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足の骨折で、外出できないでいる私に「月はどこで眺めても、同じ月です。お大事に」と、やさしいメールをくれた人がいる。 毎年、都内の公園や高層ビルのレストランに集まって、男女10人くらいで、月をエサに団欒するはずが、取りやめになってしまった。 「こちらに構わずどうぞ」と、連れ合いが言ったが、「みんなで集まるのは、xxさんの全快祝いを兼ねて」と言うことになり、今夜は、男だけ2.3人で、飲むということになったらしい。 それとは別に、都内の公園内にある会場で、「お月見連句会」というのがある。 昨年は、よく晴れた日で、月の眺めは一段と素晴らしかったが、今日も、よく晴れている。 主催の人に、先日欠席の連絡をしたら「あなた、自分が出られないから雨が降るといいなんて、思わないでよ」と冗談を言いながら「でも、骨は大事にしてね。無理すると、あとに残るからね」と結んだ。 「きっといいお天気になりますよ。私も、家で、眺めながら、俳句でも作ることにしますね」と答えた。 この天気なら、満月にふさわしい眺めになるはずだ。 夕べ遅く見舞いのメール。 「お月見会で会えないとは残念。あとで様子は知らせるから、心静かに養生されたし」と、これは何かと気遣ってくれる連句仲間の男性。 女友達は、電話である。 「あなたの分も、頑張って、良い句を出すからね」と慰めてくれた。 連れ合いは、主婦代行で、内心くたびれているようだが、文句も言わずに、3度の食事の世話や洗濯、買い物、すべて、やってくれている。 ただ、掃除はどうも、億劫のようだ。 私は、骨折以来、2階の寝室に上がるのが大変なので、下の居間のソファで、タオルケットを掛けて寝ている。 先日、体のあちこちを、虫に食われてしまったので、「きっと、ダニかなんかいるよ」と、連れ合いが、掃除機を掛けてくれた。 ソファの隙間に、細い器具を差し込んで、吸い取ったら、それから、虫に刺されることはなくなった。 家の中の移動は、キャスター付きの椅子である。 「長くなるとわかってたら、ちゃんとした車椅子を借りれば良かったね」と言うが、それ程のこともない。 キャスターが引っかかるところは、立ったりしなければならないが、この頃は、痛みもないので、椅子に座りきりばかりでもない。 馴れると、移動もスムースである。 台所の用事も、立ち仕事でなければ、もう出来るが、連れ合いが、「動くな」というので、任せている。 料理の味付け、下ごしらえ、果物の皮むきなど、座って出来ることは、私がやる。 「まあ、いずれ、こういう生活になるかも知れないから、練習だよ」と、あきらめたらしい。 でも、インターネットがあるお陰で、退屈せずに済んでいる。 時間は充分あるので、前から思っていて出来なかった新しいコンテンツを入れ、ネットサーフィンも楽しんでいる。 ネット連句を再開することにし、連衆を決めて、ボードも新しく作った。 それに先駆けて、独吟三作目を、始めることにした。 曼珠沙華あなた恋ふ日の足の裏 先日、お祭りに引っかけての余興で出した句のうちの一つ。 自分では気に入っている。 これを今回の独吟に、発句として使うことにした。
骨というのは、案外厄介なものらしい。 足の小指の根元、わずかな部分でも、折れると、治るのに時間が掛かるのは、大きな骨と同じだということがわかった。 昨日整形外科に行き、もう、ギブスが取れると期待していたのに、今月いっぱいは少なくとも、着けていなければならないと言われ、ガッカリしてしまった。 「いろいろ予定があるんですけど・・・」と言ったが、お医者さん、「骨に訊いてみてください。しばらく我慢してって、言いますよ」 側で看護婦さんも、「簡単なギブスで済んでいるから、いい方ですよ。ひどい場合は、すっぽり被せて、お風呂にも入れませんよ」と、言う。 確かに、私のギブスは、足の裏から膝の下まで、外側を包んで、包帯で巻いているだけ。 包帯をとれば、はずれるので、シャワーを浴びることも出来る。 最初のうち、腫れがあったためか、血行が悪くなって、むくんでしまい、気になったが、それも大分取れてきた。 シャワーのあとは、氷をタオルに包んで、足の甲に載せておくと、気持ちがいい。 今月中の予定はみなキャンセルしたが、10月11日からの連休に、東北への小旅行がある。 それには行きたいので、ほかのことは、少し見合わせる。 