沢の螢

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女友達その3
2003年09月18日(木)

シャンソン歌手の友人から電話。
「もう足はいいんでしょ」と訊く。
「おかげさまで、昨日やっとギブスが取れたわ。でも、あと2週間位は、大事にした方がいいみたい」というと、それならあとは時間の問題ね、と安心して話を始める。
彼女と話すと長くなるので、椅子にかけ直し、楽な姿勢に変える。
ずっと付いていた男の先生のグループから抜け、今は、もうひとりの女の先生のところで、代稽古を務めているという。
結構忙しいのよと、まんざらでもないようだった。
彼女は、男の先生のグループで、先生の片腕同然の位置にあって、グループのために尽くしてきたが、最近になって、あとから入ってきた少し若い女性に、お株を奪われて、自分からやめたのである。
その話は、何度か電話で聞かされて、「そんな先生、縁を切っちゃったら」と、私は無責任なアドバイスをしたのだった。
今までの縁を大事にするより、新しく登場した方に目がいくという人は、あまり信用できない。
その彼女だって、そのうち、また新しく入ってきた人に、席を奪われるに決まってるわよ、と私は言ったのであった。
逡巡した挙げ句、その先生のもとを去り、新しい道を開いていくという彼女に、声援を送った。
今日の話はその後日談である。
行動に移すまでは、充分考えるが、一旦決めて、実行したあとは、もう後ろを振り返らないと言うのが、彼女の潔いところである。
女の先生のところで、新しい仕事も順調にいき、11月のリサイタルにも出演させてもらうことになって、レッスンに励んでいるところに、突然、件の男先生から電話があった。
話をしたいという。
今さら私に何の用かと思いながら、出かけていくと、あなたにやめられたのは、残念だった、惜しい人を失ったと、その先生は言い、
「そこからが腹の立つ話なの」と彼女が怒って話してくれたのは、次のようなことだった。
あなたがいなくなって、戦力が落ちた、出来れば戻って欲しい、でも、ちょっとわけがあって、すぐというわけに行かないと言う。
「どんなわけですか」と訊くと少し言いにくそうに打ち明けたのは、彼女のいなくなったあと、得意になってあとを引き受けていた若い方の彼女が、今は、自分が一番だと思っているので、そこに、戻ってもらうわけに行かない、だから、グループとは別のところで、自分を支えて欲しいと言ったというのである。
つまり、その先生は、彼女の実力を認めていて、いなくなったことを惜しんでいる。
しかし、新しい彼女のほうも、大事なので、二人が鉢合わせしないような場で、両方をうまくコントロールしようと言うのである。
「失礼な話ね」と私は言った。
こんなことは男のエゴである。
虫が良すぎる。
「あなた、なんて言ったの」と訊くと、そこからが、私よりは、利口な彼女である。
「ピシャリと拒否するのは簡単だけど、これで、向こうの弱点がわかった。だから上を行ってやろうと思ったの」という。
それは、結構なお話ですわと、婉然と笑い、ごちそうさまと言って、そのまま帰ってきてしまった。
「イエスともノーとも言わなかったから、向こうは、判断のしようがないわ。いろいろ恩義のある先生だけど、誠実でない人は、キライだから」と彼女は言い、「それに応じる気はないし、もう過ぎた話だわ」と笑った。
私だったら、きっとストレートにケンカしてしまう。
その結果、もう後戻りできないところまで行ってしまう。
相手に借りを作らせ、悪い印象を残さずに、結末を付ける、彼女のようなやり方が、女の知恵かも知れないと、つくづく思った。
「でもね、本当は、私、傷ついてるの。やせ我慢なのよ」といった言葉が、心に残った。


ギブスよさらば
2003年09月17日(水)

