今日乗せた客というのは、60前後の客。根っからの地元民らしい。 話しているうちに、当時彼らの世代が子供だった頃の遊びの話になった。
おいらたちが子供の頃は、遊ぶところがだいぶ減っていて、自然もだいぶ減っていたけど、それでも外で遊んでいた。 学校では、ドッジボールやサッカー、遊具といわれるもので遊んでいた。 学校が終われば、テレビゲームもやったが、近所の林に虫を取りに行ったり、原っぱでカマキリを取ったりしていた。 それでも、東京の林では、カブトムシが取れるのはまれで、まぐれといっても過言ではなかった。
ところが、彼らの頃は、周囲は田んぼか湿地帯。自然が多い、というよりは、文明が大自然に負けている、という状況だった。 ボールとかもろくすっぽないから、野球とか、ドッジボールもできない。というより、そういう遊びそのものも存在しなかったに違いない。 当然道路は舗装されていない砂利道で、あぜ道から田んぼの中を覗き込めば、フナやらドジョウやらがわんさかいて、サワガニやザリガニもいる。車は見かけて一日一台。基本的には農家の移動手段はバイクにリヤカーというものだった。 典型的な、農村の風景。 そういう環境で、彼らの遊びといえば、虫取りだの鬼ごっこだの、ちゃんばらごっこだの・・・。 その中で、当時珍しいラーメン屋に、一日かけて食いに行く、ということが、彼らにとっての豪華な遊びらしかった。勿論豪華な遊びなので、やれて一ヶ月に一回。 その遊びというのは、100円の小遣いを貰い、近所の小さい子を連れて、二時間半くらいかけて出かけていく。そして、近所の山を登ったりした後、ラーメンを食って、電車で帰ってくるのだ。 近所に駅はあるのだが、彼らが当時住んでいたところから、最寄駅までは歩いて2キロぐらい。その、ラーメン屋がある駅まで、大体20キロくらいで、最寄り駅からの電車賃は40円。 ラーメンが60円なので、電車で往復すると、ラーメンが食べられない。 そこで、元気な往路のみ、徒歩で行くのだという。 しかし、小さい子がラーメン屋にたどり着く前におなかを減らしてしまうことも多々あったという。 そういうときには、ザリガニを取って、近所の田んぼから草をとり、それに火をつけ、ザリガニを焼いて食ったのだという。 泥臭くなくうまかったとか。 また、歩いている途中になっている柿やりんごを取って小さい子に分け与えて、おなかをもたせたのだという。
なんというか、ワイルドな幼少期を送ったなあ、と思ってしまった。 しかし、その分、楽しかったのだろうと思う。 おいらたちも、そういう時代に生まれたらな、と思ったのは間違いない。 たしかに、ものがなくて、お金もなくて、色々と苦労したかもしれない。 でも、その分、楽しいことがあったのかもしれない、と思ってしまう。 当時は、ないものも多かった。その分、今でいう「あたりまえ」という常識もなかったような気がする。 今であれば、あれをしてはだめ、これをしてはだめ、ということが予め親から言い渡される。その分、怪我をしたりする機会は減るのだろうけど、痛い思いをしない分、他の人を傷つけている機会が増えている気がする。それは、何をどうしたらどうなる、という予想が立てられないから。 喧嘩をするにしても、相手を死に至らしめるまで殴る、というのは、殴られた痛みを知らないから、テレビとかの喧嘩の仕方を真似て喧嘩をする。しかし、手加減が分からないから殺してしまう。 そういう事件が最近非常に多い気がする。 また、30代で、サラ金の自転車操業をやって、自己破産をする人間も多い。 結局、お金の価値がわかっていないからだ。それはすなわち、お金がないときの痛みを知らないからに他ならない。 色々物が与えられている時代。それは、ある意味富の象徴かもしれない。しかし、同時に、自分がいろんな痛みを知る機会がなくなってしまった、という気がしてならない。
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