状態になっている。 それについては、簡単な話ではないので、いずれまとめてなにかに書くつもりである。 とにかく、母は、私たち姉妹が、顔を合わせないように、いろいろ気遣いするのである。 90歳という年になって、母にそんな気を遣わせているのは、子どもの立場として、まことに恥ずかしいことなのであるが、無理に修復しようとして出来るものでもないので、そのままにしてある。 一つ言えることは、私も妹たちも、誰ひとり悪意はないのである。 それぞれ、年老いた親を思い、庇い、そのために起こったひずみなのであった。 ともかく、先週は出鼻をくじかれたので、今週になって昨日か今日のうちに、顔を出そうと思っていたところへ、母からの電話なのである。 「じゃ、昼過ぎに行くから」と返事をし、急いで、干してあった洗濯物を取り込んだ。 「タッパーウエアがいくつかそっちに行ってるでしょう。持ってきて」というので、母の処から持ってきたままになっていた入れ物を、まとめて家を出た。 母のところに行くと、いつも、煮物などを作っていて、持たせてくれるので、容器が溜まっていたのである。 母たちは、西武新宿線沿線の駅からすぐの、ケアハウスに住んでいる。 父の誕生日が27日だったことを思い出し、遅まきながら、夏用のメッシュのチョッキを買い、持っていった。 父も母も、私の家から帰ってから、特に変わりなく、元気にしていたとのこと。 「届きものがあったからちょうどよかった」と母はいい、九州の親戚から届いた枇杷を二箱、紙袋に入れてくれた。 そして、やはり、手作りの煮昆布、それに、筍ご飯を作ってあった。 しばらく、話をし、お茶を飲んで、帰ってきた。 紙袋の中の、まだ温かい炊き込みご飯のぬくみを感じながら、バスに乗り、いつまでたっても、母親であり続けようとする九十歳の母を、偉いとも哀しいとも思ったのであった。
時々訪問するサイトで、前の投稿記事から題を選んで、文章などを繋げていくコーナーがある。 今日は、「お人好し」という題で、書いてみた。 少し、手直しして、こちらに載せる。 外目にはどう見えるか知らないが私はお人好しである ひとを騙したり裏切ったりはしないが 騙されたり恩を仇で返されるような目にはよく遭う 親きょうだいみな似たり寄ったりであるところを見ると こういうことは家庭教育というのか 生まれた時の環境が影響しているのかも知れない ある一つの事実を前にして それをどう考えどう見るか 親の姿勢が知らず知らず子どもの体にしみこんでいく 三つ子の魂百までとはよく言った 学校に行ってから受けた教育はもう遅い すでに人格が出来上がっている 世の中には結構すごいひとがいる 黙って人の話をきいていて いつの間にか自分のアイデアにすり替えてしまう 陽の当たるところに出たがり 力のある人には熱心に近づくが そうでないひとには洟も引っかけない 評価の対象にならない仕事は引き受けない 人を利用しようという時だけなれなれしく寄ってきて 用が済むと感謝もしない こちらはひとがいいもんだから 頼まれるとつい損な役回りを引き受けてしまう そんなことが何度か続いて 我ながらお人好しさ加減に呆れている 本管理職で今でも教育講話を頼まれる女性は 私の話をネタにして講演会で喋り ちゃんと講演料はもらったそうな 「あなたの話はおもしろいわ」とおだてられて ただでネタを提供していたわけである 今度一件幾らと決めて高く売ってやろうか でも多分電話がかかってくれば 訊かれるままにあれこれ喋るのだろう
4月からNHK衛星放送で放映している韓国ドラマ。 オーソドックスなメロドラマだが、とても美しく素晴らしい。 高校生の時、お互いに惹かれ合った少年と少女。 真面目で気だてのいい少女には、優等生タイプのボーイフレンドがいた。 しかし、転校してきたちょっと翳りのある少年に、次第に心が動いていく。 この少年役の俳優が、とてもいいのである。 待ち合わせ場所に待っている少女、しかし少年は、車にひかれて死んでしまう。 このあたりは、古典的ラブストーリイの定石を踏んでいる。 正攻法で、まっすぐに若い二人の動きをとらえていて、好感が持てる。 10年後、恋人を失った少女は成長し、昔から自分を愛してくれていた青年と婚約する。 ところが、死んだ恋人と瓜二つの青年が現れて、ドラマは、また波乱を含んでいく。 前回は、昔の恋人に似た青年が、彼女に恋心を打ち明けるところで終わった。 婚約者と、新しく現れた青年。 死んだ恋人の想い出をまだ引きずっている彼女。 それぞれに恋敵がいて、気になる。 20年近く前、シナリオを志していたことがあって、こんなメロドラマを一度書きたいと思っていた。 「君の名は」、映画の「めぐりあい」、みな、話の運びは、定石通りで、そこに人は、永遠に変わらない人の心を見るのである。 今の若い人のテレビドラマ、奇をてらったり、殺伐とした性愛シーンなどが多くて、見ちゃいられない。 「冬のソナタ」は、婚約した男女が、手も握らないのである。 儒教の影響がいまだに強いお国柄なのだろうが、私の若い頃の純愛ものは、みなそうであった。 メロドラマは、「水戸黄門」である。 間に山あり谷あり、波乱の渦に巻き込まれつつ、純愛を貫いて、やがてハッピーエンドに終わる。 そうした古典中の古典がメロドラマである。 美男美女を配し、美しい風景も織り込んで、ゆっくりと展開する。 木曜夜10時、「冬のソナタ」が楽しみである。