今月いっぱいは、ギブスをしていて下さいと言われていたが、今日整形外科に行くと、「もう外しましょう」と医師の手で、ギブスが外された。
レントゲンを撮る前だったが、足をあちこち触ってみて、もう大丈夫だと、判断したのだろう。
私の表情が、余程嬉しそうに見えたのだろうか、「でも、しばらく包帯はしててもらいますよ」と言われ、レントゲンを撮る間、裸足で、待っていた。
私のギブスは、かかとを包むために、足の底から外側を包んだだけの簡単なもの。
折った骨は小指から少し上の、一番外側の部分だが、かかとを固定しないと、その部分に力が加わるからであろう。
確かに、そんな簡単なギブスでも、どうしても歩かねばならないときは、これで患部が保護されていることがよくわかった。
包帯を取ればはずれるので、シャワーを浴びたり、足がむくんだときは、ちょっと外して、氷で冷やしたりした。
それでも、ギブスを付けていれば、煩わしいし、イヤでも、ジッとしていなければならない。
暑いときは、汗もかくので、正直、不快だった。
取れて、ホッとした。
レントゲンを撮ると、ずれはそのままだが、新しい骨が出来つつあるので、このまま時間が経てば治るでしょう、でも、骨というのは、完全に付くのにあと2週間はかかります、それまでは、気を付けてくださいと言われ、足先からかかとに掛けて、きっちり包帯を巻かれて帰ってきた。
家にはいると、今までギブスで守られていた足が、急に不安定になったようで、まだ、キャスター付きの椅子が必要だが、リハビリのつもりで、慣らしていくほかあるまい。
私をお姫様のように、大事にしてくれた連れ合いは、「急に歩いちゃダメだよ。まだ病人のつもりでいなさい」と気遣ってくれる。
今日で、26日。食事や洗濯をはじめ、あれこれ世話をしてくれた連れ合いも、大変だった。
完治したら、おいしいものでも食べに行きたい。
こんな事は、第三者にはわからない。
昨日、どうせ暇だからと思ったのか、私に、コンサートのチケットを電話で取って欲しいと、頼んだ人がいた。
仲良くしている人ではあるが、その無神経さにあきれてしまった。
確かに、私は、すぐに電話を取れるところにいるし、足以外は元気である。
でも、連れ合いの助けがあって、日常を過ごしているのである。
その人は、追っかけの歌手がいて、チケットを取るのに、いつも苦労している。
苦労して取った挙げ句、余分に買うことになってしまったからと言って、招待されたこともある。
でも、足の骨を折って、家にいる人間に、自分が予約時間に仕事があるからと言って、そんなことを頼む人がいるだろうか。
「医者に行かなければならないから無理」というと、「何時頃行くの。昨日行ったんじゃないの」という。
そんなことは、こちらの都合である。いちいち、人に説明する必要があるだろうか。
その時間、私がいたとしても、それを、彼女のチケッと予約に費やすことはない。
元気なときなら引き受けないわけでもないが、自分のことさえ、連れ合いに頼っている人間が、電話でひとのチケットなんか取ったりしていたら、それこそ、連れ合いに悪い。
そんなこと、想像できないのだろうか。
取れるかどうかもわからないのに。
親しさを通り越して、こんな事は、人を侮っている。
「わるいけど、お役に立てないわ」とおだやかに言ったが、しばらくこちらからは近づかないことにした。
毎日のように、電話を掛けてきて、親しくしているひとではあるが、ちょっと、距離が出来たような気がした。


朝冷
2003年09月16日(火)

今朝、窓から冷たい風が入ってきたので、目が覚めた。
連れ合いが、昼間小開けにしておいた窓を、閉め忘れたらしい。
まだギブスはしているが、手すりにつかまって2階に上がるのも、それほどきつくなくなったので、3日前から、2階の寝室で寝ている。
それまでは、下の居間のソファで寝ていた。
寝心地が悪く、何度も目が覚めて、安眠は出来なかった。
今日は、整形外科に行くはずが、連休あとで、込んでいそうな気がしたし、午後からは、連れ合いが夕方出かけるのにちょっと忙しいというので、医者に行くのは、明日に持ち越した。

