沢の螢

akiko【MAIL

My追加

新学期
2004年04月09日(金)

某大学の社会人向けの講座に行く。
前から勉強したいと思っていた「神学」を、今年から取り組むことにした。
この大学では、三年周期で、週三回夜、神学講座を開講している。
宗教科の教員免許状を取りたい人、単位聴講を目的とする人が主だが、受講のみの人も受け入れている。
私は、その部類である。
神学に関する一通りの科目を学ぶには、週三回二科目ずつを取って、三年掛かる。
夏だけの集中講座もあるが、それは、五年掛かる。
私は、週三回などと言うことはとても無理だし、お金もかかるので、まず週一回一科目で、始めることにした。
今日が初回の授業である。テーマは「パウロの書簡」。
文語体の聖書は持っているが、現在どこでも「新共同訳聖書」を使うので、早めに家を出て、大学の購買部で、それを買った。
受講者は、カトリックのシスターらしき、ベールを被った女性も何人かいたが、ほとんどは、年齢の幅広い社会人である。
夫が受講している「モーゼの五書」という科目は、70人くらいいたそうだが、今日の授業も、そのくらいいたかもしれない。
ずっと続けて通っている人が多いと見えて、慣れた様子であった。
授業は、聖書を頻繁に参照しながら、まず、イエス以前の宗教的風土と歴史について語った。
「皆さんは、当然聖書は通読していらっしゃるでしょうが・・」と言う言葉に、ひやりとする。
私は、聖書は、今までに、断片的に拾い読みしたことはあっても、通読などしたことはないからだ。
仏教の家に生まれ、キリスト教とは、縁無く過ごしてきた。
ただ、西洋の文学や音楽を通じて、それに関連したところを、必要に応じて囓ったくらいの知識である。
あとは、曾野綾子のエッセイが好きなので、もし、今回、どうして神学講座など受ける気になったかと訊かれたら、一番大きな動機としては、曾野文学があるかも知れない。
この人の書いたもの、ことにエッセイや聖書に関する本は、案外と読んでいる。
それに、なんと言っても、合唱曲の大曲は宗教曲であるし、今年は、モーツァルトのミサ曲演奏に参加する。
ラテン語の歌詞、それは祈りの言葉であるが、宗教的背景と、深い意味があるに違いないので、それを知りたいというのも、次の動機である。
1時間半の授業は、ノートを取るのが忙しいくらい、中身の濃いものであった。


撃鐵を起こす手にとまる蝶
2004年04月08日(木)

春の好きな人は多いようだ。
「春になったら」という合い言葉で、冬の間閉じこもっていた人も、顔を出す。
鳥は歌い、花は咲き、虫も穴から這い出し、街の色さえ、明るく見える。
でも、私は最近まで、春がキライだった。
どちらかというと、静謐で、落ち着いた冬のほうが性に合っていた。
長い夜は、ものを考えたり書いたりするのに適しているし、寒ささえ、気持ちを引き締めるには、悪い環境ではないからである。
それが、暖かくなり、日が長くなると、街中がなにやらザワザワしてくる。
そうなると、私は落ち着かなくなるのである。
いろんな行事も多くなり、寒さにかこつけて不義理していることにも、手を付けなければならなくなる。
暮れにサボってそのままになっていたカーテンも洗わねばならない。
そんなこんなで、あまりのんびり出来ないからであるが、最近になって、私は、やはり寒い冬よりも、やさしい風が頬をなぶる今頃のほうが、いいと思うようになってきた。
それだけ年を取ったと言うことであろうか。
あるいは、人生の春と言われた若い頃を、懐かしんでいるのかも知れない。
暑い夏に入る前の、ちょうど今頃から5月半ばまでが、日本の一番良い季節。
軽い服に着替え、体を動かして、身の回りもすっきりと片づけ、陽光の日差しをふんだんに浴びるとしようか。

