沢の螢

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春隣
2004年02月02日(月)

けふ一日捜し物して春隣

久々の雨である。
一雨ごとに暖かくなると言うが、今日は氷雨といった感じだった。
しかし、乾ききった庭の土が水を吸い、芽吹きの助けになるだろうし、何となくほこりっぽい周辺の景色が雨に洗われて、いくらか澄んで見える。

昨日は深川の連句会に行き、夕方まで歌仙を愉しみ、少し酒席にも付き合って帰ってきた。
それから私の新しいネット連句の書込と、よそのサイトの俳句に投句したりで、寝るのが遅くなってしまった。
常連のメンバーに加え、今度、新しい人を誘ったので、4人で半歌仙を巻くことになった。

今朝、つい寝坊する。
夫はまだ咳が取れないが、もう熱もなく、昨日からは通常の生活に戻った。
さすがに外出は控えているが、そろそろ髪が伸びてきたので、カットに行かねばと、気にしている。
床屋さんでなく、美容院に行く。
気に入った美容師を見つけ、バスで行くのである。
最近は、中高年の男性も、美容院に行く人が増えたらしい。
馴れると、こちらの方がいいらしい。
気に入りの美容師は、若い女性だそうだ。


一月尽
2004年01月31日(土)

年が明けたと思ったら、もう今日は晦。
一年の12分の1が過ぎたわけである。
この辺で時間が止まってくれないだろうか、神様!
時間だけは、どんな人にとっても平等にある。
そして、限りがあるのも、同じである。
夫と私は、同じ年。あちらは早生まれだが、途中から学年が一緒になったので、同じ年と考えている。
「二人合わせて百歳ね」なんて言ってから、大分経った。
もうそんなことは言わない。
でも、私たちより更に年かさの人から見たら「若くていいわね」と言うことになるのだろうから、いまが一番良いときと思って日々過ごすしかない。
新しく借りた有料サーバーに、サイトを作り、今日アップした。
いろいろ高度な設定が出来るようだが、私の技術が伴わないので、とりあえずは、1ページ作り、形を付けた。
あとは、少しずつコンテンツを移動させればいい。
リンクを全部直さねばならないので、手間が掛かる。
いままでのホームページを、閉鎖することも考えたが、折角あるスペースを捨てるのはもったいないので、別の形で生かすことにした。
掲示板は、新しい方に、別の物を借りたが、日記は、このまま使うことにした。
サイトの構想をあれこれ考えているうちに、夜も更けた。
明日は、下町での連句会。
今年はじめての会なので、行くことにする。
新しいボード連句の付け合いも、明日から始まる。


ウイルス
2004年01月28日(水)

寒さが増すとともに、風邪が猛威をふるいはじめ、周辺では、風邪に掛かった話が多い。
25日の日曜日から、夫も風邪の症状が出始め、インフルエンザの予防注射はしてあるものの、予防は予防に過ぎないので、もし掛かった場合は比較的軽く済むという意味でしかないから、月曜日、医者に行くことになった。
私は、免疫力が弱いので、夫はまず私に移してはいけないと言う心配をするのである。
いま、インフルエンザかどうかと言う判定は、簡単だそうである。
「あとで電話するから」と言って、夫はかかりつけの医者のところに行った。
頃合いになって電話があり、「普通の風邪だったよ」という。
そして薬を貰って帰ってきた。
「風邪ひきの患者で満員だったよ。君、なるべく行かない方がいいよ。待っている間に、風邪を背負い込むから」という。
私にも、過去に、病院の待合室で、何度か風邪を貰った経験がある。
熱はないし、ただの風邪というので、安心したのか、夫は、横になるでもなく、普通の1日を送った。
ところが、その夜から、咳がひどくなり、少し微熱もあるらしい。
7度5分というので、高いというわけでないが、途端に病人の気分になる。
そこで昨日、私は医者のところに、咳の薬をもらいにいった。
夫が行ったときは、まだ咳がなかったので、その薬は入っていなかったのである。
布団カバーやタオルを取り替え、部屋を掃除して、埃を吸い取った。
消化の良い物を調理し、薬を飲み忘れないよう気を付けた。
最近、私は自分のことに気を取られて、あまり夫のことには、気を使っていなかった。
ちょっと反省し、久しぶりに、良い奥さんになって、夫の世話をした。
今日は、熱も下がり、食べるものさえあれば大丈夫だというので、おもちを焼けばすぐ食べられるよう、雑煮の鍋をたっぷり仕込んで、連句の会に行った。
その会でも、いつも来るはずの人が3人来ていなかった。
終わるといつも、飲みに行くメンバーである。
「主人が風邪だから、すぐに帰るわ」というと、あとの人たちも、帰ることになった。
「若い人と違うわ。やっぱりたまにはこんなこともあるわね」と話しながら・・。

