沢の螢

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昔の名前で出ています
2003年10月01日(水)

今朝のテレビで、見聞きした話題。
名前を変える人が、増えているそうな。
ペンネームや芸名でなく、戸籍上の名前の話である。
親からもらった名前が気に入らない、人生をやり直すために名前を変える、姓名判断で勧められた、名前を変えることで、別の人格を生きたい・・・など、さまざまな理由があるらしい。
私の親族でも、姓名判断で名前を変えた人がいる。
それ程簡単なことではなかったと聞いているが、読み仮名はそのままで、漢字を変えたのであった。
今日のテレビは、漢字の名前の読みが難しいので、カタカナやひらがなにした例、失敗の多い人生を、名前を変えることで、出直したい人、いくつかの仕事を掛け持ちしていて、それぞれの場所で、別の名を名乗っている例などを紹介していた。
姓名判断で名前を変えた奥さんが、夫にも勧め、「親からもらった名前だから」と、抵抗を受けている場面もあった。
息子が、知らない名前を名乗っていることを知って、ビックリしながらも、「本人の生き方だから」と、理解を示す親の表情も、映していた。
名前を変えることで性格が変わり、人生が愉しくなったという人もいた。
前向きに生きることが出来るなら、それも、いいことなのではあるまいか。
戸籍上の名前を変えるのは、手続きが面倒だからと言うので、通称として、別の名を名乗っている人もいた。
こういう現象が増えてきたのは、ひとつには、インターネットの影響もあるかも知れない。
ネット上では、ハンドル名を名乗ることが普通だが、使っているうちに、それも自分の本当の名前のような気がしてくる。
私は戸籍上の名前がちょっと変わっているので、「ペンネームですか」と訊かれることもある。
苗字はごく平凡だが、名前のほうは、生まれてこの方、同じ名前の人に出会ったことがない。
子どもの頃は、名前で虐められたこともあった。
どうしてこんな名前を付けたのかと、親を恨めしく思ったものだった。
しかし今は、その名前でないと、私ではないと思っている。
まず、この名前を変えることはないだろうと思う。
しかし、ネット上の名前なら、たびたび変えて、名前に合った人格を演じてみるのは、愉しいのではないだろか。
私は結婚して、夫の姓を名乗ることになったが、旧姓よりも今のほうが、名前には合っている。
夫婦別姓も、やがては珍しくはなくなるだろうが、私の若い頃は、女性は夫の姓を名乗るのが普通だった。
とてもいい名前なのに、結婚したら相手のつまらぬ姓に変わって、惜しいなあと思った人もいる。
学生時代の友人と会うと、自然に昔の名前を呼んでしまうが、その名前で付き合っていたのだから仕方がない。
昔の名前で呼ばれると、今は、かえって新鮮な気持ちになる。


九月尽
2003年09月30日(火)

庭の木犀が花を付けはじめ、いい香りを漂わせている。
せいぜい、10日か2週間くらいの間しか咲かないが、私の住んでいる地区には、木犀が多く、今頃道を歩くと、あちこちからこの花の匂いがしてくる。
毎年家に来る庭師が、心得ていて、花の終わった頃を見計らって手入れに来てくれる。
「時期を見て、お願いします」と、先日、電話を掛けておいた。

足の指を骨折してから今日で40日、はじめて靴を履き、一人でバスに乗って、整形外科に行った。
ギブスが取れてからは、家の中で少しずつ歩き、家の中の仕事も、夫の手から私に戻りつつあるが、外に出るのは不安だった。
でも、10月にはいると、連句の行事やそれに絡んだ小旅行、親の顔も見たいし、大学の公開講座など、社会復帰しなければならない。
「途中で、ダメだと思ったらすぐ電話しなさい。待機してるから」と夫に言われ、ケータイを持って出た。
バスの時間を調べておき、あまり待たずに乗った。整形外科までバスで3停留所、歩いても行ける距離である。
火曜日の午後なので、すいていて、あまり待たずに順番が来た。
レントゲンを撮ってみると、新しい骨が出来ていて、少しずつ快復しているが、最初の段階で、ずれてしまった箇所は、まだ隙間が出来たままである。
しかしこれ以上、ずれることはないし、あとは、時間が治してくれますと言われ、帰ってきた。
来週末からの旅行も、跳んだりはねたりするものでなければ大丈夫だと言われ、ホッとした。
歩くとき、折った方の足を引きずる感じがあるが、多分、だんだん気にならなくなるのだろう。
帰りのバスを待つ間、気温が下がり、日が西に傾いて、秋の気配を感じた。
行くときは、午後の日差しの暑さで、少し汗ばむくらいだったのに、わずか1時間半ほどの間に、変化していたのだった。
これからは、日も次第に短くなり、3ヶ月で、今年も終わる。

