| 2003年02月11日(火) |
雪の思い出2(暗め、長め) |
昨日からの続き。
しばらくして、逃げていた父が見つかった。 とりあえず見つかりはしたものの、家に戻ってくるつもりはない と言った。 両親は、知り合いの家で話し合いをしていた。 子供には聞かせられないからと、わたしは雪の降る中、外にいる ように言われ、一人で雪降る町にいた。 空腹は、こんな時でもやってくるし、寒さもこたえた。 そして、初めてわたしは「うどんの自動販売機」なるものを活用 した。 自動販売機のうどんは、暖かいだけでも救いだった。
雪の中自販機のうどん食べる我 ふた親今ごろ決断のとき (市屋千鶴 1998.02作) 子供にはこんな所は見せられぬ 今更何を隠すというのか (市屋千鶴 2000.11作)
帰ってくるつもりの無い父を当てにはできないし、保証人になっ た実家の借金をなんとか減らすために、父を訴えることになった。 私文書偽造っていうやつ。 知らないうちに印鑑を使われたということだった。 そして、裁判になるのに姻戚関係があると不利だとかいう理由で、 あっという間に離婚することになった。 ほんとにあっという間だった。 帰ってこない父よりも実家の方が大事だったのは、当たり前とい えば当たり前だ。 わたしは帰ってこない父に未練などなかった。 普段からいなかったし。 離婚した日は、姉の誕生日だった。
六人が三人に減った2月の日 母と私で祝う姉の18歳 (市屋千鶴 1998.02作) 誕生日が離婚記念日になるなんて 母をせめつつ泣き笑う姉 (市屋千鶴 1998.02作)
こうして、わたし達は女3人の家族になった。
離婚して家を出る前に、わたし達にはやっておくことがあった。 それは、家財道具の運び出し。 父がやっていた自動車整備工場には、寝泊まりできるように一通 りの家財道具がそろっていた。 それをわたし達の新しい生活のために運び出したのだった。 父の家にはだまってのことだから、まるで夜逃げのようだった。 よく営業で使われているようなワゴン車(かな?)に小型冷蔵庫 から布団から炊飯器からコタツから、後ろが見えなくなるくらい 詰め込んで工場を出た。 雪は小降りで、路面は凍りはじめていた。
工場から100mも行かない所で、パンクした。 使い込んでいたタイヤには過酷な荷物の量だったから、もちろん 積み過ぎだ。 大笑いしながらわたしと母は工場に戻り、母の実家に電話して迎 えを頼んだ。 従姉兄達が来てタイヤを交換し、荷物を積み分けてなんとか走れ るようになり、家財道具の運び出しに成功したのだった。
思い出も積み込んだから重過ぎて進めなかったの?怒りは捨てよう (市屋千鶴 2000.11作)
母の籍は抜いたが、わたしの籍はまだ父の元にあった。 親権は母と決まってわたしの名字が変わったのは、4月1日だった。
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