★悠悠自適な日記☆
DiaryINDEX|past|will
私は自他共に認める吉本新喜劇マニアである。というのも、我が家では毎週土曜日の昼食前になると呼ばれなくても全員がリビングに終結し、その中でも一番手の空いている者が「吉本新喜劇」をビデオに録画するという暗黙の掟があるからだ。こうして毎週録画を続け、特におもしろかったものは永久保存版として大事に保管される。もうかれこれ10年くらい続いているが、それでもたまに録画を忘れたりするわけで、そうすると少なくとも3日間は文句を言われ続ける。とにかく、我が家における吉本新喜劇とは三度の飯と同等に扱われるのである。これで新喜劇に詳しくならない訳がない。今では家中の誰もが最初の10分を見ただけでストーリーが読めてしまう。なんともくだらないことに情熱を注ぐ一家である。
では新喜劇の何がそんなにおもしろいのか?それは、新喜劇独特のワンパターンなギャグとストーリー展開にある。平和な日常の中にある日突然おかしな奴がやってきて生活をめちゃくちゃにする。やっと馴染んできたかと思いきや今度はヤクザが暴れ回る。しかしそのヤクザも最後にはおちょくられてやられる。基本的にハッピーエンド。昼食を食べながら、こたつの中でせんべいをかじりながら何も考えずにヘラヘラ見るのが最も理想的な観劇方法である。劇場でも飲食可能になっている。お気軽さが売りだ。
それから座長の存在も忘れてはならない。座長の存在は大きい。その週の座長で新喜劇のカラーが決まる。新喜劇の座長は伝統的に3人いる。何故3人かというと昔吉本には「なんば花月」「うめだ花月」「京都花月」という3つの劇場で吉本新喜劇を運営していた時の名残りだそうだ。現在の3トップは内場勝則、辻本茂雄、石田靖で、最近は吉田ヒロも加わり4人いる。その中でも内場さんはその実力、人気から「スーパー座長」と呼ばれている。我が家は内場さんと辻本さんの大ファンで、彼らが出る日は「当たりの日」と言っている。劇場に足を運ぶ際は自分の好きな座長さんが出るかどうか確認してから出掛けてもらいたい。
新喜劇独特のおもしろさに不慣れな人には「そんなに同じようなモンばっかり見て飽きひんのか。」と思うらしい。ところがどっこい!新喜劇には見れば見る程、噛めば噛む程味が出てくるというスルメイカ的要素が隠されているのである。
例えば序盤に出てくる挨拶ギャグ「ごめんやしておくれやしてごめんやっし〜」や「ごめんください。どうぞお入り下さい、ありがとう」などは、最初の2、3回まではすごくおもしろい。しかしそのまま4回、5回と続くとやはり飽きてくる。だが、そのまま10回も見れば今度は不思議とそのギャグの直前になると「くるで、くるで…」と心待ちするようになるのである。予想が当たれば「ホラ、やっぱりな」と勝ち誇った様に大喜びし、外れればガッカリする。そしてそのうちにまた新しいギャグが生まれる。これが新喜劇を何度見ても飽きない理由だろう。
それだけではない。ある程度ギャグの予想ができるようになると、今度はそのギャグを実演したくなってくるのである。例えば誰かの家にお邪魔したとき。扉を開けたら何か一発ギャグでもやらかさなくてはいけないような気がしてウズウズしてならない。そこで一発ギャグをやるとする。関西の人はお笑いに関しては寛容なので笑ってくれたり、ツッコミを入れてくれたりと、なんらかの形で反応を示してくれる。するとその人はその先もずっと新喜劇のギャグを披露し続けるようになるのだ。他人様のギャグであるにも関わらず、自分がウケるとなんだか自分までもがおもしろい人として認められた様な気がして嬉しくなるのである。そしてますます新喜劇のギャグを覚えるのにのめり込んでしまう。あとはこれの繰り返し。これぞ「新喜劇マジック」だ。
特に関西のオッチャン、オバチャンは誰かがおもしろいことを言えば相手の背中をバンバン叩きながら大口を開けて笑い「あんたおもろいなぁ。将来は吉本に入りや。」とやたら吉本入りを勧めたがる。関西人が持つお笑いに対するプライドがこの辺から垣間見ることができる。
笑って生きられることは幸せなことだと思う。吉本新喜劇はその「笑い」をこんなにも身近に提供してくれている。大切にすべき存在だ。最近は新喜劇も東京へ輸出されているが、やはり子供からお年寄りまで楽しめる笑いの雰囲気は大阪にしかない。関西に遊びに来る時はテレビでもいいので、ぜひ「吉本新喜劇」を見て笑ってほしいものだ。
|