鶴は千年、生活下手

2002年11月28日(木) らぶ・ばるーん

うちの近所では、夕陽が架線越しに沈んで行く。
架線にかかった太陽は、まるで朱色の風船のように見える。

人を想うとき、想いはどんどん膨らむ。
片思いはつらいものだけど、一人の人をずっと想っていられる
という幸せもある。
わたしは中学3年で転校してから、二十歳くらいまで、ずっと
片思いだった人がいた。(初恋も片思いだったけど。)
いつも彼には、好きな人がいた。
中学のとき、転校して初めて感心をもった相手が彼だったが、
彼にはすでに彼女がいた。
高校は一緒だったが、わたしは彼にとって戦友のようなものだ
ったし、高校でも彼は他の女子校に好きな人がいた。
いつまでたっても、彼は片思いの相手だった。
何年も何年も、わたしは彼の背中を見ていた。

やっとの思いで告白したときも、彼の答えは本当は分かってい
たし、彼がその後も同じ態度で接していたのがありがたかった。
告白した後の冬、皆で帰りの列車で一緒になったときのこと。
ボックス席の通路側に座っているわたしの席の、肘掛けに彼が
腰を掛け、腕をわたしの席の背もたれに回したことがあった。
ああこれは彼が出来る精一杯のわたしへの返事なのだと思った。
悲しくて、うれしかった。

他の人を好きになろうと思ったし、好きになりかけたりもした。
だけど、やっぱり彼が好きだった。
ずっと、そのままでいいと思った。
彼を好きでいる間は、いろんな言葉が浮かんできて、詩的にな
れた。
今でも、恋の歌を作るときは、彼のことを考える。

ずっと、膨らんだままで、絶対に近づくことの出来ない太陽に
恋をした朱色の風船のように。

 膨らんだ形のままで生きていく太陽を恋う朱色の風船(市屋千鶴)


 < 過去  INDEX  未来 >


市屋千鶴 [MAIL]