鶴は千年、生活下手

2003年04月06日(日) 強風の中

強風の中、午後には近くまで桜を見に行くと夫と約束している。
もっとも、彼はいつものようにまだ寝ているのだけれど。

昨日、農家だった頃の自分が幸せだったと書いた。
実際、専業農家だったのは小学校までだったのだ。
小学校の高学年の頃、父は冬の間だけ、自動車教習所の指導員を
していた。
そして、今の奥さんと知り合ったのが、この頃だった。
自動車教習所の生徒だったんだよね。
わたしは、そんなことなど全く知らずに(当たり前か)、父が働
いている自動車教習所の遊びに行ったことも有った。
もちろん、今の奥さんと会ったことがあったかどうかなど、全く
覚えていない。

小学校までの暮らしは、大地に根を下ろした暮らしだったような
気がしている。
わたしの記憶のなかでは、春は田植えをしていて、夏はスイカ畑
にいて、秋は稲刈りをしてイナゴをとっていた。
冬は、父のいない家の中で、みなでこたつを囲んでいた。

家族総出で、親戚や近所の人達の手を借りて、田植えや稲刈りを
やっていたことが、なんだか幸せの形に思えていた。
たとえ、多少の不満が有ったとしても、みんなで協力しなければ
終わらない大仕事を、春と秋にこなしているということが、家族
が力を合わせていることの証のような気がしていた。
それは、そのほとんどが手作業だったからだろうか。
手作業だからこそ、多くの人が関わるからこそ、その大勢の笑顔
を見ることが幸せだったのかもしれない。

わたしは、プログラミングを学びそれを仕事として暮らしてきた。
システムエンジニアの夫と暮らし、農業とはかけ離れた暮らしを
している。
多くの人が力を合わせて手作業する暮らしに、少なからず憧れる。
故郷のおばさんの家で、スイカの収穫を手伝ったりする時、自分
の中に流れる農家の血を感じたりする。
おいしそうに転がっているスイカをみると、撫でたくなる。
今年のスイカはいい出来だという叔父の顔に、誇りを感じる。

母と二人暮しになった市営住宅の裏庭で、母は茄子やピーマンや
しそやアスパラや、インゲンやトマトを育てていた。
庭だったはずのところは、いつの間に畑になったのか、わたしは
覚えていないが、とても自慢だった。
わたしにとって、農家=母、なのだろう。

わたしは、農家のおいしいところしか覚えていないし、見ていな
いのだと分かっている。
だけど、それでもやはり時々、収穫の喜びや、一面に水を張った
水田の美しさに、心惹かれることだけは、間違いないのだ。
雪の心を奪われることと同じくらいに、春の水田に惹かれる。
秋の稲穂の海に惹かれる。
刈り終えた稲田を歩く時の、あの清々しさに惹かれる。
もの思いする子供の周りを優しく包んでくれた、土の匂いと草の
匂いと水の匂いに惹かれる。

そして、そのことを思う時、こうしてその思いを書いている時、
わたしの目には涙が浮かんでいることもまた、間違いないのだ。

しかし、わたしは、その溢れんばかりの思いを、言葉にすること
ができないでいる。ましてや、短歌には。

 四畳半ばかりの庭を耕して野菜を育てる母になりたい(市屋千鶴)


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市屋千鶴 [MAIL]