日記擬。...松本

 

 


そこにある距離 - 2002年04月06日(土)


なんかJURASSICさん、メジャー決定だそうで。
……そうか、やっぱりまだインディーだったんですね、とかむしろそういうところで驚いていて間抜けなんですが。ホントどういう区切りで分かれてるのか、よくわかりませんですハイ(苦笑)。
まあ、所謂“JURAっ娘JURA男”を名乗れるほどではないにしろ、やっぱり動向を気にかけているバンドさんではありましたし。そういうバンドが順境にあって頑張ってくれているのは、やっぱり嬉しいものです。
心より、おめでとうございます。

ということを知ったのが、他所様の日記ってとこが微妙にマヌケ(爆)。
まあそれはどうでもいいんですが。
前からたまに思っていたことと繋がるとこがあったんで、そのへんちょっと書いてみようかと。

所謂「メジャー=距離が離れる」というアレなんですが。
件の日記のほうでは、なんだかそんな意味の言葉を見かけた、というだけです。そのへん、書かれてるご本人の考えだったのか、あるいはそういう人が居がという話だったのか、定かでは。アタマに書いたようなことを考えつつさらっと読んだだけだったので、そこまでは記憶してないというか(笑)。
でもまあ、そういった声は聞いたことあるなぁと。
デビューについてでなくとも、活動範囲が広がったり知名度が上がっていくときについても、言われることがありますよね。もちろん、JURASSICさんに限ったことではなくて、他のバンドさんについても、ってことで。
そんなのが耳に目に飛び込んでくるたびに、ぼんやりと感じる違和感みたいなものが。
ハコのスケールに合わないライブをかまして物理的な距離感を強調してしまう、とかいうのはまぁ全面的にバンドの責任として認めるにやぶさかではありませんが(おい)、活動のフィールドと、送り手と受け手の距離感ってのはイコールで結ぶというのは、いまひとつこう……(苦笑)。
あそこにある段差ってのは、その場所の上と下って以上に、別の意味があるような気がするもので。
なんと表現したものやらよくわかりませんが、単純に上が偉いとかいうことも全く思ってませんけど、とにかく位相の差とか在り方の違いとか。音楽の話だけじゃなくて、なにかしらの作品の送り手と受け手の間には、基本的なそれが。
極言してしまうと、受け手にとっての送り手は、その表現以外のところには存在しないある種の幻想でしかないんじゃないかという気もしたり。
どれだけ媒体ごしの声を聞き姿を見、ついでに手紙送ったりなんなら返事貰ってみたりしても、ナマで見ても、握手したり話をしたとしても、それはその人が送り手として背負ってる看板を多少別の角度で目にしただけの話なんじゃないかと。
それをいくら重ねたとしても、やっぱり生身で現実に生活している人間としてのその人とは別のものであり知らない人。ゼロにはなに掛けたTってゼロ。
本当の意味で距離を言うなら、そこにこそあるはずです。
まあ、現実にはそれこそいろんな人やバンドさんが居るわけで、そのすべてに対してこうと線が引けるほど明確な考え方は持ってませんが。ともあれそこを見ないで遠いの近いのって話には、自分としてはどこかしらにズレがある気がしてしかたがないんですね。

で、逆にいうならば、いくら所属や媒体、あるいは場所が変わろうとも、向こうから発したものが届いていて、受ける側にも受け取る意志があるなら、それは物理的な距離云々には関係なく等価なのでは、と。

――ああ、なんだかわけわかめになってるし(死)。



なんだか続ける気らしい歯医者日記。
どうにも抜けられるスキが見つからなかったので、一日遅れ。問題無し。 <おい
とりあえず、あと3回で終わり、ということになるらしいです。
そうやってちゃんと先が見えると、多少気が楽になる(そもそも、最初からそう深刻であったのかどうかという話もある……あ、そういや深刻だったのか? <喉元を過ぎてすっかり忘却の彼方)

次、月火あたりですか。
ちょっと無理そうなんですけど(苦笑)。ってことで、またしても勝手に延期決定。



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