夜の不忍池を歩く。 上野夏祭りと称して、夜の骨董市が催されている。蓮池をぐるりと回り弁天島を抜ける。 提灯が連なる下をこうして歩いているのが不思議に思える。
無職の時分は除き、仕事といえば帰りは日付が変わる頃、というのが当たり前であり、さもすれば日の出ということすらままあることだった。 そうなる己の不甲斐なさと、その過ちを省みることで、その仕事に対して己の命さえも賭けうるか否か、という分別の具合を知ることができたのだから、よき経験であった。
今このような過ごし方ができるのは、ひどく贅沢であり、また長くは続かぬであろうことは予測がついている。 であればこれにうつつを抜かし存分に堪能すべきやもしれないが、そうもいかぬ。
体は一つしかなく、日は一日しかない。
私は世の、父であり夫である男子と母であり妻である女子に、感服する。 皆は日を一日の中で、己だけでなく二役も三役も、こなしているのだから。
自然、そうせざるを得ないもの。
と、のたまうなかれ。 それが既に感服に値する。
いつでも投げ出してしまえる二役目にさえ、息咳き切らせているのだ。
父でも夫でもないにも関わらず、である。
諸氏に脱帽である。
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