Tさん まだ梅雨とは遠いのですが、しとしととした雨です。 こんな日は、昼間でも明かりを付けたいような、薄暗い場所があって、歳時記では、五月闇なんて言うそうです。 あれはいつのことでしたか、こんな雨の日、母から用事を頼まれて実家に行った時のことです。 「ただいま」と、玄関を開けると、いつもならすぐに迎えてくれる母が、出てきません。 かまわずに上がり込んで、茶の間にはいると、母が、誰かと話しています。 若い青年でした。 きちんと正座して、母と向かい合っていました。 誰だろうと顔を見ると、こちらを向いた青年の目と、まともにぶつかりました。 その目の鋭さに、一瞬私は、たじろぎました。 少しどぎまぎした私に、母は笑顔を向け、その青年を紹介しました。 それがあなたでした。 父の遠縁にあたる人の息子で、2,3年前から東京に住んでいること、でも、ここへ来たのは初めてで、母も初対面だったことが分かりました。 「ご両親から宜しくと言われてたのに、ちっとも来ないもんだから、今わけを訊いてたのよ」とは母は言いました。 世話好きな母は、よく人から、こうした頼まれごとをするのです。 ずいぶん前から、あなたのことはきいてたのに、本人が現れないので、親御さんに、何と言っていいか分からなかったと、母は、少しあなたに怒っているようでした。 あなたは、笑って、「親にも、手紙も書かないんですよ」と、言い訳してましたね。 25歳という年頃の男の人にとって、親の心配は、少し煩わしいものだと言うことは、想像が付きます。 「折角来たんだから、ウンとご馳走してあげる。夕飯まで待って頂戴」と母はいい、あとを私に託して、買い物に出かけました。 残された私たちが、どんな話をしたのか、あれからずいぶん時間が経った今、思い出すことが出来ません。 ただ、私にとって、初めて遭ったあなたがとても印象深かったこと、それまでに知っていたどの人とも、違っていたこと、そしてこれだけははっきり覚えているのですが、話をしている間、あなたは一度も、私の目を見ようとしませんでしたね。 「臆病なんですよ」と、あとになってあなたは言いました。 「最初に親から生まれた人間て、そういうところがあるらしいですね」とも言いましたね。 私もそうでしたから、同じ処があると、あなたは言いたかったのかも知れません。 表面は、気の強い人間に見えるようですが、私は、人一倍臆病で、人見知りします。 幾らも知らないうちに、私のそんなところを見抜いたのは、何か、共通するものを、あなたが感じたのかも知れません。 それからも、あなたは、時々、私の実家を訪れていたようでした。 「電話番号を訊いてもいいですか」とあなたはいい、時々電話を掛けてきました。 そう、あの頃は、インターネットもなかったのです。 生活環境が全く違って、共通の話題もなさそうなのに、あなたは私のおしゃべりが、面白いからだと言いました。 「自分より年の若い人は、気を使うからイヤなんです。あなたは、ありのままで付き合えるから・・」とも言いましたね。 私は、そういわれるのが悪い気はしないので、お姉さんぶって、遠慮のないことをずいぶん言いましたね。 でも、時々、話をしていて、つらくなることがありました。 だって、そのころの私は、確立した精神生活というものを、持っていなかったのですから。 電話口で私が黙り込んでいると、「あなたは、向かっていく強さがあるのに、受け手に回ると、もろいところがあるんですね」なんて、ちょっと残酷なことを言ったりしたのでした。 そんなことが、しばらく続いて、あなたは、東京の生活を打ち切り、国に帰っていきました。 海の近くに育ち、夏になると海に潜って、遊んでいたというあなたには、都会の生活は、合わなかったのかも知れません。 その後の消息は、母から時々訊きました。 でも、いつからか、便りも途絶え、この10年くらいは、全く分からないと言うことです。 雨の日に、よく電話を掛けてきたあなたは、今どこでどんな人生を送っているのでしょうか。 今日は、どうやら一日雨です。
気温の変動が激しい時期である。 厚い冬コートは、全部洗濯屋に出したが、まだ入れ替えのためらっている合い着が、結構あって、今日のような雨模様の日は、毛糸のカーディガンを羽織りたくなってしまう。 今日、洗濯屋さんが来たが、一旦は、出してしまおうと、のけてあったジャケット類を、また戻して、ワイシャツと羽毛のガウンだけ持っていってもらった。 まだ梅雨には間遠な、今日のような雨は、嫌いではない。 外出の用事もなく、朝はゆっくりと起き、静かに過ごしている。 最近、あちこちの連句座に出かける機会が増え、それはとても楽しいことだが、時に、疲れを覚えることもある。 連句が終わり、大体いつも決まったメンバーで、ちょっといっぱい飲みに行くのが通常になっており、そこでのおしゃべりを愉しむ。 しかし、「ちょっと喋りすぎたな」とか、「あんなこと言わなきゃよかったな」と、苦い思いをすることも、ほんのたまにある。 気心の分かった人たち、つい気を許して、たまたま出たうわさ話に乗ってしまうことがある。 「ここだけの話」と、お互い了解していても、自分が乗った話というのは、いずれ、形を変えて、自分に戻ってくる。 口から出た言葉は、消すわけに行かない。 昨日は、そんなことを感じながら、帰ってきた。
至福のとき それはひとりのティータイム 大ぶりのカップに熱いアールグレイをたっぷり注ぎ 冷たい牛乳を加えると ちょうど飲み頃の温度になる 砂糖は入れず 添え物はソフトで甘みのあるクッキー BGMは静かな室内楽 邪魔にならないものがいい カップに2杯の紅茶を飲む間 夕べからの出来事や 読んだ本のことを反芻する ロンドンの住まいには 窓から大きなプラタナスが見え 風がそよぐ時は 女が泣いているような音がした こころの在処を探すひととき
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