| 2006年01月24日(火) |
ひとヤマを越えた…か? |
テスト、なんとか乗り切りました。あらかじめ「こういう問題を出すよ」と言われていた教科は案の定予定外の問いを出されました。 いや、そこまでいじわるしないかなぁと思ったんだよおおう。ちぇー。
今日は3コマとも同じ教室だったので、レポート出しに行くとき以外はずっと同じ席に居座ってやりました。
さらに帰りにCD屋に寄るも、内PのDVDがもはや売り切れ…!!昨日の今頃は今日ゲラゲラ笑っているであろうことを想像していたというのにこの落差。 人気みたいだね。おとなしくアマゾンで注文。それでも4〜6週間だってよ。とほー。 しかたない。今までとりためたビデオで慰めよう。ぐっすん。
でもテンション上がることも。去年一緒に税務署でバイトをしていたW邊ちゃんから「今年もバイトする?」のメールが(゚∀゚) もちろん行く行く!と即座に返事。今から再会が楽しみだけど、でもその前に採用してもらえるかどうか…。 早くテストを終わらせて、郵便チームのみんなとEXPACK500にイライラしたあい!
仲良しの職員さんいなくなっちゃったけどね…しょぼぼぼーん。
で、以下、かなり赤裸々で偏ったおはなしをしようと思います。別にヒかれていいぜ!ってくらい勢いで書いてしまうので嫌な想いをしたくないわぁと言う方はどうぞリターン!
テスト勉強で、文学における恋愛とは…ってのをここしばらくまとめていたです。 わたしのチョイスした作品がたまたまそうだったから、という偏った視点であるということを念頭に置いた上でお読みください。
恋愛とは、相手との合一…つまりセックスをめざすものである。…らしいんですよ。 とか言ってるとまるでえっちするためだけに付き合っているように聞こえますが、まぁ今は余計な話は無視するのでそのように納得しておきつつ。
しかしその恋愛の対象との間に距離が生まれると、合一は果たされなくなる。この場合の距離は物理的な距離じゃなくて精神的なものね。彼岸化するとか、そういうことで。 合一が果たされないと、その恋愛は純愛化するわけですよ。なぜなら、永遠に結ばれることがないから、永遠に憧れを抱き続けられる。相手のいやな部分を知ることもなく、自分のなかでどんどん美化し続ける。 失ってはじめて気付く云々てのはよく言うことだけど、それに似たようなことで。得られないと知ったときに、いっそうその気持ちは強くなる。即座に強くなることはなくても、時間が経つにつれて、何かのきっかけのときにでも、だんだんと、しだいに強くなる。
わたしには忘れられない人がいます。 その人はまだ亡くなってしまったから会えないわけではないけれど、たぶん永遠に会うことはないだろうと思う。そしてこれが恋かどうかの判断をくだす前に会えなくなってしまったせいか、会えなくなってからしばらくしても夢で見たりして。どんどん想いが美しいものにされていく。もしかして恋だったんじゃないか、なんて。
もし今彼と会うことが出来たら、勢いで好きと言ってしまうかも知れない。今こう思っているのは、「会えない」と言う諦めがあるからという前提であるにもかかわらず、そのことを忘れて。 そしてもしまかり間違ってその想いが成就したところで、驚くほどありきたりな不満は生まれてくるだろうと思う。トイレの便座を上げっぱなしにするとか、タバコ吸ったすぐあとにキスしてくるとか、そんなささいなことの積み重ねで。 そして憧れはむなしく現実となり、今までの恋愛と同じようにあっさりと終わってしまう。
結局、それは叶わないから生じる憧憬であって、正直ゆくゆくは結婚という現実(すんません今だけはできるのかどうかという問題点はスルーでお願いします)にぶちあたるのだから、最終的に落ち着くところは先に述べたような合一を目的とした、まるでクールな恋愛しかないわけで。
じゃあ今わたしがしている恋愛のようなものはどのようなものか、と言うなら、やっぱりそれは確実に純愛ではなく、合一目的のものであり(一応断っておくと、えっちしたいから付き合ってるわけじゃないですよ。ただ、純愛云々に当てはまらないから、無理矢理合一目的にこじつけているだけで)。 だとしたら、目的を果たしたそのあとに目指すものってなんなんだろう。それともその先に見えてくるものが結婚なんだろうか。
合一目的の恋愛は純愛には勝てない。永遠に。 どんな形にせよ別れた恋人をときに思い出してあの頃は良かったな、なんて回顧するときは、ある。別れた恋人とのはなしは少なからず純愛化する。叶わないから美しくなる。
だけど、今付き合っている恋人よりも、恋かも知れなかったあの人を大切に思ったりするのは、やっぱり別問題なんだろうな…。
なんだか色々考えてしまったテスト勉強でした。
あーあ、ワッキーの胸毛をむしりたい(@鶴の間)。
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