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・・・と思うような雨模様が続いている。 本当は一番良い季候の筈なのに。 風薫る緑の季節。 冷房を入れるほど暑くはなく、ちょっとした旅行にも、美術館や音楽会にも、出かけやすい頃。 雨も、嫌いではないが、梅雨を控えての、今頃の長雨は、ちょっと恨めしい。 夕べは夜中の一時頃まで起きていたので、今朝はちょっと寝坊した。 町会費と赤十字募金を、当番の人が集めに来た。 このあたりは11軒がひとつの班になっていて、一年交替で、当番が回ってくる。 半世紀前は、民家もほとんど建っていないような農地だったらしい。 豪農というのか、大きな地主が住んで、畑や畜産業をしていたようだ。 昭和30年代に入って、地主が少しずつ土地を宅地にして売りはじめ、家が増え始めた。 町会議員は、ほとんど地主が交代でやっていたので、その便宜のために、町会を作ったのであろう。 小さな神社があり、その管理や、その頃あまり進んでいなかった街や道路の整備、家々の連絡のための必要性があったのかも知れない。 うちが引っ越してきたのは、昭和40年代後半だが、まだ、周りには、桑畑や、豚を飼っている農家もあった。 その中にの20数軒が、ひとつの班になって、町会に所属していた。 後に、ふたつに班が分かれ、募金や、神社のお祭りや、防犯、防火、交通安全の行事に協力している。 でも、ほとんどが宅地化され、サラリーマン家庭が多くを占めている現在、住民サービスは市のレベルで行われており、情報も、市報やインターネットで採れるので、町会の果たす役割はほとんどないような気がする。 回覧板を見ても、新しいことは何もない。 年に3回ほど廻ってくる募金も、一体どんな風に使われて居るんだろう、届くべきところに届いているんだろうかと思いつつ、お付き合いで出すが、出さないときもある。 500円くらいのことだが、街中で子どもが箱を持っているところに入れた方がいいような気がする。 町会という組織を使った募金の仕方は、あまり良いことではないような気がする。 自分で、郵便局などに行って振り込んでこそ、募金の意志が現れるのではないだろうか。 そんなことを、いつか町会の総会で発言したら、「非協力的」とか「うるさい人」となどと、陰口を聞かれたらしい。 大体が事なかれ主義、いいとは思わないが、反対してもかえってソンだから適当に付き合っておく、という方がいいようである。 悪くすると、相互監視になるので、戦時中の隣組にならないように、気を付けなければならない。 自分が当番の時に、集まりが悪いと困るので、私も、年に3回の募金のうち、2回は「協力」している。
夫がスポーツクラブに出かけている間のこと。 いい天気なので、私は洗濯をし、それを干そうとしてベランダに出た。 シーツを竿に掛けようとして、両手を伸ばした。 竿は少し高い位置にあるので、上を向いた格好になる。 シーツを伸ばし、端をピンチで止めようとしたとき、急に体が、左によろけて、立っていられなくなった。 傍の椅子につかまったが、崩れそうになる。 とにかく、這って家の中に入り、窓の鍵を閉めた。 そのまま床に寝転がった。 私の頭にひらめいたのは、「脳卒中か」と言うことだった。 その場合は、動かないほうがいいのだろうが、救急車を呼ぶにしても、電話が要る。 また這って、携帯電話のある場所に行った。 頭痛はないし、手先、足先も動く。 歌も歌える。言葉もしっかりしている。 数字を数えてみたが、それも大丈夫である。 脳ではなさそうだなと思った。 携帯で、夫に掛けると、留守モードになっている。 スポーツクラブで、トレーニング中か、風呂に入っているらしい。 メッセージだけ入れて、そのまま床に寝た。 救急車を呼んでも、玄関に鍵が掛かっているし、意識があるから、急を要することではなさそうだ。 それから1時間くらい経っただろうか。 ガレージに車を入れる音がしたので、夫が帰ってきたと解った。 玄関を開けて、夫が走り込んできた。 「どうした」という。 ことの次第を話し、そっと立ち上がってみると、ふらついてはいるが、何とか立っていられる。 