あたしの危険指数 レッドゾーン突き抜け

昭和77年6月19日。
皆様この日をいかがお過ごしでしょうか?

世が「やれ昭和歌謡だ、なんだ」と騒ぐ最中、あたくしめは今更ながらにEGO-WRAPPIN'を夜な夜な聴き耽る日々。
倉橋ヨエコに続く近ごろの気になる方は、もちろん「大西ユカリと新世界」
彼女の言うところの昭和歌謡とは、
�ゞ覆�短い
��歌詞は平仮名が多い
��かっこよく歌う
という事らしいので。
あたくしめ、思うところに依りますと、英語を多用するEGO-WRAPPIN'は本当に昭和歌謡なのかという疑問。
では原点に還って。
そもそもの昭和歌謡とはなんぞやという問いには、あたくしめも正しく答えられる自信など毛頭なく。
勝手なイメェヂと解釈で語ると、昭和歌謡=戦前?
そして、淡谷のり子。非常なる極論でございます。
そして、天下の故・淡谷先生と申しますと、微塵の疑問もなく、ブルースであり。
では、昭和歌謡とは、ブルースであるのか?
ところで、昭和歌謡と言いますと、キャバレーの香りというものを強く感じられずにはいられなかったり。これまた極論でございます。
しかし、我が崇拝いたします倉橋ヨエコ嬢の「キャバレー」という曲。あれは、確実にジャズと呼んでよいものかと。
ヨエコ嬢も、勿論、昭和歌謡の次世代を担う重要人物。
さて、原点へ。
ここで、あたくしめは、ジャズとブルース、どちらが昭和歌謡の基であるかという大疑問にぶつかる事となりました。
それには、根本的な「ジャズとブルースの違い」という問題が、必然的に発生し、あたくしめの頭を悩ませるのです。
聞くところに依ると、ジャズとブルースはやはり、兄弟的に近しい存在であるとか。
そして、ブルースはロック色が強いかのように感じられたり。
ジャズの方が、作り込み感が強調されていたり。
というような話を読んでみたりすると、何やら納得している自分が居ることに気づかされました。
勝手に結論づけてしまうならば、昭和歌謡とは、昭和(戦前)の音楽ではなく、昭和70年代の音楽を指す新用語かと思われたり。
そこで、あたくしめの中での昭和歌謡とは、ジャズとブルースの融合体といった具合に収まりそうな雰囲気。
どちらも、心地よい事は普遍的。
あたくしめの中で、半永久的に美しく在り続けるのでございます。

そのようなわけでして、あたくしめは、良いものは所有する人物であり。
まったくもって裕福な生活など出来ぬ中で、音楽を携えた光る円盤にのみは浪費を惜しまず。
あたくしめの独占欲とやらは、体の隅々の細胞までも支配し、良いもの、美しいもの、酔わすものは、いつでも手の届く傍に置いておきたい。
時にそれはガラクタであり、出来損ないであり、脆く崩れ落ちる直前の絶望感に似たり。
修復までは出来ずとも、支え、崩れる瞬間まで添い遂げたいという異常な欲求は、満たされ、その昇天の感覚が、あたくしめを捕らえ、離さない。

こんな無駄を徒然想ううち、昭和77年はまた日々を削り落としゆき。
あたくしめの涙で、固めてやりましょう。
儚い日々。



今日は、格好悪いシチュエーションについて考えてみた。
想像していただきたい。
自分の好きな人の元恋人に「頑張れ」と声援を送られること。
これは、この上なく情けなく、こっ恥ずかしい情景だ。
味方なように見せかけて、勝ちを誇られる悔しさよ。
あぁ・・情けないにも程がある。


日々の営みは、考えること、想うこと。
あたしの頭の中と、心臓の奥は、無数の棘による激しい痛みを帯び
血を帯び。


                            こんな事書ける自分が居るとは。






あたしは、よく電車の吊り広告を読む。
電車の中で、する事がないから。
そして、よく雑誌や新商品の購入に至る。

さて、今回の影響。
某週刊誌の見出し「椎名林檎のとんでもない写真」に釣られ、
人目を忍び、立ち読みして参りました。
2段程度読んでやめました。
・・・くだらない。
椎名林檎の、顔面に「かけられている」写真が、流出しているとの話。
写真はもちろん未掲載ですが。
釣られた自分も悲しい。
これもまた、格好悪いシチュエーションである。
2002年06月19日(水)

セイカツヒツジュヒン / りぃー

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