Leonna's Anahori Journal
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Kさんへ
おととい「グラン・トリノ」を観てきました。 目黒シネマという名画座で観たんだけど、映画好きの良心を感じさせる 古めかしいけれど気持ちのいい映画館でした。 頑固じじいを演じても、かっこ良すぎるイーストウッドでした。
でも、あの隣に住むモン族の少年は、あれは狂言回しですよね。 主人公はアメリカ人の爺さんなんですよ。 死ぬ前にするべきことがあるような気もするけれど、いや、わしゃあ これでいいんじゃ、いいんじゃーい、という 茫漠とした悩みにすっぽりと包まれて息苦しそうな、あの頑固爺さん。
だから、爺さんはあの少年に感謝の気持ちでいっぱいだったと思う。 いくらしても、したりないくらいの感謝をね。 だって誰かのために何かをしたくたって、その誰かがいなければ、 それはできないのだから。 お節介も、させてくれる人のあればこそ。 そういう意味では、爺さんはこれっぽっちも自分を犠牲になんかして いない。むしろ幸せを感じていたと思います。 (もし涙が出るとしたらこの幸せに対してですが、今回私は泣きませんでした)
隣に住むモン族の家族がアメリカ中西部へやってきた理由が、 「ベトナム戦争で米国に協力して故国に住めなくなったから」というのが 社会派監督イーストウッドらしい、上手い背景の作り込みだと思ったけれど でも、「グラン・トリノ」、社会派してましたか? 私には、社会派というより、 相変わらずの「ロマンチストなイーストウッド」って感じでした。 そういうイーストウッドが大昔から好きだったのだし、そういうところは 少しも変わってなかったな、と。 甘甘爺さん(笑)
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