10月2日から、週一回、ある大学の公開講座に行くことになっているが、初回は、無理かも知れない。 うらめしきは、骨である。 連句関係の人からメール数通。 「足の具合はいかが。心配してます」と、これは男の人。 「私がいないからと言って、欠席裁判をしないように」と返事を送った。 「しばらくお目にかかれなくて残念。尾ひれを付けて、いろいろ噂の種にしますから、安心してご養生下さい」と、別の男性。 「そんなこと言ってないで、ネット連句に参加されたし。もうメンバー登録したので、断りは受け付けません。発句を、土曜日までに送ること」と、返信した。 男の人は、事務的用件以外は、気軽に電話という風には行かないようで、こんな時は、メールが便利である。 私は、昨年、メールで不快な思いをしてからというもの、顔見知りの間では、メールを使わないようにしているが、こんなお見舞いみたいなものは嬉しい。 友好関係にある人となら、気持ちよく遣り取りできる。 人にケンカをふっかけたり、中傷誹謗の道具にしたり、また、メールならあまり罪にならないと思うのか、まやかしの誘惑めいたことを言ってくるのは、不愉快である。 今様ドンファンは、手で撫でる代わりに、言葉で撫でる。 同じ文面をコピーして、いろいろな人に送りつけているのではないかと、疑いたくなる。 送られた方は、みな自分だけだと思うのだろうか。 竈にのさばる猫じゃあるまいし、いい加減にして欲しい。 削除してしまえば、何も残らないような手段で、女ひとり落とせると思うなと言いたい。 信書の秘密に触れるのではないかと思うのは、人と遣り取りしたメールをコピーし、べたべた貼り付けて、複数の人に送ったメール。 メーリングリストなんか使って、廻したメールが、不注意で、とんでもないところに流れてしまったりしているのに、本人は気づかない。 「心当たりありません」と送り返してやったが、届いたかどうか。 こんな事をする人は、神経がどこかおかしいのである。 インターネットを信じすぎる人は、実社会の礼儀に疎くなるのかも知れない。 メールの遣り取りはもちろん、実際にも、付き合いたくないと思う。 同性の友達とは、メールの遣り取りは、ごく事務的なこと以外はしない。 会えなければ、電話である。 夕べ遅く、「足の具合どう?」と電話。 私の書斎には、手の届くところに受話器が置いてあるし、市外の人に掛けるときは、もうひとつ、IP電話を使う。 電話代が安いので、長電話になるときは、こちらを使う。 あれこれ、喋って、夜中になってしまった。 夕方、お見舞いの品一つ届く。 干菓子に、手書きのお見舞い状が添えてあった。 連れ合いが、「きちんとした人だね」という。 お礼状は、手書きの封書で出そうと思った。 足はダメでも、アタマと口は、健在なので、ホームページの修復、更新が終わったこともあり、ボード連句を再開することにした。 気持ちにケリを付けたことが一つ。 後ろは振り返らないことにした。 残暑の1日。 明日も暑そうだ。
骨折を軽く見ていたわけではないが、イヤ、当初は、軽く見ていたフシもある。 折ったのが、金曜日の夜、痛いことは痛かったが、骨が折れているとは、想像もしなかった。 場所は、麻布の小料理屋。 狭い和室に、犇めいて、会合を愉しんでいた。 離れた席の人に用があり、そこへ行くのに、人の背中をすり抜けるのが面倒なので、三和土にあった店屋の突っかけ下駄に、左足をかけ、右足は床に置いた状態で、先へ行こうとした。 ところが、左足をおろした位置が悪かったのと、木の下駄がひっくり返ったために、ぐらっと、傾いてしまったのだった。 痛いと思ったが、すぐに起きあがって、目的の人のところへ行き、用事を済ませた。 それから、2時間ほど、飲んだり食べたりし、途中でトイレにも行き、座を移動したりもして、終わりまで付き合った。 帰るときになって、ヒールの靴を履いたとき、痛さが増していることに気づいたが、友人と一緒に六本木までタクシーに乗り、あとは、地下鉄とJRを乗り継いで、最寄り駅まで自力で帰ってきた。 それからタクシーに乗り、家の前で降り、家に入った途端に、動けなくなった。 やっとの思いで、2階の寝室まで、連れ合いの肩につかまって上がり、そのまま寝てしまった。 翌日は、土曜日、「午前中は医者もやってるから、行こうか」と言われたのに、どうせ捻挫だから冷やせば治るわよ」と、たかをくくり、行かなかった。 