家人が時々ぽろりと、「美しくない」という言葉をこぼします。 政治家や企業トップの苦し紛れの弁明をニュースで 見たとき。 列を無視して割り込む人を目にしたとき。
最初はその独特の言い回しにびっくりし、 目が点になったのですが、 要するに「見苦しい」くらいの意味なんだなと 思ってからは慣れて聞くようになりました。
そんな言葉を言うこの人は、 そういう見苦しいことを自分に禁じているようで、 人の悪口は言わず、言い訳はせず、 愚痴も聞いたことがありません。
また、暮らす前に長く知っていた人ですが、 その間同じようにこの人の悪口を言う人は 見たことがなく、この人について愚痴を 言う人もまた見たことがありませんでした。
私はというと、 「こんなに頑張ったのに」と、報われなかったときに つい吐露してしまいそうなのを。 もっと一生懸命頑張って律して生きている人を 目の前にすると恥ずかしくて、つい口に出しても その台詞の最後がしょぼんと弱く消えることが いつもです。
私が鷹通や幸鷹に惹かれるのも同じで。 彼らなど、本当に作中では命をかけて 頑張っていて。けれど愚痴などひとつも言わなくて。
友雅や翡翠なんかは、愚痴を言わない彼らを もちろん「愚痴も言わずにえらいねえ」なんて 言いはしないけれど、 けれど内心ではそんな生き方が美しい子だなあ なんて思っていとしく見ているのかも知れません(笑)
と、書いていますが、個人的に愚痴や悩みは 爆発するまえにうまく少しずつこぼして生きるのが いいんじゃないかと思います。
それで地平が開けることもあるし。 悩んでもがいて生きている人は別の意味で いとしいなあと思うので。
好きな人に完全に引かれちゃわない程度に。 ちょっと出して、受け止めてもらって。
でも多くの場合、100%みんな自分が正しい、 自分に正義がある、というのは、 考えにくいのではないかと思うので、 「私はこの部分で正しいと思うんだけど、 どうしてこうなっちゃうんだろう。 聞いてくれる?」くらいのスタンスを忘れないで、 なるべく見苦しくなく話すのが いいのではないかと。
そして、愚痴を言えるほどに信頼している その相手になら、 「君の話を聞いていて、君のここが いけないのではないかと思った」と言われても。 ちゃんと受け入れられる、 そんな覚悟をした上で、 そっと話すのがいいのではないかと思います。
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