沢の螢

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取材
2003年10月27日(月)


今朝私のところに、某新聞社から取材があった。

夫は、私より3年早くパソコンをはじめ、1年後には、ホームページも公開した。
2000年暮れのことである。
その頃、私はやっと、市のIT講座で、メールの操作を覚えたばかりであった。
その少し前に、ささやかな専用の書斎を、居間の続きに作った。
台所にも繋がり、ベランダにも行ける。
勝手口からゴミを出すときも、書斎から出られる。
つまり、主婦としての仕事をしながら、いつでも書斎に移動できるようにしたのである。
2階の端に、小さな和室を作ってあり、はじめはそこを私の部屋とするつもりだった。
また、息子が結婚して別に住むようになってからは、息子の部屋を、私の書斎にしてもよかったのである。
ところが、すぐに、2階の部屋というのは、主婦の書斎には向かないことに気づいた。
宅配便が来れば、玄関に行き、洗濯が済めば、干さねばならない。
台所には、始終用があるので、その度に、下に降りなければならない。
結局、私の生活現場は大半一階の台所と居間のあたりであり、すぐに外に出られる場所でないと、ダメなことがわかった。
結婚以来、私は自分の書斎というものを、持ったことがなかった。
逆に言うと、家全体が、私の場所と言えなくもなかったのである。
掃除をしたり、衣類を整理したり、私は家のどこにでも出没するので、食卓の隅で手紙を書き、煮物をしながら本を読み、テレビを見ながら、子どもの布団を掛けに行き、どこか一カ所で、長い間落ち着いていると言うことは、なかった。
だから、書斎などというものの必要性も、あまり感じなかったのかも知れない。
しかし、私の両親が同居したとき、私は自分の部屋が欲しいと思うようになった。
たとえば、きょうだいたちや、親の知人、友人が訪ねてくる。
居間や食堂で、親たちと歓談する。
その時、私は、茶菓の接待をするが、客が帰るまで、いるところがないのである。
親しい人なら、自分も一緒に加わる。
しかし、お茶を出して、すぐ引っ込んだ方がいい場合もある。
その時は、私は2階の寝室に行くか、息子の部屋に行くが、いずれにしても落ち着かない。
私の生活圏は、一階にあるからである。
台所に行くと、親の客達と顔を合わせるので、向こうが気を使う。
客人と距離を置き、しかも、気配のわかるところで、お茶などに気を配るためには、私は、2階に籠もるわけに行かないのである。
そこで、扉を閉めれば独立した部屋になり、開ければ居間と続いたワンルームにもなり、しかも、台所やユーティリティの動線の延長範囲に、私の書斎兼家事室を作ったのであった。
ちょうど夫がリタイアし、家にいるようになって、私の部屋の必要性を理解してくれたからでもある。
すでに、親たちが、別のところに引っ越してしまったのは、何とも皮肉なことであった。
それから私は、机を買い、専用のパソコンもセットして、IT生活に参入した。
自分のホームページを立ち上げたのが、それから1年後、夫より1年あとの2002年早々であった。
そんなことを「妻の書斎」というテーマで、夫が自分のホームページに書いた。
それを、その新聞の記者が見て、取材を申し込んできた。
妻の書斎について、取り上げるのだという。
私のホームページは、あまり広く公開していないし、実名との関係は伏せておきたいので、それを見せなくていいならという条件で、私も協力することになった。

電話をしてきたのは、その新聞の特集記事を担当している女性記者、予め夫のほうに取材はしてあった。
今朝の電話は、その確認と、私からも、いくつか訊きたいことがあったからである。
書斎を作った目的、そこで主に何をしているか、読み書きについてのことなど、特別難しい質問ではなかった。
訊かれたことには、12分に応えたが、その中のどこを切り取って、載せるのか、いささか心配でもある。
友人、知人には、言わないことにした。


廻り来るもの
2003年10月26日(日)

