2002年09月12日(木) |
グスタフ・マーラー、薬師丸、クララ、小澤征爾 |
1910年 グスタフ・マーラー 交響曲第8番を ミュンヘンにて初演。 圧倒的大成功をおさめる。 この陰には興業主の周到な準備があった。 千人の交響曲という サブタイトルも興業主が マーラーに無断でポスターに載せ 大宣伝の材料にしたという。 千人近い出演者、 3000人の聴衆という イベントでしゅね。 リヒャルト・シュトラウス、 レオポルド・ストコフスキーほか 著明な音楽家や政治家、外交官、文化人も 招待されたということでしゅ。
薬師丸 1990年11月23日 東京芸術劇場(池袋)で ジュゼッペ・シノポリ フィルハーモニア管弦楽団と 歌ったのをはじめ 7ステージくらい歌いましたが しんどい曲でしゅ。 椅子がないと 90分立ちっぱなしだし 高いB、Hの音が連続するし それだけに 歌ったあとの ビールの極端にうまいこと。 一番充実していたのは フィルハーモニア管弦楽団の 予行演習で 桐朋学園オーケストラと パルテノン多摩で 歌ったときでしょうか。 栃木では 歌う機会はないかもしれませんねえ。
1840年 クララ・ヴィーク 父親の猛反対を押し切り ロベルト・シューマンと 結婚。 やりましたね、クララは偉い。 シューマンの病歴や ブラムース(Brahms)の クララへ寄せる 熱い思いなど 興味は尽きません。
1959年 小澤征爾 ブザンソン国際指揮者コンクール優勝 当時小澤さんがここまでくるとは 誰が予想したでしょうか。 小澤、東京オペラシンガーズ、 サイトウキネンオーケストラの バッハ、ロ短調ミサのビデオ (NHK-BS放映 小澤入魂のバッハ)は 繰り返し観ていましゅ。 小澤さんの指揮で 歌ったことはありませんが 同じブザンソン国際指揮者コンクール優勝の 中村ゆりさんの指揮で 第九を歌ったことはありましゅ。 合唱、オケとも悲惨の極みで 中村さんが気の毒でした。 彼女は今どうしているのでしょうか。
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