先週末に、私のパソコンのモニターを修理に出した。
この1年ほどの間に、いくつもの横線が入ってしまったので、メーカーに言うと、液晶画面の故障なので、直すか取り替えますと取りに来た。
10日か、2週間と言われたので、その間は予備の98を使っていたが、今朝、「修理が終わったので、発送しました」と連絡があり、すぐに品物が届いた。
液晶パネルを交換したとのこと、画面は新品になったわけである。
ブランクは、正味4日間、インターネット生活には、ほとんど支障なかった。
綺麗になった画面を見ていたら、あちこちいじりたくなり、整形外科から帰って、早速、サイトの更新をした。
今月最後の日記、平穏に終わる。
昨年来引きずっていたことに、自分でケリを付け、誠実でない人たちと、あらためて、はっきり訣別し、前向きに行くことにした。
世の中から離れて、一人静かに過ごしたことは、私にとって良かった。
明日から日記ページも、新しくなる。


半角の距離
2003年09月25日(木)

半角の距離で付き合う利口者

これは、どこかの連句座で付けた私の句である。
パソコンに縁のない人もいたので、解らないかも知れないと思いつつ出したが、インターネットとは無縁でも、ワープロはほとんど出来るらしく、すぐに採ってもらった。
大人の付き合いというのは、まさにこうしたものなのであろう。
「あなたは人と深く付き合おうとするから、すぐに傷つくし、相手にとって、負担になるのよ」と言ったのは、飲み友達の一人である。
「あなたの歳で、そんなにピュアでいられる人って、珍しいわね。それで過ごしてこられたんだから、むしろ幸せね」と言ったのは、何かにつけて、相談役になってくれる年上の友人である。
ずっと定年まで社会の一戦で働いてきた人たちから見ると、私は、人生経験が乏しく、人づきあいが下手で、いつまでも子どもだと言うことになるのであろう。
自分に非がなくても、何かあったときの原因になってしまうのは、それだけ、立ち回り方が稚拙だからであろう。
だから、そんなことをよく知っている人は、私のような人間をあおり立てて、自分は表に出ずに、代理戦争をさせるのである。
最近、そういうことが、やっと解ってきた。
現在、私の周辺では、ひとつのことを巡って、侃々諤々の事態が起こっているようである。
私に足の骨折というアクシデントがなければ、その中に巻き込まれていたかも知れない。
幸いというのか、ひと月、人里から離れていたお陰で、ホットな現場に立ち入らなくて済んでいる。
ところが、私の足の快復を待っていたように、その現場に引きずり込んで、旗振りをさせようという誘いがかかってきた。
一見正義の旗印のようであるが、本当は、それぞれの権力の争いに、私のようなおっちょこちょいを利用したいのである。
シュプレヒコールには、声の大きな人が必要だし、正論を吐きたがる私なら、すぐに乗ってくると、見ているのであろう。
冗談じゃない。
無視することにした。
権力には、無縁のところにいたい。
私は利口者ではないが、このことに関しては、正確な情報を持たないことを理由に、半角どころか、全角の距離を置くことにした。
私にとって大事なのは、自分にとっての正義は何かと言うことである。
心の自由を何より大事と考え、それを損なう相手には、戦いを辞さないが、目標は高く置きたい。
今、周辺で起こっていて、百家争鳴のごとく聞こえてくる現象は、私の価値観から言うと、戦いに値しない。
だから、参加しないのである。
昨年、事柄は違うが、似たような現象があった。
私は海外旅行に行っていて、そこから距離を保つことが出来た。
今回は、足の骨のお陰で、こちらの意志とは関係なく、浦島太郎になっている。
私が現場に登場する頃は、事態も、かなり変わっているであろう。
しかし、こんな風に、自分の身の振り方について、少し慎重になってきたのは、元々の私の性格から言うと、決して良い傾向ではないのである。