誰の言だったか、人間には、若さと時間とお金が、三拍子揃っているときと言うのは、あまりないそうである。
若くて元気で、時間はあるのに、お金がないのは、私の学生時代はそうだった。
中年になり、生活は少し豊かになったのに、仕事や、家庭の変化への対応が忙しく、時間がない。
それらを卒業し、お金も時間もあるのに、もはや、体力がない。
三つを比較的、備えているいい時代が、60代ということになるだろうか。
リタイヤし、子どもも独立し、お金も、そこそこあり、まだ海外旅行に行ける元気もある。
ところが、長寿の時代となって、親の介護の問題が、60代の人たちのところに、大きな問題として、のしかかってきた。
昔なら、自分自身が高齢者と扱われる年になって、長生きしている親が、80代後半から90前後になり、要介護状態になっているのである。
私にも、90前後の親がいるが、私の友人達も、二親揃ってとまで言わずとも、まだ親が存命中である場合が案外とあり、皆、それなりに苦労している。
昨日、しばらく会わずにいる友人から、母親が、要介護状態になり、外出もままならなくなり、忙しい思いをしているとの、メールが入った。
介護保険を申請したが、何事もはじめての経験で、わからないことばかりで、大変らしい。
この夏、夫婦で、ドイツ旅行してからあとに起こったことで、もう旅行にもしばらく行けそうにないと言っている。
もうひとりの友人は、自分の母親、連れあいの母親が共に90前後、その介護を巡って、兄弟の間の軋轢やら、交代で泊まりがけの介護をするなど、心労が絶えないと言う。
「私のほうが先に逝きそうだわ」と嘆いている。
私の世代というのは、まだまだ古いモラルが生きている世代、親子の関係も、ウエットなところが残っている。
年を取ったら、子どもの世話になるのが当たり前として育ってきた親の世代と、親子関係を行政や第三者に委ねることを、自然に受け入れられる子ども世代とのはざまにあって、皆、つらい思いをしている。
親の面倒は見るが、自分たちは、子どもの世話になりたくないし、なれないだろうと思っているのが、私の世代の共通する感覚である。
今日、学生時代の合唱団の集まりがあり、半日愉しく過ごしたが、病気でもないのに、来られない人たちがいた。
親の介護で出られない人、子どもから孫の世話を頼まれて、足止めを喰った人、その二つの理由であった。
やっと、子どもから解放されると、今度は孫の世話かと、孫のいない私は、同情するが、孫はいずれ成長するからまだいい。
親の介護は、いつまでと、期間が決められない点、深刻である。
その上、状況が今よりよくなることは、ないのだから。
「60になって、まだご両親がいるなんて、いいですね」と、人からは言われる。
私もそう思う。
でも、顔を見に行くたびに、どんどん弱っていく親を見るのも、つらいものである。
昨日、私の留守中に、母から電話があったらしい。
「君の足のことを心配していたよ。でも、本当は、自分のことを気に掛けて欲しくて、電話してきたんだろうね」と夫が言った。
明日から2,3日、庭師が来る。それが終わったら、親の様子を見に行かねば・・・。


冬近し
2003年10月23日(木)

J大学の「俳句研究」に出席、帰る頃は少し寒かった。
5時過ぎに家をでたが、その少し前に雷雨があって、気温が下がったようである。
家にいると、その変化がよくわからず、暑からず寒からずの格好で出た。
この季節、夜に掛かっての外出は、温度差があるので、気を使う。
教室にはいると、まだ暖房はしてないものの、前のクラスの学生達の人いきれが残っていて、少し暑い。
今日から句会である。
5句を原稿用紙に書いて提出。
そのうちの3句を短冊に書き、別に出す。
句会に馴れた人たちが、短冊を配ったり集めたりを手伝う。
私と友人は、俳句初心者のうちの3人に入っている。
連句はやっているし、発句を作ることはあるので、純然たる初心者とは言えないのかも知れないが、俳句では、そのようにしておく。
選句、披講とあって、二人とも、お互いの句を知らずに選んでいたことがわかり、思わず苦笑。
いつも、一緒に連句を巻いているので、好みが似ているのかも知れない。
終わって、駅近くで、グラスワインを飲み、少し話して別れる。家についたのは、10時半だった。