運転免許の更新を忘れていて、ひと月経つ。
実際には15年間、ほとんどハンドルを握ってないので、免許証も身分証明書代わりに持っているだけだが、「持ってた方がいいかしらね」と連れ合いに訊くと、「そりゃ、持ってた方がいいよ」という。
足が治ったら、手続きをすることにしたが、せっかくの優良ドライバーカードが、なくなってしまう。
イギリスでの免許証も持っているが、有効期間15年、これも、切れているはずである。
日本に帰国したとき、日本の免許証の更新を忘れて一度失効している。
忘れるというのは、必要性を感じていないからで、日々運転している人なら、こんな事はないであろう。
これから生きている間に、車を運転することがあるのかどうか。
私は地理オンチだし、バックと車庫入れがダメなので、日本に住んでいる間は、自分から運転することはないような気がする。
免許を取ったのは40代に入ってからだが、試験場では優等生で、試験も一度でパスした。
何のきっかけだったか忘れたが、急に免許を取ることを思い立ち、教習所に通った。
教習は面白かったが、一度、教官のあまりの暴言に、教習中の車から降りてしまったことがある。
教習所の責任者が割って入って、その後の教習は、スムースに行った。
免許を取ってから3年位は、一生懸命運転した。
スーパーやデパートの買い物、連れあいを駅に送る、スポーツで怪我した息子を学校まで届けるなど、家族の足にもなっていた。
ただ、知らないところに行くのは、相当緊張した。
よく道がわからなくなり、道ばたに止めて、地図を見たり、バスの後ろについて行ったりした。
進入禁止の道に入って、怒られたこともある。
病気をして、何度か入退院を繰り返している間に、車の運転は、もともと向かない上に、相当のストレスになっていたことがわかった。
そのうちに、亭主の転勤でイギリスに行くことになり、海外運転免許に切り替えたものの、あちらでは、ついに運転せずに過ごした。
日本に帰ってからも、避暑地で、何度かハンドルを握った位である。
もう、運転免許などなくてもいいのだが、何かの必要性が生じたとき、はじめから取り直すのは不可能だと思うので、持っていることにした。
運転の中では、高速道路の走行は好きだった。
バックと車庫入れがないし、信号もなく、ひたすら前に進めばよい。
「旧日本軍だね」と連れ合いが笑う。
中央道の走行は、ひと頃私が半分位は運転した。
一般道に降りてから、連れ合いに変わる。
道を間違えるからである。
今は、助手席に座って、口で連れ合いの指南役を務めている。
連れ合いの方は、30年前に南米で免許を取り、今や私の運転手として、なくてはならぬ存在である。


情報の行方
2003年09月15日(月)

2,3日前から家の「秘書」が、なにやら慌ただしい。
さるところから、地震に関する情報が来て、それがかなり確信に満ちているというので、備えをしているわけである。
ゴルフの予定を取りやめ、風呂場に水を張ったり、預金通帳や年金証書をまとめて、手元に置いたりしている。
流星と、電波の関係で、地震を測定するとか。
詳しいことは、聴いたが、忘れた。
前に、2000年問題の時も、秘書は、カセットコンロを買ったり、ペットボトルに水を溜めたりしていた。
私も、息子夫婦も、あまり同調しなかったので、「何かあっても知らないぞ」と怒っていた。
結果的には、何事もなく終わり、それで良かったわけだが、この種の情報は、人により、受け取りかたが違うであろう。
何が正確な情報かと言うことは、実は、よくわからないのである。
受け取り方によっては、流言飛語となり、何も起こらなければ、それが一番良いわけだが、逆に「あの話はウソね」と言うことになってしまう。
秘書は典型的A型人間、備えあれば憂いなしを地でいく。
常に理想というものがあって、それに近づくべく努力する。
綿密に計画を立て、すべてにわたって気を配る。
現役の頃は、危機管理能力を買われて、そちらのほうでも活躍していた。
私が社長だったら、ブレーンとして、いの一番に取り立てたいひとである。
私のほうは、対照的なO型人間、よく言えばおおらかだが、ずぼらで、計画性に欠け、ノーテンキである。
決して、太っ腹でもないのに、「何とかなるわよ」と、どこかで肝の据わったところがある。
夕べは、私も、秘書の指導で、預金通帳をまとめたり、保険証と診察券を集めたりしたが、あまり本気になれなかった。
「天災は忘れた頃にやってくる」というのは、本当だと思う。
だから、備えがあれば、それだけ、安心なのかも知れない。
私の歌の先生は、阪神大震災のあと、極度の地震恐怖症になり、大きなリュックを買って、毎晩、中身を点検し、必要なものを、時々入れ替えて、枕元に置いていた。
ある時、試しに背負ってみたら、あまりに重くて、立ち上がれなかったという。
これじゃあ、地震よりもぎっくり腰のほうが心配だというので、また、中身を点検し直し、3分の1くらいに減らしたらしい。
つい笑ってしまったが、先生のほうは本気だった。
弟子達が、真剣に聴いてくれないと気を悪くし、「あなた達、そんな心がけじゃあ、地震の時はあの世行きね」と怒った。
プリマドンナが、ベルカントで、喋るのだから、迫力はあったが、みな、神妙な顔はしつつも、先生に見習って、リュックを用意した人は、あまりいなかったようである。
戦争体験があったり、戦後の混乱期に生活上の苦労をした年配者の話をきくと、程度の差はあるが、イザと言う時の、何かしらの備えはしている。
知り合いや親族で、食料や燃料などを、倉庫に分割して保管し、まさかの時は、無事だったほうから提供する約束になっているという話もきいた。
さすが、と感心するが、かといって、真似をするところまで行かないのは、危機感が薄いからであろう。
家の秘書だって、騒いでいる割には、それ程の処まで行かない。
第一、私が足の骨を折っているのに、この重い体を抱えて逃げてくれるとは、とうてい思えない。
「少し体重を減らせ」などと言うが、何十年もかかって増えた体重は、減るのも、同じだけかかるのである。
「万一の時は、置いて逃げて。決して恨みませんから」と言ってある。
今朝も秘書は、救急箱など開けて、「包帯はある。消毒薬もある。バンドエイドは足りるか・・」などと、点検している。
それを聞きながら、私は、新しく始まった連句の行方のほうが、気になっている。


