ダメダメちゃむ日記
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2004年04月29日(木) 群れと記号と個体

↑というようなお話を先日ドクターと交わした。
3月から、いきなり「人」の顔と名前が一致し始めた。
教員になってからの私は生徒の顔と名前を覚えるのが本当に苦手だった。
それがいきなり一致し始めたのだから面食らった。
苦手だった跳び箱がいきなり跳べるようになって、でも本人は何をどうしたらできるようになったのかわからない、という具合だろうか。
ドクターにそんな話をしたら、
「今西○○さん(?)の本に群れと個体(?)という話が出ていましたね」
というようなことを言われて、
「ああ、そうです! そんな感じです!」
と膝を打った。
これまでは、「生徒」とか「○組の子」とか「先生」とか「保育園で娘と同じクラスの子ども・そのお母さん」という群れと記号でしか人を認識できなかったのだ。
それがいきなり様々な個性を持った、それぞれの「人」として「私」の世界に繋がってきた。
運転していたり、街を歩いていたりしても、やたらと視界にいろんな情報が飛び込んでくるのでびっくりしている。
これまでは目を伏せていたんだと改めて思う。
私は世界を知りたくなかった。世界はいつも私を裏切るから。だからいつも目の前2メートルくらいの楕円しか見ていなかったように思う。

昨日、授業中に生徒がちょっと他の子にいたずらをしているのを見つけた。された子も笑っていた。去年までの私だったら「やめなさい」と言ってスルーしていたであろう小さな悪戯を見逃してはいけない気がした。
私は自分のいじめられ体験(中3:2ヶ月の無視)を生徒に語った。<これまでこの話は大抵2学期後半から3学期にかけて話していた。
「昨日まで笑っていたクラスメート達が徐々に私を無視し始めた。たった1人の友だち(micさん)を除いた全員が私を無視した。でも、冬休みが終わって席替えをしたら、いじめは終わっていた。『何だこれは!? こんなにも簡単に他人はころころと変化するものなのか!?』と、私はそれから人が信じられなくなりました。ええ、去年までずっとです!」
話しながら、内心「へぇ、そーだったんか〜!?」と思ってしまいました。
たった2ヶ月のいじめ。
たかが無視。たかが悪口。持ち物にも悪戯されなかったし、身体を傷つけられもしなかった。
担任は知っていたのに、私を突き放すことで私を成長させようとして、直接・間接の暴言を受けた。担任でない先生方からそっと掛けられた優しい言葉は今も胸に迫るほど暖かいのに……。あの時の担任は私への対応を決定的に間違えたのだと、今にしてわかる。
そして、心の傷は22年も残った。
私がうつ病になったのは、母のせいばかりではない。
あの裏切りは15歳の私には死にたくなるほどつらかった。
そして、確かにそれから他人を信じなくなったのだ。
中3時代に生徒会活動に頑張りすぎて目立ち過ぎた私に降りかかったいじめ。
それから私は代表に立つことを極端に怖れるようになった。
一部の友人以外の他人を信じてはいけない、他人はふとしたきっかけでいきなり手の平を返すのだと、私は常に同世代やクラスメートを怖れていた。
だから、他人を記憶する必要は私にはなかった。私は常に心の中で他人を排除していたから。
父の死は重過ぎたので、私の本能は自然を求め、野外活動のサークルに入った。
大学3年の春、サークルの先輩達に一斉に私の言動を否定され、注意されたことも痛かった。自然の中に回帰することでようやく取り戻そうとした「信頼」もあのキャンプファイヤーのたった一晩で全てぶち壊された。
教育実習のクラスメートの冷たい台詞も私をどん底に突き落とした。
友人に誘われた韓国旅行でやっと取り戻した生命力は、交通事故の恐怖で消えた。
他人にとっては取るに足らないことの積み重ねだ。
中学の同級生たちも私を叱責した先輩たちも実習の同級生も多分覚えていないだろう。
でも、そうして私はうつ病になるべくしてなったのだと、今は思う。

心性近視&乱視なんて言葉を昨日造ってみた。造語なんですけどね(笑)
見ないことで自分を守ってきた。
知らないことで、信じないことで自分を守ってきた。
そんな小さな私をそろそろ解放しよう。
また間違えて傷ついたら、治せばいいんだよ。
やっと大人になれた私は、決して一人ぼっちではないから。
出会いがあり、言葉があり、信じられる人がたくさんいるから、生きていこう。
幸せになるために。


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