そんな折しも、イラクで日本の若い人たちが拘束されたというニュースが入った。
観光客ではない。
イラクを取材しているフリージャーナリスト、イラクのストリートチルドレンのためにボランティア活動をしている女性、もうひとりは、今春高校を卒業したばかりで、やはり劣化ウランの問題に取り組んでいる男性、いずれも、真面目でこころざしを持った若い人である。
解決には、大変難しい問題を含んでいるが、彼らが、何とか無事に、生還できることを祈らずにいられない。


彼は誰れ時
2004年04月05日(月)

人の一生を4つのステージに区切って考える。

1.生まれてから結婚までの時期。
25歳乃至30歳年くらいまでだろうか。
子どもから大人になり、社会に出、巡り会った人と、新しい人生を踏み出す。
いわば、人生の春の時期である。

2.子どもを生み、育て、独立させ、親の老年期と向き合う時期。
25歳から、50歳、60歳くらいまでに当たる、人生の核となる長い時期。
一番個人差が出てくるときでもある。気力体力も、まだまだ充実して、登り坂でもある。
子どもがいれば、学校、就職、結婚に多少なりとも関わるし、人生の先輩としてアドバイスを求められる時期でもある。
主婦もこの時期の終わりから、子離れし、自分の趣味や生き甲斐を模索し、新しい人間関係を作っていく。
仕事を持った人なら、このステージの終わりには、定年を迎え、また親の介護の問題も関わってくる。
この時期に、親を見送る人が多いが、長寿の時代となって、60歳過ぎてもまだ親が健在という人も、少なくない。
自分の人生とのはざまで悩むときでもあり、まだまだ現役であることを余儀なくされる。
人生のうちの、夏に当たるホットな時期。

3.第2ステージから解放され、自分自身の人生を考える時期。
55歳くらいから、75歳、80歳くらいまでに当たるだろうか。
このステージも個人差が大きい。家庭的、社会的役割を終えて、夫婦で人生を愉しむ人は、幸せである。
この時期、連れ合いに先立たれたり、また、自分自身の病苦や、老後の心配も増えてくる。
人生の秋、黄昏時である。

4.次の世までの残り時間。
私の親たちは、今まさにこのステージにいる。
人の命は限りがある。
穏やかに、生を全うできる環境にある人は、幸せである。

そして、私は、まだ親が居る点では第2ステージを引きずっているが、自身は連れ合い共に、第3ステージにあると言える。

今日、テレビで、60代、70代の人たちの、恋愛と結婚が増えているという現実を取り上げていた。
連れあいを亡くした人、縁がなくて独身で来た人たちが、人生の黄昏期に入って、共にそれを分かち合い、愉しく、暮らしたいという。
テレビでは、その人達が、お見合いパーティで、話をしたり、ハイキングを愉しんでいる様を写していた。
誰も、顔など隠さない。堂々としている。
このような集まりを通じて、結婚に漕ぎ着けたカップルもあり、それにまつわる、周囲の目や、家族の問題にも、触れていた。
「いい年をして」などと、昔から、老年期にある人たちの恋愛や結婚を、白眼視する風潮はあった。
人生50年などと言われた頃からの名残である。
どこかの国の知事さんの言ではないが、生殖能力を終えた女性は、もう役立たずであったのだろうし、男性も、家督を子どもに譲ると、後は悠々自適で、物わかりのよいご隠居さんになって、余生を送ったのであろう。
それが恋愛沙汰など起こすことは、けしからんと言うことになったのかも知れない。
しかし、今は、そんな時代ではない。
子育てと、人生の終焉が同時に来た時代と違い、第3ステージに入ってからの時間が長いのである。
ひとりで、寂しく暮らすより、心の通い合う人と一緒にいたほうが、どれだけ愉しく、充実した人生になることか。
それを、若い者がとやかく言うことはない。
人は、生きている限り、恋をする。
若いときの恋よりも、まっすぐで、純粋だと思える場合もある。
お互いの人生経験を尊重しあい、愉しいことも、苦しいことも、分かり合い、残りの人生を、助け合って、生きて行けたら、こんないいことはないではないか。
私の仲間にも、連れあいを亡くした男性、独身のまま60歳を過ぎた女性達が居る。
その中にあって、唯一の、亭主持ちである私は、時にイジメに遭うが、彼ら、彼女たちが、いい恋をして、新しい人生を踏み出すようなことがあったら、心から応援したい。
そんなことを思いながら、テレビを見た。