崩れた薔薇
2003年09月23日(火)

昨年、私の誕生日に、息子夫婦が、花瓶に入った真っ赤な薔薇を贈ってくれた。
それは、本物の薔薇の花を、特殊な加工をして、そのままの色と形を保ったまま、薄い灰緑の花瓶に活けたものだった。
「これは造花じゃないんですけど、水をやらなくていいんです」と息子の妻が言い、食堂とキッチンの境にある棚の上に、飾ってくれた。
そこは花瓶の置く場所で、時々花を生けたり、花の代わりに、果物の鉢を置いたりしていた。
人が歩くそばではあるが、そこに花があることで、キッチンの目隠しにもなり、対面式の流し台の奥から、居間と食堂が、花瓶越しに見えて、いい雰囲気を醸していた。
それが、今日、花瓶ごと床に転がってしまったのである。
花瓶のそばには、果物鉢があり、夫は買ってきた林檎をそこに入れようとして、花瓶に腕が触れてしまったのだった。
水の入っていない花瓶はガラスや瀬戸物ではなく、軽い樹脂のようなもので出来ていて、簡単にひっくり返ってしまったのだった。
その時の夫の一声が「こんなとこに置くほうが悪い」だった。
私は、床に転がった花瓶を起こし、バラバラに崩れた花を拾いながら「そんな言い方はないでしょう」と言った。
今まで、10数年、花瓶の置く場所だったところである。
「そこに花があると、君の顔がほどほどに見えて、丁度いい」なんて、冗談を言ったのは夫である。
場所が悪ければ、前からそう言って、置き場所を変えればいい。
それに、過ちだとしても、そんな言い方はないだろう。
「あ、悪かったなあ」と言えば、こちらも「こんなところに置かなければ良かったね」と言える。
最初に夫が、自分の過ちを、人のせいにしたことで、私は、口をきく気がしなくなった。
他人ならこんなことはない。
すぐに謝るし、相手も、咎めるよりは、むしろ、慰める対応をするだろう。
それで、お互い、傷つかずに済む。
なまじ夫婦だから、そんなことになるのである。
しかし、夫はその直後に、卵を二つとり落としてしまった。
もともと不器用な人なのである。
にわか主夫になって、ひと月、買い物も、洗濯もしてくれて、私の足を庇ってくれているが、大分疲れが出ているのだろう。
花瓶を落としたことで、自分もショックを受けているのである。
そして、思わずいってしまった一言が、私を傷つけたことも、わかっている。
そんな気持ちの動揺が、卵なのだった。
何か言ってあげればいいのだが、私は、黙っていた。
そんな気になれなかった。
崩れた薔薇は、わたしの心のような気がしていた。
「この卵、どうしよう」というので、「何かに入れておけば、オムレツにでもするから」と、そっけなく答えた。
ケンカの時、私は言うべきことは言ったあとはダンマリを決め込む。
何日でもそれで通せる。
夫のほうは、黙っていることに耐えられない。
ケンカの原因とは関係ないことを、あれこれ話しかける。
それに対し、私は最小限の返事はするが、決してこちらからは話しかけない。
若いときは、もっと、ホットなケンカをした。
さすがにつかみ合いには至らないが、激しく言い合った。
その間にあって息子は、どちらにも付くことが出来ず、子どもの時は、それなりに苦労したようである。
だんだん歳をとり、二人とも、ホットなケンカをする情熱がなくなり、気まずくなると、自室に入って、それぞれの世界に閉じこもる。
今や、家庭の平和は、スペースの問題である。
なるべく顔を合わせないように、空間があることが必要条件である。

夫は、卵を片づけると、午後からの外出の支度をするべく、2階に上がっていった。
私は、無惨に崩れた深紅の薔薇の花びらを、一枚一枚テーブルに広げ、少し涙をこぼした。


野分
2003年09月22日(月)