妖しい話
2003年09月14日(日)

テレビで、自民党総裁選の番組など見ていたら電話。
月に一回行っている、東京郊外の連句グループの男性である。
足の具合を尋ねたあとで「ちょっと教えていただきたいんですけど・・」という。
「お役に立つかどうかわかりませんが・・」と言って、質問に対して、私のわかる範囲で、答えた。
内容は、前回私が行かれなかったときの、連句付け合いについてだった。
恋句に閨の情景を言った句があり、次に、阿修羅が来ているのがわからないと言う。
「この恋は、力のある人に、半ば手籠めにされている女の気持ちを言ったものでしょう。
次に阿修羅の句が来るのは、そう言う心の状態を受けたんじゃないでしょうか。」
ああ、そうですねと、向こうは納得した。
「でも、肌を差し出す、という表現はちょっと引っかかります。肌を許すならわかりますけど・・」と付け加えた。
窓を開け放って喋っているので、もともと小さくない私の声は、電話ではなおさら大きくなり、窓越しに連れ合いのいる2階の部屋にまで聞こえたらしい。
「凄い話をしてるんだなあ」という。
連れ合いは連句はしないが、私がパソコンの出来ない頃、連句の清書をやらされたり、普段の会話に時々出たりするので、連句が森羅万象すべてを、扱う遊びだと言うことは、何となく理解している。
確かに、朝っぱらから、閨の話や、肌を差し出すのがどうのこうのと、知らない人がきいたら、何事かと思うであろう。
「まあ、近所の人に変な誤解をされても困るから、そんな話になったら、窓は閉めた方がいいよ」と笑っていた。
いつか夜遅く、連句仲間の女友達から電話が掛かってきて、連句に引っかけて男の品定めになり、女同士の気安さで、あれこれ喋っていたら、寝たはずの連れ合いが降りてきた。
「君は、どんな連中と付き合ってるんだい。あの手の男はおいしくないなんて、ゲラゲラ笑って、人がきいたらビックリするよ」という。
「アラ、連句の話よ」と言ったが、「こんな夜中、君の話は全部周りに聞こえるぞ」という。
「声は聞こえても、内容まではわからないでしょ」と言ったのだが、草木も眠る丑三つ時、いい年をした女が、きわどいことを言っているのは、確かに、ぞっとする光景ではある。
私の書斎は、道路から2メートルくらい離れているが、風向きによっては、遠くまで聞こえるかも知れない。
気を付けようと思った。