「救急車を呼ぼうか」と夫は言ったが、午後から、いつも掛かっている内科の医者に行くことにして、昼食を摂った。 吐き気はないし、食欲もある。 「貧血じゃないの」と夫が言う。 15,6年前まで、私は慢性的貧血があったが、最近は指摘されていない。 午後の診療時間になったので、夫に連れて行って貰った。 車で、15分くらいのところにある医院である。 昔入院したときの大学病院で、若い研修医の女の先生に世話になったが、その結婚相手が内科の先生で、市内で医院を開業、現在に至っている。 夫も私も、そこで検診や、何かの時の世話になっている。 今日は、連休明けということもあって、混んでいた。 1時間くらい待った。 問診で、先生の見立ては、「耳石が三半規管に当たったせいでしょう」という。 人間にも、耳石というものが出来て、それが、平衡感覚を司る三半規管に触れると、目まいを起こすのだという。 加齢や、過労などの原因で、珍しくない症状らしい。 「念のため、脳も調べましょう」と予約を入れ、血流をよくする薬を処方されて帰ってきた。 夕方から「神学講座」に行くことになっていたが、休むことにした。 最近、寝不足が続いていたので、当分、11時に寝ることにした。
今日は寒かった。 おととい都心まで出かけた時は、まるで真夏の暑さ、すっかり汗をかいて帰ってきた。 昨日夕方、人の通夜に行ったが、黒のアンサンブルで、まあちょうどよい気温だった。 今日は昼から下町で、連句の会に行った。 出がけにシャワーを浴び、そのぬくみが残っていたために、外との温度差がよくわからず、薄着で出かけてしまった。 外出前にシャワーというのは、習慣だが、寒いときは、早めに浴びて、体温が落ち付いてから身支度するのに、今日は時間がなかったので、出る直前にシャワーということになってしまったのだ。 半袖の綿シャツに、綿のブルゾン、パンツというスタイル。 それで、丁度いいと思った。 電車の中では寒さは感じなかったし、駅から徒歩7分くらいの距離を、かなり急ぎ足で歩いたので、会場に着いたときは、上着を脱いで、半袖になったくらいだった。 しかし、席に落ち着き、連句が始まる頃から、だんだん体が冷えてきた。 冷房は入ってなかったが、空調は作動していたようで、その風が、寒く感じられ、また上着を着たものの、夕方6時に終わったときは、すっかり、寒くなってしまった。 同席の男性が、「今日は寒いんですよ。僕なんかコート着てきましたよ」と言った。 連句が終わると、残った連中で、近くの飲み屋でいっぱいやることになっている。 そのつもりで、みんなが揃うのを、私も待っていたのだが、店まで歩く途中、このまま行けば風邪を引くなという気がしてきた。 ウールの上着にすればよかった、急いでシャワーなんか浴びるんじゃなかったと後悔した。 店に着いたとき、「何だか寒気がするから、今日はこのまま帰るわ」と言って、一人で帰途についた。 夫は、私が連句に行くときは、どうせ遅くなると思っているから、夕飯はアテにせず、一人で済ませることになっている。 駅近くで、出来合いのお弁当やら、つまみを買い、家にはいると、夫は、すでに食事を済ませて、巨人戦を見ていた。 「ホラ、今日は気温が低くなるよと言ったじゃないか」と夫は言ったが、私は聞いていなかったらしい。 食事をし、お茶を飲んだら、やっと落ち着いた。 このところの気温の変化はおかしい。 トシのせいか、体温調節機能が衰えているようだ。 私が先に帰ったことをあとから知って、今日の連句仲間からメールや電話があった。 「天敵はいなかったはずですが・・・」というメールは、先月、飲み屋の入口まで行って、天敵がいると知って、Uターンしたことを知っている人からである。 「薄着で行ったので、風邪を引きそうでした」と返信した。 「出がけに、天気予報も見ないのは、怠慢です」と、また返信が来た。