日曜日になり、ずいぶん患部が腫れているようなので、救急の整形外科に行くことにして、シャワーを浴びたり、御飯を食べたりしているうちに、どういうわけか、痛みが治まってしまった。 じゃ、明日まで待とうと言うことになり、とりあえず、家にあった湿布用の貼り薬を張って、その日は、ほとんど横になっていた。 それでも、まだ骨が折れてるとは、思わなかったのである。 レントゲンを撮ると「骨が折れてますね」というので、ギブスを作ってもらい、「一週間後に来てください」と言われて、帰ってきた。 1週間という事は、1週間で治るという意味だと、勝手に解釈し、次の週、帰りは靴を履いて帰るつもりで、スニーカーを持っていったら、看護婦さんに、「とんでもない」と言われてしまった。 レントゲンを撮ったら、「5ミリずれてます」と言われ、痛みが治まって、少し動いたのがいけなかったかと反省。 今度は、おとなしく過ごした。 そして、今日の結果は、「悪くはないですよ。でも、ギブスは、してて下さいね」と、同じ姿で帰ってきた。 整形外科は、待ち時間が長い。 先週は2時間待った。 今日は、連れ合いに、病院から一旦帰宅してもらい、終わる頃、電話を掛けて、また迎えに来てもらった。 待合室で、私に話しかけてきたのは、90を超えた母親に付き添ってきた女性。 自分も、腰痛で、ほかの整形外科に通っているという。 「私も腰痛があるんですよ」というと、「いいお医者さんがいますよ」と、自分の車に戻り、持ってきたのは、別の整形外科のパンフレット。 整形外科は、専門分野があって、ここのお医者さんは、脊椎専門だから、一度行くといいですよと、そのパンフレットを、私にくれた。 ここの医者の目にはいると悪いので、バッグに仕舞った。 今日の待ち時間は1時間半。
秋燕や訣別のわけ語られず 人は、この世に生を受けてから死ぬまでに、いくつもの出会いと別れを繰り返す。 最初に出会うのが、自分をこの世に送り出してくれた母であり、父である。 子どもにとって、100パーセント近い存在である親も、だんだん成長するにつれ、75パーセントになり、半分になり、やがて、結婚するときは、その相手が100パーセント近い存在を占めるようになり、親は、次第に子どもの人生の脇役になってしまう。 それはごく自然のことで、子どもは、成長するまでの、20年ほどの間に、少しづつ親との別れを、積み重ねていくのである。 そして、別れた数ほどの、新しい出会いを得て、大人になっていくのであろう。 親にとっても、子どもが育っていくということは、見方を変えれば、自分から離れていくことであり、日々、子別れの道を歩んでいくようなものである。 鳥や野生動物の生態を、テレビなどで見ていると、誰が教えたのでもなく、この儀式が、自然に行われていて、感動すら覚える。 動物の親子の、慈しみ合う姿と、子別れの厳しさ。 役目を果たして、やがて生を終える生き物の姿は、荘厳で美しい。 ただ、人間は、少し厄介である。 親子は選べないから、覚悟を決めて、付き合うしかないが、他人である男と女が、出会って別れるのは、そう簡単な図式通りには行かない。 好きになってはいけない人に惚れてしまったり、選んだつもりはないのに、なぜか、縁が出来て離れるに離れられない、ということも起きる。 この人なら、ずっと好きでいられると思っても、何かの理由で、気持ちが冷めてしまったりする。 また自分が、幾ら心を尽くしたからといって、相手が同じように感じているとは限らない。 相思相愛は、目出度いことだが、現実は、そうはいかない場合が多いのではないだろうか。 かなり前になるので、細部は正確ではないが、こんな文章を読んだことがあった。 失恋で自殺した女子大生の話である。 彼女は、同じ大学に通う、ある青年を恋し、相思相愛となってしばらくの間過ぎた。 やがて 将来を誓い合うようにもなっていた。 ところが、そこにもうひとり、女性が現れた。同じ大学の人である。 運命の女神のいたずらというのか、彼は、その女性に一目惚れしてしまい、前の彼女から、次第に心を移していった。 同じ大学内だから、避けようとしても、自然に顔を合わせたり、彼が、新しい彼女と仲良く歩いている姿が、目にはいる。 もちろん、新しいカップルは、わざと見せびらかしたわけではないだろうが、恋をしているときの男女というのは、人のことには、気が回らないものである。 