昨日は、M先生の葬儀。
近親者のみで、と発表されていたし、会からの通達もそのように書かれてあったが、10年来の師であり、自宅にも伺ったことがあるので、お見送りはさせていただくことにした。
ある人からの連絡で、その死を知ってから、通夜、葬儀に行くほうがいいのか、遠慮すべきなのか、ずいぶん迷った。
通達があったこともあり、はじめは、行かずにお悔やみ状を、と考えていた。
しかし、通夜に行った友人の話を聞いたり、自分の考えもあって、行くことにした。
誰とも誘い合わせず、会場に赴いた。
顔見知りが30人以上はいただろうか。
時雨の1日。
雨中での見送りとなった。
親族だけで、静かに送りたいとの、お連れ合いの意志に反したかも知れないと言う気もした。
社会的立場にあった人の、喪の儀式は難しい。
いずれ来るであろう、自分の父親の場合を考え合わせて、感じるところもあった。
見送りが済むと、昼時になっていた。
駅までの道の途中で、軽食喫茶に入り、昼食を摂りながら、六,七人で追悼二十韻を巻いた。
お喋りをしながらの、愉しい付け合いとなった。
連句関係者の集まるときは、私は、歳時記を必ず持っていく。
短冊を持ち歩いている人もいる。
きっと先生も、供養として、喜んでくれるだろう。

おとといは、井上ひさしの「夢の泪」という芝居を見に行く。
東京裁判を扱ったもの。
ミュージカル仕立てになっていたが、今まで見たひさし作品に比べると、少し、なじめなかった。
外出が続いたが、そのお陰で、足のほうは、だんだん快復している。
膝や腰の痛みはまだ続いているが、ほどほどに歩くことで、次第に治るのだろう。
明日は、家にいる日。
たまっている手紙の返事を書いたり、家事に専念したい。


師の訃報
2003年10月20日(月)

文芸上の師が亡くなった。
私にとっては、直に手を取って教えていただく機会は、ほとんどないほどの、偉大な存在だった。
年に何回かの例会に、お顔を見て、お話を聞いたり、書かれたことを通して、教えを受けたことになる。
このところ、体調を崩されて、高齢でもあり、心配していた矢先のことであった。
お見舞い状くらいなら、出してもいいかしらと思いながら、そのままになっていた。
1年ほど前から、先生は、公式の席にでることを控えるようになり、今年に入って、代表者としての立場を、ほかの人に託した。
でも、実質的な主宰は、やはり先生であり、精神的支柱としての存在感は大きかった。
入門して、この10月で、丸10年になるが、生活の中に占める割合が、年々大きくなっている。
それだけに、師を失ったことに、深い悲しみを覚える。
初心の頃、2度ばかり同席させていただく機会があった。
ある程度、道を極めた人たちには厳しい先生だったようだが、初心者には、やさしかった。
昨年夏、体調を悪くされ、それから、あまりお目に掛かる機会がなかった。
先生の身近にいる人の口を通して、様子を聞くだけになっていた。
先週、例会の席で、先生の近況報告があり、まだ、それ程の重篤とは思っていなかったので、驚いている。
冥福を祈りたい。


シネマ落語
2003年10月19日(日)