都内の喫茶店で、月一回連句をやっている。
12,3人が集まって、三席に別れて連句を巻く。
巻きながら、それに関連した話題も弾む。
色恋の話ばかりではないが、当然、会話の中には、それも入ってくる。
周囲には、関係ない客もいるので、もし聞き耳を立てたら、いったい何のグループかと思うであろう。
時々、気が付いて、声をひそめたりするが、すぐに忘れて盛り上がってしまう。
気取らずに、そんな話も出来るのが、ある程度年を重ねた男女の付き合いの良さである。
今日の電話の相手は、和より5,6年上の人。
「どうぞお大事に」と言って、話が終わった。


あつい秋
2003年09月13日(土)

このところの暑さはどうだろう。
今頃になって、酷暑の夏が戻ってきた感があるが、台風、あるいはそれに似た気象の変化から来ているようだ。
今朝、私のために、10月の新幹線の切符を買いに駅まで行った連れ合いが戻ってきて、「いやあ、あつくて参ったよ」というなり、浴室に飛び込んで、シャワーを浴びた。
家の中でジッとしている私のほうは、大きく開けた窓から入ってくる風と、扇風機で、それ程には感じない。
それでも、室内温度が30度を超えると、さすがに冷房を入れたくなる。
この夏はあまり冷房を入れずに過ごしたような気がするが、秋も半ばに入ってからの暑さはこたえる。
でも、空は秋だなあと思う。
日の光は、少し低めになっているし、雲の形も、夏ではない。

今日は新宿で連句があるはずだが、ギブスをした状態では、出席ならず。
今頃は、連句も終わり、愉しく飲んでいるのだろうと思うと、ちょっと悔しい。
飲み屋で転けたなんて、みっともないので、こちらからは言わないでいるが、それでも、日ごろ交流のある人には、だんだん伝わって、見舞いの電話やメールが入ってくる。
メールは、6月になってアドレスが変わり、限られた人にしか教えてないので、そう多くはない。
「退屈しのぎに、文音のお付き合いしますよ」とメールをくれたのは、私のネット連句の常連の一人。
ちょうど6人で、ネット連句を始めるところだったので、その人も誘うことにした。
折角だから両吟で、ネット上のあつい恋でもしようかと、ちょっと心が動いたのだが・・。
連句のいいところは、虚構の世界を、愉しめること。
舞台の役者になったつもりで、実生活では、縁のなくなってしまった恋を、たっぷりと演じることが出来る。
虚構の世界ではあるが、やはり嫌いな人とは出来ない。
両吟でやるなら、相手が心憎からぬ男であれば、愉しみは倍加する。
それには、連句の実力が、ほぼ拮抗していることも大事である。
力の差があまりありすぎると、片方が先生になってしまい、教室のようで、あまり愉しくない。
それ以上に、必要なのは、感性の合うこと。
打てば響くようなものが感じられないと、世界が広がっていかない。
ある時、私は、両吟で、これ以上得られないのではないかと思うような、充足感を味わった事がある。
自分で意識していないものが、体の奥底から引き出されたような、一種のエクスタシーに近いものを感じた。
面白いように、句がどんどん出てきた。
私にとって、最高の付け合いであった。
そんなことは滅多にない。
第一、両吟を設定すること自体が、難しい。
実力だけでない、いろいろな意味での相性があるからだ。
巻いているときは、お互いに対して、熱くなり、一種の疑似恋愛に陥っているようなものだから、ある程度のリズムと、集中力が必要である。
その状態を、終わりまで持続させるのは、それほど簡単ではない。
途中で、熱が冷めてしまうと、倦怠期の夫婦のように、中身の薄いものになってしまう。
この9年間に、わたしの両吟経験は、数えるくらい。
今年になって、一巻、巻いたが、時間ばかりかかって、お互い、あまり燃えなかったような気がする。
両吟で、感動と迫力に満ちた一巻が出来たら、その相手に、少しばかり悪いところがあっても、許せそうな気がする。
いつか、そんな機会に恵まれたいものだと思う。
4,5人での付け合いは、それ程濃密なことはない。
メンバーに、多少力の差があっても、うまく適応できるので、ネット連句としてはちょうど良い。

連れ合いは、夕方からサッカーを見に行った。
もう阪神の優勝は近いことだし、巨人ファンとしては、今年はいい年ではなかった。
明日も暑くなりそうだ。


舞台の裏表
2003年09月12日(金)

