ダメダメちゃむ日記
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2004年04月03日(土) カムアウト

職員構成を発表する前に、新校長先生に呼ばれて個人面談がありました。
「前任校の校長から、先生の病気については申し送りを受けています。『みんなに知っておいてもらった方が本人のためにもいいように思う』とのことでしたので、私の方から皆さんにお知らせしてもいいでしょうか?」
正直言って「ありがたい」と思いました。新任校に来て、学年所属・担任希望・公務分掌の希望調書を書いたのですが、「特殊事情」という項目に自分の病気を書くべきかどうか迷いました。
「今はちょっぴり『大丈夫』かも」なんて自負があったので、今回は書かずに担任をさせてもらいたい気持ちの方が強く、書かずに担任希望で提出していたのです。

私個人については、是非とも職場の皆さんには「ちゃむ先生はうつ病である」と知った上で、多少なりとも配慮いただいた方が働きやすいのです。
うつ病というハンディを持っている以上は、少し(以上)は甘えないと私がつぶれてしまうからです。

「校長先生からお話いただくと深刻になってしまうので、自分で話をさせて下さい」
とお願いしました。了解してもらえました。そして、
「先生がとても調子がよくて張り切っていらっしゃるのもわかります。けれど、『職場環境も変わったことだし、1年は副担任として様子を見て、来年度担任としてがんばっていただいた方がいいのではないか』と前の校長のご意見を伺っています。私もその方がいいのではないかと思います。今年は副担任ということでお願いできませんか?」
人生の大先輩であるお2人の校長のご配慮をとても嬉しく思いました。正直なところ、この学校でも担任希望が少ないのです。たくさんの先生方がいろんなきつい事情をお持ちなのです。それでも、私のことを考えて下さるご配慮が本当に嬉しくて、素直に「はい。よろしくお願いします」<(_ _)>と頭を下げました。

その後の職員会議で最初に軽〜くカムアウトさせてもらえました。本当にありがたいことです。
職員会議で学年・学級担任が発表された後、ちょっと紛糾しました。私のために若い講師の先生が担任になってしまいました。休憩時間に気持ちを伺ってみると、とても不安そうでした。
ちゃむさん、俄然張り切ってしまいます。何しろ私は担任をやりたいのですから。
ドクターに電話してみましたが、往診中でした。ダーリンから電話が入りました。「副担任」と伝えると「その方がいい」と言われました。それでもまだ心のどこかでは納得できない自分がいるのです。
何しろ「ちゃむさんの『大丈夫』はひとつも大丈夫じゃない!」のですから(笑)
「担任できるかどうか医者に聞いてみる!」
とアタフタヘ( ̄□ ̄;)ノ ヽ(; ̄□ ̄)ヘアタフタ 張り切っている私を、9年同じ職場で(3校目も一緒♪)働いたY子先生が「ちゃむ先生、ちょっと……」と廊下に呼んでこっそり話してくれました。
「ちゃむ先生、職場変わって張り切っているのはわかる。あの発表見て、『自分が頑張らなきゃ』って思うのもわかる! でも待って! 絶対校長先生が言った通り1年様子見た方がいい! この学校の担任は本当にきついの」
Y子先生。1年振りに会ったあなたは元3年担任としてしゃきしゃきと中堅らしく(本人は「( ̄◇ ̄;)エッ? 私、中堅ですか!?」Σ(・ω・ノ)ノ!? とびっくりしていたが)働いていてとてもまぶしかった。うつ病がその影を潜めていた3年間、子どもを2人産んだ後病んでいった私を、一番見ていてくれたのはあなただったかもしれないね。それに、メニエール病のS先生(この方とも今年で3校一緒なのだ!本当に心強いぞ!)と、メンタルで体調が悪いのに職場事情のために無理して担任やってまた体調を壊したもう1人のY子先生と、あなたは一昨年同じ学年部だったもんね。私はY子先生の忠告を素直に受け入れた。
念のためドクターに携帯で聞いてみた。<全然素直じゃない(笑)
ド「その方(副担任)がいいと思います」
ち「今はちょっと体調がよくなって、ハイになっている可能性がある?」
ド「はい」
ち「わかりました」
Y子先生と校長に伝えた。
「ドクターストップがかかりました」
たくさんのたくさんの温かい思いやりが私を包んでくれる。守ってくれる。だから私は働いていける。

結論が出ないまま勤務は終わり、新しい学校のメンバーと花見に行った。送ってくれたダーリンと子どもたちと桜の花を見ながら公園を歩いた。
ビール飲んで、焼き肉食べて、いろんないろんなことを、たくさんの仲間と話した。熱くて温かい仲間と巡り逢えた。私は何と幸運なのだろうと思う。
自分にできる範囲で、皆さんと一緒にがんばっていきます。



ちゃむ |MAILHomePage

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