ここ数日、地震が起こったり台風が来たり、それと共に、気温も下がってきた。
昨日あたりは、かなりの雨でもあった。

ひと月も、逼塞していると、自分の所属している集団の動きさえ、わからなくなってくる。
何かが起こっているらしいのだが、自分で直接見聞きするところにいないので、今は関心の持ちようがない。
でも、現実の場にいる人たちは、まさに渦中に身を置いているので、その中で、それぞれ、考えたり、動いたりしているわけだが、外から見ると、所詮コップの嵐にしか見えない。
だから、当事者達と、外から眺めている人との間に、温度差が出て来るのは、仕方がないことである。
電話やメールで、断片的に耳にし、今起こっていることについて、意見をきかれても、判断の材料がないのである。
「何も言うことはありません」としか言えない。
すると、「そう言う態度は良くない。みんなの問題として、一緒に考えるべきだ」とのメールが来た。
ひと月家に閉じこもっている人間に、何を基準に考えろと言うのか。
わたしが責任を持って言えるのは、自分の身に起こったことだけである。
直接話をきいてもいない人たちのことは、それこそ、事実関係を正確に知らなければ、軽々しく意見は言えないことであろう。
そのように返事し、「こういうことは、メールでなく、ちゃんと顔を見ながら話しましょう」と結んだ。

メールでは、苦い思いをしている。
私が、ある場所から去る羽目になったのも、もとはと言えば、舌足らずなメールから始まったことだった。
長いこと、休んでいる人たちがいたので、「何かあるのでしょうか」と気遣うメールを、リーダー格の人に送ったことから、自分がやめる話にまで発展してしまったのだから、皮肉なことである。
誰が休んでいようが、知らん顔していれば良かったのである。
「誰も、人のことなんか気にしてませんよ。ほっとけば良かったんですよ」と、わたしがやめたあとで、ほかの人から言われた。
わざわざ電話で言うことではないが、メールなら手軽に訊けると言うことがあり、訊いてみる気になったのである。
そんなことは、その当事者達は知らない。
やめたきっかけは、別の話ではあったが、それまでの経緯には、メールがなければ、なくて済んだだろうと思える、マイナス情報が働いている。
顔を見て話したことは一度もないのに、メールは、その相手を、自分に近い存在と思わせるまやかしを含んでいる。
よく考えると、人間関係と言えるような繋がりさえ、本当はないかもしれないのに、あるかのごとき錯覚をするのである。
そして、ないはずの関係が壊れ、それで現実の人間が傷を受けている。
考えてみると、バカな話である。

きのう、「あなたを友達だと思っているから」とメールをくれた人に、「私も同じです。だから大事な人とは、メールで遣り取りしたくないのです。近いうちに、直に話したいですね」と返信した。
「実は私も、誰ひとり援軍のない中で、たった独りの戦いをしています。でも、その代わり、人に借りを作らなくて済むから、気楽です。
スターリン時代のソビエトじゃあるまいし、理不尽な『粛清』には、戦わなくちゃなりませんから」と、付け加えた。
多分、向こうは、私の言わんとすることは、わかってくれたと思う。

どうやら台風は過ぎたようである。
午後から爽やかな風に変わった。


彼の日の君はいま・・
2003年09月20日(土)

連れ合いは朝から合唱の練習に出かけた。
大学時代、私たちは、同じ合唱団にいた。
女性の少ない大学なので、混声合唱は、学内の学生だけでは成り立たない。
そこで、女声だけを近くの女子大から募り、混声合唱団として、活動していた。
私は、混声合唱の経験は初めてなので、大変興味があり、先輩に誘われて、入団した。
そこでの4年間は、充実して愉しかった。
二十歳前後の若者の集まりだから、歌の活動以外にも、それを通じての友達づきあい、当然、恋も葛藤もあり、波乱に満ちた青春を送った。
貧しく、しかし、心豊かな時代だった。
その時は、どうしてこんなつらい思いをしなくちゃならないのと思うようなことが沢山あったが、いつも心があつく燃えていた。
その頃のスナップ写真は多くモノクロである。
男性は、黒い詰め襟の服、夏は、白いシャツに下駄なんか履いている。
女声も、質素なブラウスとスカート、革の鞄だけが、唯一贅沢な持ち物だった。
合唱の練習は週に2回あり、終わると「沈殿」と称して、喫茶店に入り、会話を愉しんだ。
年に一度の演奏会は12月にあり、その年に練習した曲の中からプログラムを組んで、行う。
夏と春には、4泊5日の合宿があり、高原や海辺に行った。
そんな中で得られたことは大きい。
卒業後も、時々同期会をやっていたが、最近は、複数年次に渡っての集まりも出来、そこで昔の歌を歌ったりする。
来年、51回目の定期演奏会がある。
現役学生のステージに加えて、OBも参加することになり、私たちも、参加することにした。