知人の奥さんが亡くなり、その通夜に行く。 知らせがあったのは、昨日だった。 私は、おととしの秋から1年あまり、その人が主宰する連句の会に参加していたのである。 以前、その会に連句を教えに行っていた人が、都合で行けなくなり、私に誘いがあった。 もちろん、私は教えるような立場ではないし、柄でもないので、「お仲間として参加させて下さるなら」とはじめに断って、月に一度、神奈川県S市まで、行くようになったのである。 メンバーは、全部で6人ほどの小さな会。 心優しい人たちばかりで、愉しく和やかにお付き合いしてきた。 昨年春、その人の奥さんが悪性腫瘍で手術し、一旦はよくなったかに見えたが、2ヶ月ほどして再発、再入院した。 それからは、一進一退の状況だったらしい。 昨年暮れ、看病に専念したいから連句をやめたいと言われ、解散した。 その後、病状を訊ねるのも憚られるので、そのまま音沙汰無かったが、昨日来た突然のメールが、訃報だった。 奥さんの学生時代の友達が、私の連句仲間なので、相談して、今日の通夜に行くことにした。 式場に赴くと、喪主の連句会で一緒だった女性が受付を手伝っていた。 目礼して、通夜の席に着く。 読経が始まり、親族に続いて、焼香する。 遺影の主とは、面識はなかったが、明るいふくよかな感じの人。 妻を亡くした人の心中を思いやると、胸が詰まる。 老後を愉しく過ごしたかったに違いないのに、昨年、癌が発見されてから、行ったハワイ旅行が、最後の思い出になったようだ。 今年の年賀状には、「いずれ落ち着いたら、連句も、再開したいと思っています」とあったが、その言葉は、どういう意味だったのか。 分野が違っても、自身が医者の身、妻が不治の病と悟りながらも、奇跡を信じていたのか。それとも・・。 私の所属する連句の集まりには、連れあいを亡くした人が結構いる。 多くは、高齢になって、夫を亡くしたケースだが、最近は、奥さんに先立たれる人が増えてきた。 それも、癌などの病気で、まだ、充分余命を残しての年令である。 私の仲間にも、奥さんを亡くした男性が二人いる。 1,2年は悲嘆のあまり、会にも出てこなかったが、気持ちが落ち着き、時間が経つと、復帰してくる。 「あなた達と喋ってると、気が紛れていいよ。家に帰ったって、待ってる人がいないんだもの」 などと言って、我々女どもの、下らないお喋りに付き合いながら、結構愉しんでいる。 今までそばにいたひとが、突然居なくなると言う現実。 癒してくれるのは、時間だけである。 風薫る5月。 その最初の日に、人の不幸の儀式に立ち会うことになった。
昨日、新国立劇場で、芝居を見る。 「線の向こう側」という題である。 出演者は、岸田今日子と二人の男優だけ、休憩無しの2時間、主にセリフだけで進行する。 長年戦争状態にある二つの国、その国境に添ったところに暮らす老夫婦、戦死者の死体のデータを作り、埋めることを生業にしている。 15歳で家を出て行った息子の帰りを待ち続けている。 ある時、戦争が終結、突然国境警備隊員と称する男がやってきて、老夫婦の家の真ん中に国境線を引く。 トイレはA国側、台所はB国側になり、夫婦は、それぞれの場所に行くのに、いちいち許可証を書いて貰わねばならない。 そうした悲喜劇のうちに、夫婦は、次第にその国境警備隊員が、自分たちの息子ではないかと思い始める・・。 これを書いたのは、1973年のチリのクーデターで、オランダに亡命したアリエル・ドーフマン。 新作で、今回が初演と言うことである。 長セリフの掛け合い、今日が初日とあって、まだこなれていない部分もあったが、引き込まれてしまうような内容であった。 男と女の間にある線、国と国の間にある境、人間の生きているところに必ず存在するボーダー。 それは、ひとつの存在の証でもある。 そこで思い出したことがあった。 イギリスの地下鉄の座席は、ひとり分ずつ仕切が設けられていた。 それは決してゆったりした広さではなく、体の大きな人、太っている人には、ちょっと窮屈なほどの幅だった。 しかし、その一つを占めている間は、ひとり分のスペースは、誰にも侵蝕されないテリトリーである。 イギリス人は、狭いスペースをはみださない範囲で、新聞を読んだりしていた。 周りと線引きすることで、自分を守り、同時に、周りのスペースも尊重しているのである。 どんなに混んだ電車でも、人の体に触れないように神経を使うイギリスでは、押し合いへし合いの光景はほとんど見られなかった。 これも、見えない「線」を、引いていると言うことであろう。 線のこちら側と向こう側。 それを意識することで、自己の存在意義を知り、見えてくるものもあるのかも知れない。
