他責思考 とみれば究極の他責思考
なぜ、死ななければならないのか
どうして、全てが無くなるという自然法則がこの世にあるのか
そして、その自然法則が人間が手に入れられる知識の蓋然性が最も高いのか
どうして、どうして、私は消え去るのか
私自身の努力や、才能や、あらゆる一切を無視して、死ななければならないのか
エピクロスのように死は悪くない、とみれば自責志向だろう
ソクラテスのように死は恐れるに値しない、とみれば安心できるだろう
しかしだ。
彼らは現代の自然科学の諸法則と、それらの包括性(全体性)を知らなかった
そしてそれらの諸法則と包括性が製造する工業品の有効性を知らなかった
パソコン、インターネット、自動車、銃、ワクチン、プラスチックを知らなかった
これらの工業品が示すのは、人間が手に入れられる知識の蓋然性が最も高いのは自然科学の諸法則と包括性である
そして私の肉体もまた、工業品と同じで、薬によって現代医療によって生きていられる
これらが示すのは、私自身の努力や、才能や、あらゆる一切を無視して、死ななければならない ということ
現前たる厳然から目をそらすことは、私にはできない
だから、他責思考 とみれば究極の他責思考
こんな悲惨な老後になったのは、配偶者が悪い、国が悪い、町内会が悪い、という一般的な他責思考とは、ちょっと異なる究極の他責思考
だからこそ、自分の努力や、あらゆる一切で解消できる、という希望がない究極の他責思考