夕方、連れ合いが、昨年の集まりの写真をもらって帰ってきた。
連れ合いの隣で、笑って写っているのが、昔、合唱団のマドンナと言われた人である。
シャープな顔立ちで、一世を風靡した。
彼女に、心を奪われた男性は多い。
しかし、本命と思われた男性は、別の人と結婚し、彼女は、全く違う世界の人と、見合い結婚した。
今は、オペラのアリアをレッスンしていて、今月末に、発表会がある。
わたしが惹かれていた人は、背の高い痩せたテノール、神経が繊細すぎて、かみ合わず、私の片想いに終わってしまった。
毎年同期会で会うが、その妻は私の友達である。
年月が経つことの素晴らしさは、何もかもが、セピア色の額に入り、時々取り出して、穏やかに眺めることが出来ることであろう。
来年のステージ、昔の仲間とモーツァルトのミサを歌う。
今から楽しみである。


カラス来訪
2003年09月19日(金)

昨日から、家の中では、少しずつ歩くようにしている。
まだ、左右がアンバランスで、健康な方の足に負担がかかるので、あまり長く立ったり、速く歩いたりは無理である。
夕べは、12時前に寝た。
「君は、この頃不健康だぞ」と言われ、私自身も反省しているので、深夜族から、徐々に脱皮しようかと考え、まずは、その日のうちに寝ることを目標にした。
今朝は、連れ合いがゴルフに行ったので、私もついでに早起きし、ホームページを見たり、始まったばかりの連句の書き込みをした。
まだ、パジャマのままだった。
さあ、これからシャワーを浴びて、と思っていたら、裏口のインターフォンが鳴る。
玄関の場合は、速達か、宅配便だが、それにしても、まだ9時前だからちょっと早い。
裏口から来るのは、大体セールスか、宗教などの勧誘。
「今手が離せないので」と断ればいいので、出た、
すると、近所の奥さん。
「お宅のゴミを、カラスがつついてます」という。
「済みません」と、足のことを忘れて、パジャマの上にエプロンを掛け、素顔に、口紅だけ塗って、裏口から出た。
ゴミは、スーパーのレジ袋に入れ、それを更に、丈夫なプラスチックの籠に入れて出すが、袋のゴミが、籠の周りに散乱している。
生ゴミは匂いが洩れないよう、ポリ袋に入れたものを、広告の紙で何重にも包んで、紙などのゴミの間に入れて出すのだが、今朝、連れ合いは、急いでいて、それを怠ったと見える。
量も少ないので、それ程厳重にしなくても大丈夫だと思ったのだろう。
私の地区は、ゴミは、めいめいの家の前に、出す決まりである。
だから、よその家にまで、ゴミが散らからなかったのは、幸いだった。
でも、時間が経ち、風でも吹けば、そのうち、あちこちに散乱してしまう。早く教えてもらって良かった。
急いで、道路を掃除し、ゴミを包み直し、デパートの紙袋に入れ、籠の上から段ボール一枚を被せて、置き直した。
教えてくれたのは、2軒先の奥さん。
こちらを気遣う様子で見ていたので、「有り難うございました」と礼を言った。
包帯をした私の足を見て、「どうしたの」という顔をしたので、「骨を折ったの」と、口の形で教えた。
「アラ」と、奥さんはすまなそうな顔をした。
わかっていれば、自分がやって上げたのに、と思ったのだろう。
また、連れ合いが、リタイアして、今は家にいることがわかっているので、手を出すよりも、教えてあげた方がいいと判断したのかもしれない。
私は、近所づきあいは得手でないので、挨拶程度だが、この奥さんは俳句をやっているので、顔が合うと、そんな話をする。
カラスのお陰で、私はひと月振りに、裏口に出ることになった。
「ゴミは出してあるから、帰るまでそのままにしておきなさい」と言って出た連れ合いは、留守中にそんなことがあったと知ったら、さぞガッカリするだろう。
とんだところで、リハビリ訓練になった。



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