ダメダメちゃむ日記
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2004年05月19日(水) |
「当たり前」に「ありがとう」 |
例えば母と私の 「家庭のあり方・子育て」の、 最も大きな違いは「ありがとう」の頻度ではないかと思う。 私は母から常に向上を要求されていた。 私に何かができることは、母にとっては当たり前のことだった。 算数ができても、 国語ができても、 音楽ができても、 お手伝いをしても、 「お母さんが子どもの頃はもっと……」 と母の自慢話になった。 私は「母のいいところを受け継いだ」「優秀で当然な」子どもであった。 母は運動以外は120点の子どもだったそうで、 私は当たり前のように90点以上を要求されていた。 私の中学時代の通知表を1通、母が大事に保管していた。 1度だけだが、9教科オール10があったような気がする。<気持ち悪い(lll _ _) これは結構厳しい状況だったのではないかと、今にして思う。 決して楽しい家庭ではなかった。 私は多分とても嫌な子どもだったと思う。 スネ夫のような子どもだったことだろう。
逆に、何かと不器用だった兄が母や私から認められたのは、 その生まれ持った心の美しさと、 中3の市総体テニスで優勝した時……。
私は家では何もできない。 だから娘に、ダーリンに、 毎日何度も「ありがとう」と言う。 何かをしてくれたら、本当に嬉しいから。 娘には最近「がんばりシール」をあげている。鋼錬の豆シールだ。 娘たちはとても張り切っていろんなことにがんばるようになった。 そして、その一つひとつに「よくがんばったね」「ありがとう」とシールを贈る。 娘たちはとても誇らしげに見える。
生徒たちにも豆シールを貼っている。 宿題のワークを解いたらシール。 ノート整理ができたら豆シール。 生徒たちも嬉しそうだ。 授業の最初に元気よく挨拶するのは当たり前かもしれない。 でも、 「元気な挨拶ありがとう。気持ちよく授業を始められるわ」(´ー`) と一言添えると、終わりの挨拶も元気がよくなる気がする。 できて当たり前のことに、 やって当たり前のことに、 「ありがとう」と言えるゆとりを持っていたい。
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