今日は、風邪だけでなく、コンピューターウイルスも、猛威をふるっていたらしい。
「ウイルスバスターを、3回もアップデートしたよ」と夫が言う。
次々とウイルスが出て、ウイルス駆除が後を追っかけている状態のようだ。
私も、早速、ウイルスバスターの、更新をした。

今日連句を休んだ友人から電話。
日曜日から風邪気味だったが、咳がひどく、体が痛いという。
「インフルエンザだといけないから、医者に行った方がいいわよ」と言ったが、生姜湯を飲んで寝ているという。
友人は一人暮らしである。
「夜中に、もし、救急車を呼ぶようなことがあったらどうしようかと思うわ」と、心細げである。
いつも元気で、華やかな彼女だけに、「あなたは、面倒を見る人がいて、それが支えになってるのよ」といった言葉が、心に残った。


女友達その後
2004年01月25日(日)

音楽会は午後からだった。
先週、ある人からチケットを貰い、もう一人誘って3人で行くことになっていた。
しかし、そのあとで、貰った相手と、感情的行き違いがあって、私はしばらく、その人と一緒に行動したくない気分になっていた。
昨日も、同じ場にいながら、私は会釈しただけで、そのあとの2次会にも行かず、帰ってきた。
ほかの人から「今日は早く帰ってしまって、体の具合でも悪かったんですか「と言うメールが入った。
「体はぴんぴんしてましたけど、心が健康でなかったので・・」と返信した。
何でも、まあまあで流してしまって、人の気持ちに斟酌しない彼女と、ひとつ引っかかると、それを解決しなければ前に進めない私とは、時々、こうしたことがある。
私は、同性の友人は大事にしたいので、こだわりや誤解をそのままにして、ごまかしたまま付き合いたくない。
もちろん、友達のカテゴリーに入らないような人は、そのままおさらばして、2度と付き合わねばいいのである。
そうやって、縁切り状態になった人が、この2年ばかりの間に2人ほどいる。
しかし、友達として、これからも付き合いたいと思い、相手に希望を繋ごうとするなら、やはり、言うべき事は言っておきたい。
そうやって、送ったメールの返事が来て、1週間経っていた。
私の言わんとすることがちゃんと伝わったかどうかは定かでないが、向こうは、自分に非があったことを認めている。
音楽会をすっぽかしたい気もあったが、それをすれば、向こうにこだわりが残るだろう。
待ち合わせて一緒に行くか、会場で会うか、そんな打ち合わせも、お互いしないままである。
考えていたが、時間になったので、家を出た。
チケットはめいめいが持っているので、会場にはいることは出来るし、自由席だから、広い会場で、お互いに見つけられるかどうかわからないが、それでもかまわないと思った。
電車の中で、ケータイが鳴った。
彼女だと言うことはわかったが、電源を切った。
10分前に会場に着き、席を物色していたら、一緒に約束したもう一人が、すでに座っている。
隣に座り、しばらくすると、件の彼女がやってきた。
「ああ、良かった、見つかって」といいながら、私の隣に座った。
「早めに家を出たから、もしかしたら連絡貰ったかと思ったんだけど・・」というと、「お家に電話したら、ご主人が出て、もう出ましたって言うから・・」と彼女は言った。
お互い、先日のことや、メールの遣り取りについては、一言もいわず、一緒に音楽を鑑賞した。
終わって外に出ると、「お茶でも飲みましょうか」と言うことになり、3人で、駅の近くのコーヒーショップに入った。
30分ほど、音楽会の感想や、雑談をして、駅で別れた。
彼女とは、数日後にまた顔を合わせる機会がある。
「じゃ、それまで、元気でね」というと、彼女も笑顔で答えた。
場所柄をわきまえず、人の人格に関わるようなことを、冗談めかして言ったので、私は怒ったのだが、彼女に悪意はないのである。
たくらみや、イジワルもしたことがない。
こちらが解った上で付き合えばいいのである。
もう一度だけ、赦そうと思った。


