何を唐突に思い出したのか、自分。
「ぷらむ短歌会」で指導していただいている東直子さんの歌集 の批評会のときのことを突然思い出した。 批評会の後、懇談会というか懇親会というのがあって、ご本人 の挨拶や、関係者の挨拶などが行われていた。
お芝居の関係の方や新聞社の方の挨拶が終ったころ、わたしは かなり前の方に座っていた。 大体は後ろの方から見守るようにしていたのだが、それを前に 陣取ったのは、話が聞こえなかったからだった。
その日、たくさんの歌人の方々が出席されていた。 それは、とても有名な方だったり、そうなる途上の方だったり、 それでもちゃんとした大人の集まりだった。 しかしながら、わたしのようなお手伝い的な感覚で参加した者 が、一番前の方にまで行かなくてはならないほど、私語がうる さかったのは何故だったのだろうか。
たしかに、挨拶なんて、結婚式のスピーチや社長訓示のように 長くてあまり興味のない物かもしれない。 しかし、興味の有る人の挨拶だけを静かに聞いていて、飽きて しまったからおしゃべりに夢中と言うのは、大人げないだろう。
前の方と言っても立食式だったから、椅子は部屋の周囲にぐる りとおいてあるだけだったし、座っているわたしの前には、先 に挨拶をされた新聞社の方が立っていた。 その方が、わたしのすぐ隣の女性の大声に、思わず振り向いた のをよく覚えている。
おそらく、その彼にしてみれば、あまりに意外なことだったの だろうと推測された。 わたしだって、そんなに前に座りながら、それでも良く聞こえ ないという思いをするとは思っても見なかった。 その時、その女性達は、まるで女子高校性のようの思えた。
その後、やはり後方に戻って見守っているわたしだったが、他 でも同じようなおしゃべりで聞こえないという場面に出会った。 まあ、聞きたかったら前に行けってことなのだろうが。
大声で雑談するなら、場をはずすか、後ろに下がるべきだろう。 話をしてはならないのではなく、マイクを使って話す人の話が 聞き取れないほどの声でしゃべり続けるのはいただけないよ。 たとえ、その人がどんなに素敵な短歌を詠む人であっても、わ たしはそういう人の歌集はきっと買ってまで読めない。
先人の歌人の歌集は、当人を知らずに買ったりする訳だけど、 少なくとも同じ時代に生きていて、その普段の態度を知ってし まったら、作品以上に好き嫌いが出てしまうのではないか、と 思ってしまう。
情熱的で、とても素晴らしい歌を詠むことは得手だが、人の話 を聞くのは不得手なのか。 短歌は自己主張だからなぁ。 だが、作品のみで評価できるほどわたしは歌人ではない。
そんなことをふと思い出す、どんよりとしたお天気。
話す人の目を見て聞けと教えられ目をそらせずに君を見ている (市屋千鶴)
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