花の雨
2004年04月04日(日)

昨日は夏のような暑さだったのに、今日は雨の降る一日。
連句の会に出るべく、深大寺へ。
行くときは、傘を差さなくていいくらいだったのに、着いた頃からだんだん雨脚が伸びて来た。
園内の集会所で、連句会。
30人ほどが、五席に分かれての付け合いになった。
捌きの人の花の雨を詠んだ句で始まった。
10時半からが、遅れてくる人も居たので、実際は11時から始まった。
捌きに連衆5人で、28句の「源心」。
終わったのは3時ちょっと過ぎ。
いつもだと、庭園内を散策して、名物の桜や、さまざまな植物を見て歩き、出口近くの蕎麦屋にはいるのであるが、雨がかなり激しくなっていた。
散策というのもきついので、13人が、門の前の蕎麦屋に入った。
ビールと少しの酒、めいめいが蕎麦を注文して、1時間半ほど過ごした。
京王線駅に向かう人たちと、中央線沿線に向かうバスとで分かれ、散会。
私は薄めのジャケットを着ただけだったので、帰りは寒かった。
この会には、私の天敵グループの人たちが出てくるが、今日は何故か、みな欠席。
余計な神経を使わずに済んでよかった。


花の客
2004年04月02日(金)

朝から曇っていた。
郵便局に行く用事があるので、ついでに、先日行った大学に行って、満開の花を見てこようと思い立った。
昨日の、激しい雨で、散ってしまったかも知れないが、先日、まだ、枝垂れ桜が開かずにいたので、それが残っているかも知れない。
スポーツクラブに行った夫が昼過ぎに帰って来たので、昼食用のおにぎりを二つ作った。
食餌療法は、うまくいって、この1週間で、2キロほど減ったらしい。
同じ物を食べているので、私も少し、減ったような気がする。
太る原因は、脂肪と甘い物だが、案外と、盲点なのが、タンパク質の取りすぎである。
肉の脂や砂糖の取りすぎには、みなよく気が付くのに、タンパク質は、悪いと思っていない人が多い。
成人の1日当たりの必要タンパク質は、鰯一尾、肉なら70グラム、納豆も豆腐も半個、卵1個くらいのもの。
数年前、保健所で食事診断をして貰ったとき、「肉、魚、大豆が取りすぎです。」と栄養士に言われた。
甘い物を警戒するより、そちらの方を気を付けた方がいいとも言われた。
一時は、そんな表を冷蔵庫の扉に貼ったりしていたのに、だんだんいい加減になってしまった。
昔の日本人が、御飯を沢山食べるのに、肥満の人が少なかったのは、タンパク質が控えめだったからである。
欧米風の食事スタイルが定着して、だんだん肥満が増えてきた。
タンパク質の摂りすぎで増えた体重は、なかなか戻りにくいようである。
お米は、タンパク質も含まれており、体の中で全部燃えて、滓が残らないので、優秀な食品だそうだ。