自分たちが、彼女の心を、どれだけ傷つけているかということにまで、配慮が及ばなかったのかも知れない。 彼女は、彼の気持ちが戻らないことを悟ると、恋の痛手を克服しようと、努力したらしい。 勉強に専念し、新しい道を歩もうと決心した。 しかし、秋のある日、学内で、彼と彼女が一緒にいる姿を見たとき、自分が、まだそこから吹っ切れていないことを知る。 「寂しいねえ」という言葉を日記に残して、自殺してしまった。 それから、1年後の秋、死んだ彼女の恋人だった彼が、彼女の両親の元を訪れる。 娘が愛した青年、そしてそれ故に死を選んだ娘、親たちは、きっと、彼に向かって、言いたいこと、訊きたいことが沢山あったに違いない。 しかし、彼らの間にどんな会話があったかということは、そこには書いていない。 両親は、彼を、ある山の麓に連れて行く。 そこは、鷹匠が、鷹の訓練をするので知られたところである。 両親は、彼に、鷹の飛ぶところを見せたかったのである。 大空を、見事に舞う鷹の姿を彼に見せると、何も言わずに、彼を、帰したのであった。 将来ある若い青年に、後ろを振り返らずに、行きなさいというメッセージだったのか。 娘の心を、よく理解した親たちの、娘への鎮魂の表れだったのか。 これを書いたのは大原富枝、今は廃刊になってしまった、ある文芸雑誌のエッセイであった。 人の心は、移ろいやすく、時として、むごいものである。 出逢って、愛し合うことは、それ程難しいことではない。 別れる方がずっと難しい。 気持ちが離れ、別れを決断したとき、相手をどれだけ思いやることが出来るか。 リルケの詩を百篇以てしても、心の傷は癒えないかも知れない。 秋は、別れを思い出させる、残酷な季節である。
4月から続いていた韓国ドラマ「冬のソナタ」が昨日終わった。 ぼろぼろに泣いてしまった。 木曜日の夜10時、3回ぐらい見落とした日があるが、いつもこの時間を楽しみにしていた。 メロドラマのお手本のような作品で、作りは非常に古典的である。 結ばれそうで結ばれないカップル、その合間に登場する恋敵や、家族、友人。 紆余曲折を経て、最後は交通事故の後遺症で失明した恋人のもとを、ヒロインが訪れ、3年ぶりの巡り会いで終わる。 「君の名は」と、アメリカ映画「巡り会い」、「心の旅路」などを合わせて割ったら、こういうドラマになりそうであるが、決して、作品の出来は、悪くない。 古今東西変わらぬ人間の心のありようを、いろいろな枷を作って、ドラマにしていた。 久しぶりに、たっぷりと泣かせてもらった。 NHKの過激な宣伝はいただけないが、こういうドラマはもっと作って欲しい。 斬った、張った、ばかりじゃ、あまりにも殺伐すぎる。 日本のテレビの、恋愛ものは若者中心、それも、やたらと新しがって、奇をてらったようなものばかりで、最近、テレビドラマを見る気をなくしていた。 大人に涙を流させるような、丁寧な作りが欲しい。 恋愛ものではないが、昭和40年頃に放映された「いのちある日を」というドラマは良かった。 高橋玄洋作品。 太平洋戦争を挟んだ、秩父の旧家の物語である。半年続いた。 主演の木村功は既に亡い。 日曜日の「東芝日曜劇場」は、単発の1時間もの。 時々記憶に残るようないい作品があったが、いつからか、別番組に変わってしまった。 昭和50年代は、やはり向田邦子。 「あ、うん」「阿修羅のごとく」はじめ、すぐれたドラマを残して、52歳で死んだ。 まだまだこれからという時だった。 エッセイや小説も、わたしは好きで、ほとんどの作品を持っている。 今読んでも、新しい。 今朝早く連れ合いは、一泊泊まりのゴルフに出かけた。 本当は、昨日から二人で蓼科に行っているはずだった。 そこから、連れ合いだけゴルフに行くという計画が、私の「骨折り」で、状況が変わってしまった。 「大丈夫かい」と気にしながら、出かけていった。 昨日のうちに、独りで留守をする私のために、冷蔵庫に食料を詰めていた。 ちょうど2週間、ギブスをしたままではあるが、かなり快復しているような気がする。 「何とかなるから、気を付けて行って」と、送り出した。 車が遠ざかる音を聞きながら、早めの朝食を摂った。
