最近、短歌関係の場所に行くのが、どうも億劫になっている。 自分は、歌人と呼ばれたり名乗ったりする人達とは、短歌に 対する情熱がまったく違う。(ものすごく足りないと思う。) 歌集を出したいとかもあまり思わないし。 短歌を始めた頃は、何でもかんでも31文字に納めて喜んで いた。いや、ほんとに何でもかんでもという感じで。(^^;
でも、短歌を作ろうと思ったきっかけは何だったんだろう。 詩とか好きなんだけど、詩にすると多くを語りすぎてしまう。 俳句はわたしにはそのセンスがないと思う。 その点、短歌は31文字に削るというか凝縮するという作業 が必要だ。 いや、詩でも俳句でも必要なのだと思うけれど、わたしには この文字数があってるんだと思った。 日記に書いているような、ごちゃごちゃした気持ちをまとめ て31文字にすることが、さまざまな記憶や思い出を少しは 冷静に考えられる手段だと思った。 一番冷静に考えたかったのは、両親のこと、家族のこと。 失ってしまった生家での出来事だった。 短歌を始めてからの4年半で、記憶を思い出に変えることが できたように思う。
ニフティの短歌フォーラムで、わたしはずっと泳がせてもら ってきた。 やっと、今年の5月に外に目を向けてみようと思って、毎月 1回の短歌の勉強会「ぷらむ短歌会」に入会した。 気持ちを冷静に整理する作業から、少しだけ進んでみたいと 思ったのだが、ほんとに少しずつしか進めないわたしには、 歌集とか歌人とかいう言葉や人達がまだまだ遠い存在に思え てしかたがない。 自分にはどんな場所がふさわしいのか。
失ってしまった場所は取り返せない。 生家から出て暮らした場所は、同じ市内ではあったが、そこ にはわたしの気持ちを試すように川が流れていた。 その川を、なんでもなく越えることができなかった。 どうしても、こっそりと人目につかぬように、ただ車でそこ を素通りするだけの訪問だった。 素通りして、中学校まで行って、辺りを眺めて帰ってきたり していた。 わたしにとって、とても大事で、自分らしくいられた場所。 それは小学校や中学校だったのが、そこにも、いや場所では なくその空気の中にわたしの居場所はもうないのだと、一人 振り返ったりしに行くだけだった。 もちろん、それはわたしが車の運転が出来るようになってか らのことであり、それまではその川に架かる橋を本当に渡る ことができないでいた。
新しい環境で自分の場所を確保するために、とりあえずいい 成績が必要だった。 転校して最初に実力試験では、ちょうど前の学校でやったば かりの問題だったから、当然1番だった。 それから皆の見る目が変わって、わたしにはとても大好きな 競争相手が出来た。
新しい環境に飛び込むたびに、なんとか自分の場所を確保し ようとあがく毎日。 そうして物心ついてから40年近い月日が、いつのまにか流 れていたんだね。
少しでも自分の場所が欲しくって陣取り人生 ビー玉をはじく (市屋千鶴)
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