「隙 間」

2006年05月31日(水) 本当に話したかったこと

本日付をもちまして、私、会社を辞めました。
いわゆる体調不良を原因に……。
そして、入社して、とても、一番、お世話になった上司と、最後の最後で会話ができた気持ちで、嬉しくて、楽しくて、切なくて、胸がいっぱいです。
五年間のうちの三年間、社内的にも珍しいほど長い期間タッグを組んで数々の仕事をしてきました。
その間、話はたくさんしてきました。たくさん怒られたし、たくさん助けてくれて、引っ張り上げてくれました。
だけれども、話はしていても「会話」をすることはできませんでした。
でも、「実は「会話」はできていたんだ」ということ、お互いがお互いの考えていること、考えそうなこと、そして、それを相手に要求できるかできないか、どう切り出せばよいのか、その諸々の……いわゆる、「あ」「うん」の関係は、実はきっちり、お互いにできていたのです。
勝手な自分の気のせいではなかったんだ、と確信できました。
きっとこの人はこれを求めている。そしてそれを僕に答えさせるにはどうしたらよいかわかった上で、それを口にしている。そしてそのやり取りの中で、僕がこういうリアクションをした時に僕自身が求めているものを察知して、うまくさじ加減を調整してくれる。
甘えも弱音も、空元気も見栄も、わかってくれる。
逆に、僕自身でも、この人はきっと本当はあれを求めているんだけど、あえてこれを僕には口にしているんだろう、ということがわかる。
弱音もどこまでは許されて、どこからは単なる甘えにしか聞こえなくなるだろうということがわかる。
インドかどこかのことわざに
「人生の中で、人は必ず三人の師に出会う」
というものがあるらしい。
この上司は、間違いなく、そのうちの一人だ。
この人に出会えた。
ただそれだけで、この会社に出会うことができた、そのことに関わるすべての人に、心から感謝しています。

社内のお世話になった方々に挨拶をして回ったのだけれど……
二日間じゃ足りない。全フロア(B1F〜5F)すべての部署に、一緒の仕事をしたことが無くても相談にのってくれたり、冗談を言い合ってくれたり、あたりまえのことだけれど、自分の周りにはこれだけたくさんの人がいてくれた。
「一人で一物件やり遂げた」
とはいえども、一人ではない。
「私ではなく、私たち」
一人を気取っていられるのは、周りにたくさんの人たちがいてくれるから。
私の周りのすべての、人たちへ、こころから、
ありがとう。


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