それはさておき・・・。
夫に留守を頼んで、午後2時に出かけた。
郵便局は、週末とあって、混んでいた。
20分ほど待って、振り込みなど済ませた。
それから、最初考えた大学構内の花見に行く予定を変えた。
近くの幹線道路をずっと南に下ると、深大寺に行き当たる。
昨日、夫が写真を撮りに行き、「もう一両日中に散ってしまうだろう」と言ったことを思いだし、そちらに行くことにしたのである。
バスで行こうかと、バス停に並んだが、歩いても30分。
日が照っているし、もう風邪もほとんど治って、気分がいいし、歩くことにした。
途中に、航空研究所があり、その当たりの桜も素晴らしい。
なだらかな坂を下っていくと、道路の左側は、ずっと桜並木である。
折りしも、風が吹いて、花びらが降りそそぐ。
その道は、バス通りであるが、坂になっているためか、あまり歩道を歩く人がいない。
花びらの下を歩いているうちに、何とも言えない幸せ感に満たされた。
そのまま下っていけば、深大寺の山門に行き着く。
多分、今日も、人が大勢出ているだろう。
そこでまた気が変わった。
この坂を、もう一度戻りたくなったのである。
桜並木が尽きたところで、反対側に渡った。
今度は、坂を上りながら、道の反対側に並んだ桜並木を、車道を隔てて、見ながら行くのである。
登り切ったところが、航空研究所の門の当たりである。
其処に、自転車を止め、ベンチに腰掛けて、カップ酒とつまみを脇に置き、ひとり花見を愉しんでいる初老の男性が居た。
風流な人がいるものである。
私が男だったら、きっと声をかけ、酒を一杯おごって貰って、共に花の客になったであろうに、残念である。
道路を隔てて、羨みながら、スーパーに行き、夕食の材料を買って帰ったのであった。

バス停やここにもひとり花の客
降る花のやむこともなき甃の上


我が生の
2004年04月01日(木)

今日から4月。
今年もこれで4分の一が経過したことになる。

我が生の果てに何ある花がある

こんな句を作って、あるweb句会に投句してみたが、きっと、誰も選ばないだろう。
月曜日に外出した頃から、鼻風邪を引き、2日間は、鼻水と泪目に悩まされたが、今日は、もうかなり快復した。
ティッシュペーパーが、一箱無くなった。
こんな時に、一番イヤなのは、電話に出ることである。
わたしに掛かってくる電話は、もともと多くない。
その代わり、掛かってくると、長電話になり勝ちである。
それが解っているので、「電話は取らないから」と、予め、連れ合いに言っておいた。
昨日もう一度、掛かってきたが、連れ合いが出てくれたので、助かった。
急用なら言付けてくれればいいことだが、そうでなかったので、不要不急のことであろう。
先週2度の長電話で、ホトホト閉口した話を書いたが、昨日の電話も、人は違うが、出れば、長電話になる相手である。
電話くらいと思うかも知れないが、私は、電話がキライである。
ことの如何を問わず、出来れば電話は避けたい方である。
しかし、世の中には、電話の好きな人もいて、ほかの手段を使えばいい場合でも、電話で済まそうとする。
電話は、時と場合を選ばず掛かってくるので、場合によっては、本当に凶器になる。
昨日も、夫が居なかったので、電話に出ずにいたら、留守番に切り変わったところで、母の声がした。
母は耳が遠いので、留守録音と知らずに、テープに向かって喋っている。
慌ててかけ直した。
「しばらくご無沙汰したから、具合でも悪いんじゃないかと思って・・」という。
そう言えば、2月末に、母の誕生日に行ったきり、時が過ぎていた。
こちらのことを心配して掛かってくるときは、来て欲しいのである。
「ちょっと風邪を引いたから」と、来週早々行く約束をした。
幸い、両親とも、まだ寝たきりにならずにいる。
時々、電話してやればいいのに、気が付くと、ひと月も、経ってしまう、親不孝な私である。

今日は暖かくよい天気。
「きっと、桜が満開だよ」と連れ合いが、カメラを持って出かけていった。
深大寺で、花を見て、適当な写真を撮ったら、蕎麦を食べてくると言う。
私も行きたかったが、今週の土曜には、合唱の練習があり、日曜日は、花見を兼ねた連句会がある。
それまでに、風邪を治したいので、留守番をすることにした。
久しぶりに布団を干し、家中に掃除機をかけた。
連れ合いは午後帰ってきた。
平日だが、花見客で、結構にぎわっていて、写真が撮りにくかったそうである。
デジカメのカードを借りて、私のファイルにも、入れさせて貰った。