落語家の立川志らくが、シネマ落語というのを、あちこちでやっている。
洋画を、江戸時代の日本の風俗に置き換えて、落語仕立てにするという試みである。
たまたま近くのホールで、ビリー.ワイルダーの名作と落語をセットにして、上演するので、見に行った。
今日の映画は「お熱いのがお好き」という映画。
言わずと知れたジャック・レモンとトニー・カーチス、それにマリリン・モンロウが絡んでのコメディ。
1930年代のシカゴ、禁酒法時代に、多くのギャングが輩出した時代背景をパロディに仕立ててある。
ギャングの殺人現場を目撃した、芸人のトニーとジャックが、彼らの手から逃げるため、女装して女ばかりの楽団に加わる。
マリリン・モンロウは、その楽団の歌手である。
そこで、起こるざまざまな悲喜劇を、面白く映画にしていて、飽きさせない。
洒落たセリフも随所にあり、最後は明るく終わるのがいい。
マリリン・モンロウは、今見ると、セクシャルというよりは、可愛い女である。
古いフィルムなので、時々途中で切れて、映画が中断したりしたが、観客は、市内の住民達がほとんど、辛抱強く上映再開を待ち、そんなところも、ローカルの催しの良さであろう。
私が子どもの頃、夏休みになると、近所の小学校の校庭などで、青空映画会があり、その時も、機械の故障や、フィルムが切れたりで、映画が中断することはあった。
そんなことを思い出した。
映画が終わると、今度は志らくが舞台に登場、見たばかりのアメリカ映画を、江戸の話に置き換えて、語るのである。
禁酒法の話は賭博に置き換え、ギャングはヤクザに、人情話は町人と遊女に置き換え、という具合である。
客は、話を聞きながら、映画のシーンを反芻して、愉しむという仕掛けである。
本当は、映画無しで、噺家の話術だけで、映画を語り、客を喜ばせるのが芸なのだろうが、全く映画を見てない客には、限界があるのかも知れない。
市のホールでは、11月にマレーネ・ディートリッヒの「情婦」、12月には「アパートの鍵貸します」と志らくの落語を組み合わせて上映する。
すべてビリー・ワイルダー作品である。
ほかにも、国立劇場で明日、ウッディ・アレンの「マンハッタン」と志らくがある。
古典落語とまた違って、こういうものも、面白い。
芸術の秋、さまざまな行事が目白押し。
新宿のカルチャーセンターから、「詩の朗読」講座の案内が来た。
自作の詩を朗読するというもの。
朗読には、興味があるので、行って見ようかと思っている。
小さなライブハウスでいいから、いつか自作の詩を、ピアノ伴奏入りで朗読したいというのが、ひとつの夢である。


「良家の奥さん」
2003年10月18日(土)

都心の連句会に行く。
この会も、足の骨折以来である。
今日は21人。4席に別れて、巻いた。
となりに幼稚園があり、運動会をやっていて、賑やかな歓声が聞こえたが、やがて静かになった。
終わって、いつものように、有志が飲みに行くことになり、外に出た。
年配の女性は、まっすぐ帰る人が多い。
それを見て、ある男性が、「良家の奥さんは、まっすぐ帰りますよ」と言った。
冗談であることは解っているし、いつもの私なら、「良家の奥さんでなくて悪かったわね」と言い返すところである。
連句が終わっての2次会は、楽しみのひとつで、呑みながら気の知れた人たちと交わす話は面白い。
全体の数は女性のほうが多いが、飲みに行くとなると、女性はぐっと減って、男女ほぼ同数になる。
「良家の奥さん」は、あまり参加しないし、女性は独身者か、準独身の不良奥さんと言うことになる。
そして、その人達のほうが、酒席に合うし、話題も豊富で、座が弾むのである。
その時も、男の人が5人、それに女性が私を入れて5人、12月の忘年会の場所探しを兼ねて、飲みに行くことになっていた。
ところが、「良家の奥さん」のセリフを聞いた途端、なぜか私は、急に、行く気がしなくなり、「じゃ、私帰るわ」と言って、「良家の奥さん達」の後に続いたのである。
呑み友達は、私がふざけているのだと思ったらしい。
すぐに引き返してくると思ったのだろう。
笑い声もした。
それを後ろに聞きながら、私は振り返りもせずに、歩を進めた。
「アラ、ホントに帰っちゃうの」という声がした。
それから引き返しても、間に合うのに、なぜか私は、引き返さなかった。
そして、歩みのゆっくりした「良家の奥さん達」のそばを抜けて、まっすぐ駅まで歩いた。
戸惑っている呑み仲間の表情が見えるような気がした。
飲み屋で、多分、話題になったかも知れない。
そこには、「天敵」はいなかったので、悪意のある噂にはならなかったと思うが、「ちょっと今日はヘンね」ぐらいの話にはなったであろう。
人間には、時として、自分でも説明がつかないような行動を取ってしまうことがある。
連句が終わり、そのあとのお酒を楽しみにして、ほかの人たちが終わるのを待っていたのだった。
「良家の奥さん」云々を言ったのは、私とは気の合う男の人である。
私が骨を折って家に籠もっていた間も、時々心配して、メールをくれたりした。
今までにも、そんなことを言って、私をからかったし、お互い、気心がわかっている。
自分の言ったことで、私が気を悪くしたと思っただろうか。
おかしいな、今日は虫の居所が悪いのかなと感じたかも知れない。
ウチに引きこもっていたから、まだ、気持ちが快復してないんだなと、思ってくれればいいが・・。
自分でも、なぜあのとき、そんな風に反応してしまったのか解らない。
多分、その言葉が原因なのではなく、私の気持ちの中に、どこか本当に愉しめない何かがあって、そんな行動を取らせてしまったのだろう。
予定外に早く帰宅したので、風邪が治らずにいる夫のために、夕食を作った。
「良家の奥さん」の主に、メールを送ろうかと思ったが、そのままにした。
ヘンに説明するより、今度連句の席で一緒になったとき、「この間は、ごめんなさい」と、あっさり謝ろうと思った。


