大きな課題とは、死と自然科学との関係です。
死と自然科学が結びついていると考えるのは特殊な考え方でしょう。
現代世界の私達は日々の日常生活にある自然科学の原理が密接に関連しています。日々使う電気、プラスチック、水道などは物理学や化学などがなければ生み出しえなかったことです。そしてその自然科学の原理は人間が死んだ後に何もなくなるという現実を突きつけてくるのです。時計をみて、目に指す目薬、おにぎりの海苔の商品が、私には「あなたは死後何もないのです」という現実を突き付けてくるのです。物質に魂はないし、幽霊もいない、意識は脳内の化学変化に支えられている、と。だから、特殊な考え方だと言うのです。
目の前の現実性はこの上なく確実ですが、理論上の自然科学の原理はどのくらい確実なのでしょうか。
この問題が知りたくて科学哲学を学びました。そこで見つけた答えは、「方法論的要件の厳密さが最も高くいこと、原理の実態は把握できないが、写像の変換の蓋然性は高まっていること(例えば、ニュートン力学から量子力学への写像)」でした。分かり易くいえば、「人間の手にできる最も確率の高いものが自然科学の原理」だったのです。
仏陀はこの目の前の全てが曖昧である、と言っています。死後の世界は魂の世界であるかないか判らないから考えるだけ無駄だという哲学者もいます。確かに一理あります。
けれども、自然科学の原理が私達の目の前の生活をささえ、理論上も最も高い、という世界に彼らはいなかった。あるいは現代人でさえ、自然科学の原理が私達の生活を支えているという視点に立って語っている人は少ないのです。
私はある男に問われた。
「あなたの夢はなんですか?」
私は答えた。
「私は万年平社員でいい、と思っています」
ある男はさらに問うてきた。
「なぜでしょうか?」
私は答えた。
「私は考えている大きな課題があります。」
「行き止まりの道を突破することを考えています。自然科学の原理が相手ですが」
ある男に対して誠実に答えたが、立ち去ってしまった。