めまい
2004年01月23日(金)

今週から衛星放送でヒチコック特集をやっていて、気に入ったものを見ている。
きょうは「めまい」。
母の顔を見に行ったり買い物をしたりで、気が付いたら、放映時間が迫っていて、慌ててバスに乗る。
一杯飲みながら歌謡番組を見ようとしていた夫に断って、チャンネルを切り替え、セーフ。
「めまい」は、学生時代に見たが、キム・ノヴァックが、とても美しく撮れていたので、印象に残っている。
ヒチコック作品としては、あまりヒットしなかったらしいが、私はとても好きな作品である。
ジェームス・スチュワート扮する休職中の刑事が、友人に頼まれてその妻をひそかに見張る。
実は、友人は妻殺しをたくらんでいて、それを実行するカモフラージュのために、必要だったのである。
もちろんそんなことは露知らず、友人の妻の尾行を続けるうちに、彼女と恋に堕ちてしまう。
そして逢い引きの途中で、彼女は、教会の屋上から身を投げるのだが、それを目撃しながら防ぐことが出来ず、彼は、神経を病む。
彼には、高所恐怖症という弱点があって、屋上に上っていく彼女を追いながら、追いつけなかったのである。
友人は外国に引っ越し、時が経って、街中を歩いていた刑事は、死んだ友人の妻そっくりの女に出逢う。
恋人の面影を追うように、刑事はその女に近づき、死んだ恋人と同じ服を着せ、そのように振る舞って欲しいと頼む。
抵抗する彼女も、次第に彼の言う通りになる。
実は、この女が、お金で、友人に頼まれて、その妻の替え玉になって妻殺しに一役買っていたのだった。
刑事が友人の妻だと思っていたのは、実は、共犯のこの女で、妻は友人の手によって殺されていた。
屋上に駆け上がった女と入れ違いに、待ちかまえた友人がすでに死んでいた妻の体を、投げ落としたのだった。
女が不用意に持っていたペンダントから、刑事は、真相を知る。
自分が愛していたのは、そんな女だったのかと、愕然とする。
女の方も、実は彼を愛していたのだが、お金には勝てなかったのだった。
現場で彼女を問いつめているうちに、誤って女が屋上から落ちて、そこで映画は終わる。
ミステリアスな影を持つ女を、キム・ノヴァックが演じ、悪役でありながら、観客を引きつけてしまう役どころが、よくはまっていた。
ミステリーの仕掛けとしては、それ程手の込んだ物ではない。
キム・ノヴァックの美しさと魅力を、最大の武器とした映画。
キムの映画の中では、これと、デビュー作の「ピクニック」、それに「遭うときはいつも他人」の三作が好きだ。

今朝母に電話したら、正月明けに家の中で転んだらしい。
幸い骨折はしなかった代わりに、そのあとめまいに襲われ、つらかったというので、午後から行ってみた。
もうめまいは収まって、今日などは天気がいいので、お風呂に入り、気持ちが良かったと話していた。
母は、めまいが持病なのである。
帰ってから「めまい」という映画を見るとは、何とも妙な偶然だった。


大寒や
2004年01月21日(水)