愛車を駆って
2003年10月17日(金)

車の話ではない。
私の愛車は自転車、運転歴30年以上になる。
優良ドライバーというお墨付きはないが、安全運転に心がけ、前を歩いている人を、ベルでどけるようなことは絶対しない。
買い物、市役所や郵便局、病院、図書館、etc。
私の生活に、なくてはならぬものである。
駅までのバス代を節約して、駅近くの自転車置き場に置き、都心あたりまで行くこともある。
自転車置き場は3時間までと言うことになっているが、実際は、半日くらい大丈夫のようだ。
私の家から駅までは、自転車で15分くらい。
天気のいい日は利用する。
ただ、夜遅くなりそうなときや、帰りのルートを変える可能性のあるときは、自転車が置いてあると、不便である。
あまり暑いとき、寒いときも、自転車はきつい。
最近は、電車に乗って出かけるようなときは、バスを使うことが多くなった。

今日、久しぶりに自転車で買い物に行った。
足の骨を折ってから、自転車は、カバーを掛けたまま、裏手に置いてあったが、歩くようになってからも、しばらくは、乗れなかった。
体のバランスが悪くなっていて、ちょっと怖かったのである。
買い物は、夫が、車でスーパーに行ったり、近くの店で済ませたりしていた。
家事が私の手に戻ってから、買い物も、私が行くことになったが、やはり重いものを手で持つのはきつい。
自転車に乗せれば、ずいぶん違う。
思い切って、自転車を出した。
乗りはじめ、少しふらつくような気がしたが、すぐに馴れた。
郵便局に行き、公共料金などの支払いをし、帰りにスーパーに寄った。
あれこれ買い込んで、少し自転車の籠からはみ出してしまったが、人通りの少ない裏道を通って帰ってきた。
2ヶ月ぶりにペダルを踏んだ気分は、なかなか良かった。

夫が、2,3日前から風邪を引いている。
私の「看病」で疲れたからだと言ってるが、今月に入って、急に寒くなったりしたので、体の調節がうまくいかないのである。
私の風邪は、すぐに治ったが、夫は、気管支が弱いので、クシャミから咳に移行すると、長くなる。
今日も医者に行った。
熱はないし、喉の痛みも取れたが、何となく不快感があるという。
夜の会合を欠席し、パソコンで遊んでいる。



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