自民党の総裁選だの、都知事の言動に関することなど、世の中の話題はさまざまあるが、そんなことの評論や、意見は、どこぞの議論好きがやるだろうから、私は、やはり、自分が見聞きしたことを、シナリオにして、ドラマを組み立てていく方が面白い。
小さな世界でも、人が集まれば、何かしらの悲喜劇が生まれる。
渦中の人はそれなりの苦労があり、権謀術数も働かせなければならないが、外から見る分には、割に冷静に人の動きを捉えることが出来る。
主導権争い、それにまつわる人の動き、昨日の敵が今日の友、その逆もあり、興味は尽きない。
善人と悪人、昔の芝居には、見るからにキャラクターがそれとわかる装いをしていた。
しかし、現代劇は、少し複雑である。
良い人だと思っていると、これが実はとんでもない悪人だったり、見たところは、いかにもワルそのものなのに、本当は、繊細でやさしい人だったりする。
付き合いの中で、試行錯誤を重ね、何度か裏切られたり、傷ついたりしながら、だんだん自分なりの判断と、見る目を養って行かねばならない。
同性に関しては、かなりわかるし、見抜くことも出来る。
最近、私は、まえから親しくしている女性を、友達のカテゴリーから外す事にした。
誰とも親しくし、どこにでも、出かけて行き、頭が良く、才能がある。
彼女と話していると、話題が弾むし、情報も沢山持っているので、つい気を許して、こちらも、いろいろなことを喋ってしまう。
友達づきあいをするには、お互い誠実でなければならないが、1年近く付き合ってみて、彼女には、誠実さは期待できないと判断した。
私に悪意を抱く人たちとも、うまく付き合い、それは大人の知恵だからいいとしても、彼女を信頼して話したことも、向こうには、筒抜けだとわかったからである。
節操のない人は、やはり信頼できないし、友達とは呼べない。
今まで通り、付き合うが、一線を引くことにした。

それとは別に、私が直接関わっていない人たちの間でも、いくつかの対立する動きがあって、そこに、複数の人たちが絡み、勢力図が大きく変わりそうである。
そんなところに、本来権力とは無縁であるべき小さなグループまで、取り込まれて、片棒を担いでいたりする。
旗揚げ公演と見まごうような集まりに、意外な人が招かれていて、アラ、あの人は、あっちの派じゃなかったの?とビックリするが、老獪な大人達のドラマは、混沌として、行方が定めがたい。
こうなると、主役にも、悪役にもなれない人間は、己の分を守り、誰とも争わない代わりに、誰の配下にもならないという、態度を貫く以外にないが、これが案外と難しい。
人は、孤独には、弱いものである。
強がりを言って、孤高を保っていても、寂しさはいかんともし難い。
妥協して、適当なところで折り合いを付けて、どこかの傘の下に入ってしまう方が楽であろう。
でも、それを潔しとしない、私のような人間も、ホンの少数であるが、存在する。
人から見ると、可愛げがないから、あちこちで虐められるし、疎外されることも少なくない。
門戸を開いて、誰にでも声を掛けているかのような集まりなのに、「ご遠慮下さい」なんて言われたりする。
そんな中で、へつらったり、ありもしない色気で、陰の実力者に近づくのは、こちらのプライドが許さない。
人に喰わしてもらってるわけじゃあ、あるまいし。
志す道は、ただ一つ、自己の詩心を磨き、それで、勝負する。
それしかない。
あらためて、その意を強くしている。

10月の国民文化祭に行くことにした。
今朝連れ合いに指定券を買ってきてもらった。
連休初日なので、希望の時間からかなり遅い列車になってしまったが、とりあえず確保した。
それまでに、足がすっかり治るといいのだが・・。

夕べのお月見連句は、盛会だったらしい。
骨のことさえなければ当然参加してたのに。
でも、友達から様子を伝える電話があった。

流言飛語のたぐいかも知れないが、今月16日、17日を中心として、大地震があるとか。
連れ合いの処に、しかるべき筋から入った情報だが、ホントだろうか。
明日から、風呂場に水を張っておこうかと、連れあいが言った。



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