ダメダメちゃむ日記
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2004年03月28日(日) 「夜回り先生」

なかなかそうは見えないでしょうが、私は時々本を読む。
とにかく漫画を買う数が半端じゃないので、本を読むのは本当に時々だ。
今日は行きつけの美容院の店長に、
「『私には週刊誌は要りません』って感じですね?」
と言われ、
「家では本を読まないんですよ」
と言ったらひどく驚かれた(笑)
美容院に行くほとんどの場合、本か漫画を持参している。週刊誌を読むのが苦痛だからだ。私は好きな言葉しか読みたくない。知りたくもない情報が満載されている週刊誌を読むのはとてもイヤだ。だから、自分の本を持参して、ほとんど読みっ放しだ。今日も「カット」と電話で予約して、椅子に座って本を読んでいる間に店長が髪を切り始めていた。
「勝手に切っちゃってますけど……」
「あ、はい、適当に好きに切って下さい」(笑)
髪型のリクエストなどできないので、いつも「適当に短くして下さい」としかオーダーしないので、店長ともツーカー。生徒の職場学習でここ何年もお世話になっているので、転勤になったと報告した。新しい学校名を伝えると、
「大変ですね」
と言われたが、
「どこでも同じですよ。どこで何年生を受け持ってもみんな大変です。幸せな子どもなんて一人もいないんですから」
私は「夜回り先生」(水谷修著/サンクチュアリ出版)を読んでいた。

2月13日(金)大阪の丸善@OCAT店で「夜回り先生」を買った。葛山信吾さんの写真集「W」発売記念握手会で大阪に行った時だ。その数日前、地元新聞にこの本の紹介が載っていた。「読みたい!」と思ったが、地元の本屋にその時この本はなかったのだ。今では平積みで売られているが。
それから一月以上、毎日持ち歩いていたが、今日まで読んでいなかった。どのくらい本を読まないかわかるというものだろう(笑)

言葉を「美しい」と思うようになったのは3月25日からだ。教科書に載っていたヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」を範読しながら、「言葉とは何と美しいのだろう」と心が温かくなった。3月21日に「奇跡の人」のDVDを見たことをこの学校での最後の授業として生徒の話したおかげだと思う。
「夜回り先生」の言葉はどれもみな美しい。一つ一つの文全ての字に水谷先生の愛があふれている。その陰に絶望的なまでの水谷先生の寂しさと痛みがあるためだ。彼が夜回りを12年間休みなく続けているのは、夜の街にいる少年少女たちを愛することを通して、自分自身を愛そうとしているためだと思う。
彼の名前は修である。私は修という名前を思い出した。中学から高校にかけて、大好きだった「たれに捧げん」(吉田とし著/当時集英社コバルト文庫)の主人公が恋した少年の名前と同じだ。私にとって小説の修さんは理想的な少年だった。架空の修という少年を私は愛していた。同じ名前を冠した水谷修先生の本を読み終わって流れた涙は、きっと私の中で小説の修少年とどこかつながっている。
そう言えば、26日に生徒達が迎えたのは修了式であった。
たった1つの漢字から、青春時代の友人や当時の気持ちを思い出し、生徒達を思うことができる。言葉とは何と素晴らしいものなのだろう。

私は優しい言葉を練成しようとし続けている。
ネットの向こうにいる、Mちゃんや、障害を持ったお子さんを育てているPさんや、てんかんの発作を持つお子さんを育てているMさんや、家に引き篭もったTさんに向けて、意図的に優しい言葉を綴ろうと意識し続けている。
その時点で私の言葉は嘘なのだと思う。
私ではないのです。
あなたを救うのは私では無理なのです。
私はそれを知っていました。
あなたも本能的にそれを知っています。
でも、懸命にそこから目をそらそうとしてきました。私にも何かができるのではないかとあがいてきました。
でも、あなたも知っている通り、あなたを救うのは私ではありません。

「夜回り先生」の中で、シンナー中毒の少年を死なせてしまった水谷先生は教職を去る決意をします。そしてせめて辞める前に、と死ぬ直前に少年が行きたいと願った薬物依存専門の精神病院の医師を尋ね、こう言われます。
「水谷先生、彼を殺したのは君だよ。いいかい、シンナーやや覚せい剤は簡単にやめさせることができない。それは“依存症”という病気だからだ。あなたはその病気を“愛”の力で治そうとした。しかし病気を“愛”や“罰”の力で治せますか? 高熱で苦しむ生徒を、愛情こめて抱きしめたら熱が下がりますか? 『お前の根性がたるんでいるからだ』と叱って、熱が下がりますか? 病気を治すのは私たち医者の仕事です。無理をしましたね」
それから、医師の勧めを受けて、ドラッグと闘う教師としての道を歩み始めます。

『昨日までのことは、みんないいんだよ。

「おれ、死にたい」「わたし、死にたい」
 でも、それだけはダメだよ。

 まずは今日から、水谷と一緒に考えよう。

 私にとって、子どもの過去なんてどうでもいい。今もどうでもいい。
 大事なのは、時間がかかってもいいから、誰かの助けを借りてもいいから、自分自身の意思と力で、幸せな未来を作っていくこと。そのためには、とにかく生きてくれさえすればいい。生きれば生きるほど、子どもたちは誰かと出会いながら、どんどん学んでくれるはずだから。

 この本を読んでくれた大人たちにお願いがある。
 どんな子どもに対しても、まずは彼らの過去と今とを認めた上で、しっかり褒めてあげてほしい。よくここまで生きてきたね、と。
 
 生きてくれさえすれば、それでいいんだよ。』

重いバトンを受け取ってしまったと思う。
けれど、何と幸せな重さだろう。
私には出会いがあり、言葉がある。
私も一緒に考えよう。
あなたの幸せな未来を。


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