「Nからのメール、転送するよ」と、2階の書斎から連れ合いが内線を掛けてきた。 開いてみると、連れ合いの高校時代の親友、Nが、私の骨折のことを知って、見舞いのメールを寄越したのだった。 仲秋の名月の機会に、どこかで集まろうという話がNからあり、ちょっと行けそうもないと、連れ合いが返事したのである。 「月はどこで眺めても同じ月、きっと名句が浮かぶでしょう」と結んであった。 私が連句を始めたのは、この人と関係がある。 単身赴任で彦根にいたとき、Nはある連句入門書を読んで、興味を持ったらしい。 20年くらい前になる。 前から文芸に関心のある二人ばかりの友人を誘って、その入門書だけを頼りに、連句を試み始めた。 連れあいも誘われたらしかったが、全く関心のなかった連れ合いは、加わらなかった。 Nは、彦根にいた3年ほどの間に、同好者とせっせと文音を試み、何巻かの作品を作ったようである。 その辺のことは、私は全く知らずにいた。 年賀状に、いつも俳句が書かれているので、俳句をやっていることは、知っていたが、連句というものに、私自身が興味も知識もなかったこともあり、話が出ても、聞き落としていたのかも知れない。 Nと連句について、正確に知ったのは、10年前になる。 私の息子が結婚し、しばらくしてNから電話が掛かってきた。 「息子さんがいなくなると、やっぱり寂しいでしょう」というので、「これを機に、私も俳句を始めようかしら」と言った。 すると「私がやってるのは、連句ですよ」と言い、数日後に、「芭蕉七部集」をはじめ、連句関係の参考書がドカッと、送られてきた。 「Nさんから、こんなものが来たわ」と連れ合いに言うと、「俺はやる気ないよ。代わりに君がやったらどうだい」と言われ、あまり気が進まないながら、この道に入ることになったのである。 Nは、私が本気で連句を始めるとは、最初思わなかったようであった。 半ばひやかしのつもりで、本を送ってきたのだった。 それが、二年三年経ち、次第に連句に入り込んでいく私に、ちょっと戸惑ったようであった。 「基本がわかるようになったら、一緒に巻きましょう」と言っていたのに、Nのほうは私と反比例して、連句から遠ざかっていった。 そのうちに、私がインターネットを始め、ボード連句に誘っても、「私は連句はやめました」と言って、何度声を掛けても、参加しようとしなかった。 「向こうが勧めたくせに、ヘンな人」と私が言うと、連れ合いは、「アイツは、女に先を越されるのがキライなんだよ」といい、「無理に誘わない方がいいよ」と付け加えた。 へえ、そんなこともあるのかと思い、それ以後、連句の話題を出すのはやめた。 Nを含む夫婦五組で、年に一,二回集まったり、小旅行をしたりするが、グループの中心になって、計画したり、お膳立てするのは、N夫妻である。 少し偏屈で、意固地なところもあるが、本当はやさしく温かいNの人柄を、みな愛している。 連れ合いとN、それにKは、高校時代からの終生の友である。 一番早く結婚したのが、私の連れ合いだった。 新婚早々のアパートに、二人が押しかけてきたことがあった。 酒を飲まないKが、遠慮して早く帰ろうとするのに、Nは、したたか酔って、歌を歌った。 それが西田佐知子の「アカシアの雨が止むとき」だった。 「夜が明ける、日が昇る、朝の光の中で、冷たくなった私のむくろを抱いて、泣いてくれるでしょうか、なんてせつないねえ」と、彼は涙をこぼした。 それを、Kがいたわるようにして、帰っていった。 男の友情はいいなあと感じたものである。 「アイツの結婚は難しいね」と、連れ合いは言っていたが、五年後に彼は、美人でしっかりした、五つ年下の女性と結婚した。 もう「アカシアの雨」を歌うことはないだろうと思った。 それから、何十年も経つ。 三人の孫に恵まれ、孫のいない私たちに遠慮しつつも、孫の話題が愉しいようである。
昨夜、もう寝ようかと思う時間に電話。 「まだ起きてた?」という声は、響きの良い艶めいたアルト。 シャンソン歌手の彼女である。 「その後足の具合はどう?」と訊いている。 「まだギブスしてるのよ。もう痛みはほとんどないんだけど」というと、安心して、先日の話の続きを始めた。 彼女とは、15年ほど前、シナリオの研修所で知り合って以来の仲である。 私は病気を抱えていたし、たばこの煙が充満するような環境では生きていけないので、早々とこの道を捨てたが、彼女のほうは研鑽を積んで、一時は、著名シナリオライターの下書きをするまでになっていた。 それからは、あまり会う機会もなかったが、時々、どちらからともなく、電話で、互いの近況などを語り合う。 