インターネットの特徴のひとつは、匿名性と言うことであろう。 お互い、顔も実名も、氏素性も知らずに、付き合うことが出来る。 もちろん付き合うと言っても、ネット上で交わされるメッセージから、相手をイメージし、どこか共通点があったり、感覚の似ていると思われる点があれば、メールや掲示板の書き込みで遣り取りするくらいのことである。 サイトの運営がうまくいっているひとつの要素は、掲示板が生き生きと機能しているかどうかということも、大きいようだ。 私は、自分の冴えないサイトにも、参加型の連句掲示板をいくつか置き、こちらはうまく機能している。 連句という文芸スタイルがネットという媒体とうまく合っているからであり、顔見知りであるとないとを問わず、同じ土俵で愉しむことが出来る。 ゲストブック的な掲示板も置いてあるが、こちらは、書き込んでくれる人は多くない。 覗いてあまり愉しいサイトではないので、気軽に書き込む気にならないのかも知れない。 廃止してしまおうかと思ったこともあるが、サイトの宿帳のようなものだからと思い、そのまま置いてある。 だから、書き込みが無くても、削除されないサーバーのものを使っている。 メッセージに対しては、必ず速やかに返事を書くことにしているが、投稿数が多くないので、それも楽である。 たまに、遣り取りが連続すると、嬉しい。 削除しなければならないような書き込みが、今までほとんど無かったのも、有り難いことである。 あちこち人の掲示板を見て歩くと、サイトそのものより、掲示板だけが妙にニギヤカというのがある。 いったい何のサイトだか、本体はあまり見ないが、掲示板に来る人同士の付き合いが、主なのであろう。 流行っている掲示板は、管理者が概ねおおらかで、類は友を呼ぶというのか、常連のメンバーがいる場合が多い。 中には、実生活でも、付き合いがあるのではと思われるような、仲間言葉で、遣り取りしている場合がある。 見ていて、愉しそうだし、ちょっとその中には入れないなと思う雰囲気がある。 仲間内でだけ通じる言葉を使っていると、覗くのも悪いような気がして、閉じてしまう。 それはまだいい。 其処に新たにメッセージを寄せたとき、常連の人たちから、邪魔者が来たと言わんばかりのリアクションを受けることがある。 「はじめまして」と挨拶しているのに、無視する。 折角仲間内で愉しんでいるのに、余計な人が来てと思うのだろうか。 新参者を飛び越して、前からの仲間との会話を続ける。 せっかくの書き込みは、いつの間にかどこかに行ってしまう。 でも、管理者が気が付いて、挨拶を返してくれれば、こちらもホッとして、また来ようかという気になる。 管理者共々、仲間でがっちり組んで、メンバー以外の人をシャットアウトする空気があると、もうそんなところは2度と行かない。 掲示板に書くというのは、案外と勇気の要るものだから、それがわからないような管理者では、仕方ない。 時々覗いている文芸サイトの掲示板、パスワードを設定しているわけではないが、非常に閉鎖的である。 まず、タイトルの下に「会員制」と表示してある。 一時は、「新加入は、会員紹介により厳選」などと書き加えてあった。 さすがに、最近は、それはカットしたが、感じの悪いこと、類を見ない。 「偉そうに」と、サイト管理者の顔を見てやりたくなる。 また、別の例だが、掲示板に入った新人を、常連が、いびりまくって、とうとう追い出した情景をつぶさに見たことがある。 新人は、別に有害な記事を書いたわけではない。 ただ、前からの空気が飲み込めず、少し、不器用な乗り方をしたのであった。 疑問に思うことがあって、率直に質問した。 それが、前からの常連に気に入らなかったのである。 集中的に、言葉尻を咎めるごとき反応をし、いたたまれなくなった新人が、とうとう引っ込んでしまったのであった。 そんな情景は、当事者でなくても、不快なことである。 広く公開し、アクセスの多いことを誇っていながら、新しい人に対するやさしさのかけらもないのである。 今につぶれるだろうと思っていたら、其処はインターネット、どんどんメンバーが替わるので、ほどほどにメンバー数が保たれていて、まだ健在らしい。 ただ、たまに覗いてみると、その分野のパイオニアとして始めた頃の、キラキラしたものが無くなり、メンバーはほとんど入れ替わってしまった。 みんなが同様のものを、ネットをやるようになり、いつまでも王国で居られなくなったからであろう。 今のサイトの運営をいつまで続けるか、私にとっても、考え直すときが来ている。