罪なき鳥
2004年03月03日(水)

家の庭には、種々の野鳥が来る。
私は、人間が飼っている生き物は、あまり好きではないが、野生の動物たちは、好きだ。
特に野鳥は可愛い。
冬の間は食べ物がないので、彼らのために、餌を置いてやり、春になって、食べ物が探せるようになると、彼らの生活力を低下させないために、餌台を片づける。
そうやって、野鳥とつきあい始めて、15年になる。
しかし、最近餌をやるのをやめた。
このところの鳥インフルエンザ騒ぎである。
まさかとは思うが、万一、うちに来る鳥たちが、インフルエンザにかかっていた場合、餌をやっていた人間は、責任を免れないだろうと思うからである。
渡り鳥からうつると言われる鳥のインフルエンザが、どのような経緯で鶏に感染し、それが人間にまで、感染するのか、そのメカニズムは、よくわからない。
死亡率も高く、今では、恐ろしい病気になっている。
先日も、京都の養鶏場の鶏が、多数感染して、大問題になっている。
この責任者の、無神経というか、鈍感な態度というのは、ちょっと理解しがたいが、かなりの範囲で、広がりそうである。
まだ人間に被害は出ていないものの、そのうち、そうした例も出てこないとは限らない。
私は、熱い御飯に生卵を掛け、醤油を垂らして食べるのが好きである。
しかし、最近はそれをやめた。
信用できる店で買っていても、その卵が、鳥インフルエンザにかかっていた鶏から生まれた物でないという保証がないからである。
流通手段が進んで、今や、食べるものは、世界中のどこからでも手にはいるようになったが、その分、安全性は、むしろ低くなっている。
生産者にとって、自分たちの作った物が、どこの誰の口にはいるか解らないと言うのは、一体どういう気持ちなのだろう。
私は、食べるものを作る人たちを尊敬するし、そのお陰で、日々お腹を一杯にしていられることを感謝している。
しかし、同時に、顔の見えない消費者に対して、その人達が、どのくらい人間的な気持ちを持てるのかと言うことに、少しばかり、心配をしている。
ある行事に招かれて、ある地方に行ったときのこと。
その地方の人たちは、精一杯私たちを歓待してくれた。
帰るときになって、駅までのマイクロバスに乗り込んだとき、ひとりの奥さんが、箱に詰めたトマトを持って、バスにやってきた。
そしてこういったのである。
「今、畑で採ったばかりのトマトだから、バスの中で食べてください。出荷とは別に、うちで食べる分として作ってる物だから、大丈夫だから」。
みんなは感謝して、その心づくしのトマトを食べた。
もぎたてで、水で洗っただけの丸ごとのトマトは、とても甘くおいしかった。
次々と手が伸びて、駅に着かないうちに、箱の中は空っぽになってしまった。
そして私は、先程の、奥さんの言葉を思い出したのである。
出荷するトマトは、おそらくこれとは違うのだろう。
虫が付かないように、たっぷりと農薬が掛けられ、形が整えられて、出荷される。
それが、どこの誰の手に渡るのか、作った人たちは知らない。
しかし、自分たち家族は、別の場所で、農薬もなるべく使わず、手を掛けて作り、形は、揃っていなくても、安全なものを食べる。
食べる人の顔がわかり、それが大事な家族であってみれば、手間は掛かるが、安全性を考えるはずだ。
私たちは、そのトマトを振る舞って貰ったのであった。
正直で、善良な奥さんは、図らずも、いつも自分たちがしていることを、わたしたちに教えてくれた結果になったのだった。
自分のお客さんには、家族と同じ物を食べて貰おうと思ったのだろう。
今回の京都の養鶏場の人たちも、どこの誰かわからない人の手に渡る鶏だから、あんな風に無責任でいられたのだ。
うちに来る野鳥には、何の罪もない。
「そろそろ餌も探せるだろうから、大丈夫だよ」と夫は言った。
そうあって欲しい。



BACK   NEXT
目次ページ