いつだったか、「もうシナリオを止めるわ」と電話があり、あまり深いわけは語らなかったが、シナリオから足を洗い、その後は持ち前の声を生かして、シャンソンの道に進んだ。 いまでは、時々ライブハウスに出るくらいである。 「私はあくまで趣味よ」と言っているが、タダで歌っているのでないからには、プロであろう。 そちらの世界も、愉しいばかりではないようで、自分の先生のステージがあると、切符を何枚も引き受けなければならないし、レッスンは欠かせないので、そのレッスン代や、衣装代で、少しばかりのギャラなど、消えてしまうという。 「だから道楽なの」と彼女は言っている。 連句に誘ってみたこともあるが、「何だかジジむさいんでしょ」と乗ってこなかったので、2度と誘わない。 彼女の華やかさ、色っぽさ、感性の良さ、それを持ってすれば、連句会の男どもはみな、心を奪われてしまって、私が引き立て役になってしまうことは、目に見えているので、今となっては、無理に誘わなくて良かったと思う。 「ジジババばかりの世界だから、あなたには向かないわね」と、連句の話は、なるべくしない。 そして、昨夜の電話は、「私、もう限界だから、あの先生と縁を切ったわ」といういきさつであった。 あの先生とは、この5年ほどレッスンを受けている男の先生のこと。 彼女が、一番弟子だと思っていたのに、最近、彼女より若い女性が入ってきて、先生はそちらにすっかり傾倒して、お株を奪われてしまったという話を、先週電話で聞いたばかりであった。 おまけに、その女性も、先輩後輩の気遣いもなく、それが当然という顔をしているという。 「そんな先生、もう見切りを付けたら」と、私は無責任に言ったのであった。 それから1週間の間に、彼女はいろいろ考えた挙げ句、先生に、直接、言いたいことをいいにいった。 「私だって、プライドがあるから、彼女のことなんて一言もいわなかったわよ。ただ、最近、弟子の扱いが、不公平じゃないですかと、言ってやったの」 「その先生、なんて言った?」と訊くと、「そんなつまらないこと気にしないで、精進したらいいじゃないですか。この世界、実力がものを言うんだから、ですって」 「じゃ、実力は、彼女のほうが上だと先生は思ってるの」 「さあ、でも、若いし、これからの人だから、育てたいと思ってることは確かね。ほかのことは目に入らないって感じ」 「でも、先生は、あなたの力は認めてるんでしょ。あなたが引くことはないじゃない」と言うと 「そうね。でも、そんな遣り取りをしてるうちに、ああ、この先生は、理屈抜きに、彼女が大事なんだなって、わかった。だから、私やめますって、席を蹴っちゃったの」 自分にとって、プラスになるやり方じゃないことはわかってるし、これからのレッスンも、ステージの機会も、減ることは承知してるけど、と彼女は付け加えた。 わかる、わかる、私もそんな事が、今までの人生に何度かある。 ソントクじゃないんだよね。 五分の魂だもんね。 「でも、それでさっぱりしちゃった」 「彼女のほうは?と訊くと 「あなたのいう通り、あの世代はダメね。自分のせいだとは思ってないし、その後もシラッと、レッスンに来てるらしいわ」 ところが、彼女が許せないのは、そのあとのことだった。 件の女は、目の上のタンコブがいなくなったとばかり、今まで彼女が勤めていたいろいろな仕事を、一手に引き受けて、先生の片腕になりかけているらしい。 そして、いなくなった彼女のワル口を、あちこちで言い始めているという。 彼女がいなくなったことを惜しんで、知らせてくれる人があったらしい。 「やめた人間に、追い打ちを掛けることはないじゃないの」と憤慨している。 「でもね。悔しいけど、当初はやめた方が負けよ。残ってる方は、なんと言っても、繋がりがあるから、それなりに地場を固めていけるけど、いなくなった方は、実体がないものね」と私は言い、「そのうち、わかる人にはわかるから、しばらく静観してたら」と電話を切った。 人の心は、測り知れない。 自分の思っている誠意が、どこにでも通用するわけではない。 彼女も、ピュアな人なのだ。 「あなたと私、よく似てるわね」と彼女は言ったが、それ故に、些細なことでも、拘りを持ってしまうのだろう。 そして、不正義な人、ワルを武器にしている人にとって、私たちのタイプは、やはりけむったい存在なのである。 今日は、暑い一日になりそうだ。
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