新宿で句会があり、出かけた。 小町忌や裏返したる男下駄 5人が選を入れてくれた。 小野小町、歌人であり、美女の代表として喧伝される。柿本人麻呂と同じ日に亡くなったとのこと。 晩年は、幸せではなかったらしいが、小町忌は、晩春の季語になっている。 弦楽の遁走曲や小町の忌 こちらは2人選。 弦楽でない方がよかったのに・・・と言う声もあった。 句会は、連句の発句の修練のために、誰かが言い出して始めた。 先生格の人が加わって、大体14,5人でやっている。 今日は14人が集まった。 無記名で投句、清記が終わってから、互選し、高得点の句から、合評する。 3句ずつ出し、集まった句の中から5句選ぶ。 みんなで忌憚なくコメントをし合い、作者が名乗る。 連句は、その場で発句を出して始めることが多いので、即吟には、皆慣れている。 これは、あの人の句だなあ、とわかる場合もあるが、名乗ってはじめて判る場合のほうが多い。 その意外性と、自分の句に誰が選を入れてくれるかの意外性が、面白い。 5時少し前に終わった。 いつもなら、ここで2次会に移るところだが、幹事役の人が、別の場所で、6時から開かれる句会に、みんなで行きませんかという。 新宿東口からちょっと距離があるが、その辺の酒場をたまり場にしている先輩格の人が、声をかけてきたという。 そこで、まっすぐ帰る年配の人たちを除き、10人がそのままそちらの会に行くことになった。 歩くとかなりありそうである。 冬ならタクシーを相乗りするところであるが、まだ明るく、暖かくもあるので、ゆっくり歩いても、間に合うでしょう、歩こうよ、ということになった。 私の足で、駅まで15分くらいだが、心臓疾患で早く歩けない人がいるので、合わせて歩いたら、30分ほどかかった。 駅を抜け、デパートの裏通りを歩き、やっと目的のところに着いた。 半世紀も経っていそうな、古い小さな居酒屋である。 周りも、同じような店が、並んでいる。 「10人も増えて大丈夫なの」といいながら、先に入口から様子を覗いた人が、「あら、Sさんが居るわ」という。 私にとって、不倶戴天の敵である。 まさか彼女が来ていたとは知らずに、延々歩いてきたのであった。 即座に私は、入らずに帰ることにした。 私たちは、飛び入りだから、主催者には、誰が来るかまで、わかっていない。 黙って帰れば、それで済む。 ところが、一緒に歩いて来た人たちのうち、二人の女性が、一緒に帰るという。 「折角来たんだから、行きなさいよ。私だけで済むことなんだから」と言ったが、二人は、もともとあまり気が進まないところを、来てしまったので、構わないと言う。 じゃ、お腹がすいたことだし、3人で何か食べて帰りましょうと、話がまとまり、一軒おいた居酒屋に入った。 そこで、ビールを飲み、少しばかりのものを食べ、2時間近く経って、店を出た。 疲れもとれ、また歩いて駅まで行った。 ひとりは、電車が違うので、そこで別れた。 新宿を、東西に跨っての、ちょっとした彷徨だった。 帰宅して、遅くなってから、仲間の男性からメールが入った。 「入口まで来て、Uターンしたのは何故か、一緒に行った連中がちょっと白けた」という内容である。 「失礼しました。天からの声で、帰った方がいいと思ったので、そうしました。あとの二人は、誘ったわけではありませんが、私をひとりにしたらかわいそうだと思ったのかも知れません」と、返信した。 詳しい事情など、皆に言うことはない。 女性のなかの少数の人たちが、うすうす知っているだけのこと、「どうして帰っちゃったんだろう」と、あれこれ推測も交えて、噂したかも知れないが、天敵と、同じところには、いたくなかっただけの話である。 そんな場合は、あとから来た方が、譲るべきだから、そうしたまでのことである。 今日は仏滅の日であった。
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