「そんなによさこい好きなら、好きな人同士で友だちになったりしないんですか?」
わたしが各演舞場の出番表を見ながらニヤニヤしていた金曜の夕、隣席のひろちぃに言われたのである。
仕事の残りもそこそこに、あとはもう帰るだけと仕度をはじめたくてウズウズしていたのである。
「好きな連を追いかけているから、そんな余裕はない」 「でも、わたしたちとか、いますよ?」
ひろちぃは二十代あたまだというのに韓流スターファンで、たまの仕事がない土日などに、コンサートだかなんだか、そういった先でファン同士の交流を広げているらしい。
「追いかけるといっても好きな連が幾つかあるから、下手すると分単位で追いかけることになりうる」 「へぇ〜」
……。
「……って、分単位ですか!?」
一度流してからのツッコミがなかったら、わたしは幾分か寂しい気持ちになっていたところであった。
あの連この連どの連その連とチェックしてみたら、なかなか大変な状況になっていたのである。
全国からこの「スーパーよさこい」に参加している連で今年も楽しみにしているとこが、もちろんある。
高知のよさこい祭りで観た連でスーパーよさこいにも出場しているのも、追いかけなければならない。
関西大手芸能事務所の人気芸人並みのスケジュールである。
初日の土曜朝、まったくとんでもない事故が起こり家を出るのが遅れてしまったのである。
その事故処理を許される限り先送りにし、それでも開会式に間に合わないのが地下鉄に乗った時点で明解であった。
まあ落ち着け、と出番表とにらめっこする。
明治神宮前の階段をかけ上がり、原宿口ステージでとっくに始まっている演舞を鬼のような目で睨みながら振り切り、NHK前ストリートへ急ぐ。
怒りに我を見失った風の谷の姫様が敵兵をなぎ倒してゆくかのごとく勢いで、人をかき分けかき分け突き進んでいたのである。
と、その時――。
わたしの切り開いた視界の真ん前に、突然遮るように飛び込んできたのである。
はっ……。
きらびやかでありながら、洗練された落ち着いた衣装。 その背中には――。
「ほにや」
と書かれていたのである。
なんと「ほにや」の代表さんであった。 次の演舞場であるNHK前ストリートへ向かわれているところだったのである。
逆立っていたにこ毛が穏やかに伏せてゆく。
そう焦っても大して変わらないのである。 本命のひとつを率いる御方が、目の前にいるのである。他の本命も、出番表ではまだまだひと息つける余裕がある。
C1000げんきいろステージの前で催されている「ふるさとじまん市」で軽く腹ごしらえを済ませる。 ここは踊り子さんらもたくさん憩う場所で、見回すとあの連この連どの連その連の衣装が見える。
関東圏の「上總組」「東京花火」「踊り侍」そして「ぞっこん町田」に「音ら韻」
もちろん、高知の「帯町」「旭食品」「サニーズ」そして「ほにや」に「國士舞双」
一度観ればいいだろうと思われるかもしれないが、そうはいかないのである。
何度でも観て、そしてその度に、感動させられる。
また観たくなる。 観ていたくなる。
この二日間は、わたしにとってネバーランドである。オーバー・ザ・レインボウである。
日曜日限りの「表参道ストリートステージ」で、思わぬベストポジションの観覧場所で観ることも出来た。
「懸命に」踊っている。 「楽しそうに」踊っている。 「自分が主役」で踊っている。
わたしは、全員がそうである連が、好きだ。
五十人から百人ほどまでの大人数の中でも、一人一人が目一杯弾けている。
その圧倒的なまでのエネルギー。
「國士無双」は、踊りに物語と振り付けに芝居を融合させ、爽快で痛快で魅入らされる見事な演舞を、ここでもみせてくれた。
「ほにや」は、「ほにや節」ともいえる華麗さと軽快さと統率の美で、観るものたちの心を潤してくれた。
「音ら韻」は、とにかくパワフルで弾けてて、ストリート・ダンス全開で、誰一人輝いてない者はなくて、ワクワクさせてくれた。
そして、「しん」
東京の連で、またひとつ、惹かれる連ができてしまった。
これまでに挙げてきた連だけでも、追いかけるのに分刻みのスケジュールになりがちだったのである。
現に、今回どうしても時間が合わず、やむなく見逃さざるを得なかった連もある。
それはまた、きたる十月頭の池袋「ふくろ祭り」の「東京よさこい」を待とう。
いや、待てないかもしれない。
待てなかったらどうするのかという解決策もないまま、悶々とするしかないのである。
あゝ、素晴らしき哉! よさこいの夏!
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