大寒やソプラノ低くさらふ声   みづき

この句を発句に連句を巻き、さるところで入選した。
この句には、発想を引き出された短歌がある。
浅間山荘事件で死刑判決を受け、獄中にいる坂口弘は、いつからか短歌を詠むようになり、一冊の歌集を出した。
その中に、面会に来た女性が、ひくいソプラノで、彼に「奈良山」を歌って聴かせたという内容の歌があった。
正確に覚えていないので、引用できないが、私はその歌を詠んで、涙が止まらなかった。
連合赤軍の犯した事件は、革命という大義名分のために、多くの罪なき人に危害を加え、また、些細なことで仲間達を次々リンチによって命を奪った、許し難い犯罪であった。
坂口は、その幹部であり、中心的存在在であったことから、いまの法律における最高刑を科せられても仕方ないと思う。
しかし、獄中で犯した罪の大きさにおののき、手に掛けた仲間の霊に夜ごと夢をみる彼の心は、通常の人間である。
その苦しみの中から生まれた短歌は、ほとんどが事件に主題を取ってあり、その相克の深さが痛ましい。
その中で、「奈良山」の歌は、穏やかな安らぎを感じさせられるが、それだけに、むしろ痛ましさを感じる。
面会に来た女性は恋人だろうか。
その彼女が、看守の見守る中で、低い声で、「奈良山」を歌う。

ひと恋ふは哀しきものと奈良山のもと下り来つつ耐え難かりき

聴いている坂口は、どんな気持ちだったのだろう。
死刑が確定すると、いっさいの発表手段を奪われるそうだ。
彼が、まだ獄中で歌を作っているかどうかは知らない。
死刑が実行された話も聞かないから、まだ、獄中にいるのであろう。
1日として安らかな日はないに違いない。
近づいてくる死への足音を待つ気持ち。
これ以上残酷なことはないような気がする。

今日は大寒の入り。
昨日とは打ってかわって、一日中、ものすごく寒かった。
母のところに行こうと思っていたが、取りやめた。
またきっと、暖かい日もあるだろうから、そのときにする。
夫は会合があって出かけ、遅く帰ってきたが、こんな寒いときに、よく夜中近くまで飲み歩いていられるものだと思う。
深夜にタクシーで帰り、そのまま玄関先で亡くなった人を知っている。
こんな寒いときに、夜遅くまで飲み、寒い戸外に出たときが危ないそうである。
心筋梗塞を起こしたりするのだろう。
新しいサーバーの設定案内が来た。
ホームページを、移す研究をしなければ・・。


「語り」の興奮
2004年01月20日(火)

今年は12月に、合唱のステージに上ることになっている。
練習開始は4月からだが、少し歌から遠ざかっていたので、声をトレーニングしたいと思い、今月から朗読の講座に週に一度、通うことにした。
今日はその一回目。
教室は、駅の向こう側。
自転車で15分だが、風に当たると喉を冷やすので、バスで行った。
「朗読」と言うより、「語り」と言った方が正確だが、平家物語を舞台で語ることに打ち込んでいる女優さんが講師である。
行ってみると、生徒は10人ほど。
昔、視覚障害者のために、朗読(というより音訳という言葉がふさわしい)のボランティアをしたことがあり、そのときは、本を感情輸入せず、正確に読むことが要求された。
標準アクセントで、書いてあることを残らず読む。
会話体も、ヘンな芝居をせず、文章として読むのである。
今回の講座は、それと違って、読む人の解釈、とらえ方で語ることが主である。
そうはいっても、まずは、発声、滑舌、姿勢、呼吸の仕方が基礎なので、その基本練習から始まった。
これは、以前受けた練習と共通する。
早口言葉の復唱から始まり、文章の緩急の練習のために「平家物語」の一節を読む。
この練習はとても面白く、大いに興奮した。
一人ずつ、半ページほどを順番に読み、講師のコメントが入る。
それから、宮沢賢治の「座敷ぼっこ」の読み。
2時間が短く感じられた。
久しぶりにお腹から声を出して、いい気持ちだった。
10人のうち、新人が3人。
他の人たちは、1年前から続けているらしい。
「読んでみたい材料があったら、それも取り上げますよ」という。
いずれ様子を見て、樋口一葉や、詩の読み方を習いたい。
終わると五時。
いつも終わってから30分ほど、先生を囲んでお茶を飲むと言うが、今日はまっすぐ帰ってきた。
次回が楽しみである。



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