2002年02月23日(土) |
見ちゃったよ、「指輪物語」 |
約三時間という長丁場の映画。 長い。 長い。 長すぎる…! 途中で飽きてきた。マジで。 それに隣に座ったヤツが、まるで蒲田の駅にとぐろを巻いているホームレスさんたちのよーな異臭を放っていたので、映画に集中できなかった。 アレで自分は臭くないんだろうか。 女連れだったけど、女も平気なのか? うー。思い出しても気持ち悪くなる。 映画の話に戻そうかな。 えーっと。 まず、怪奇映画ファンとして嬉しかったのは、クリストファー・リーが重要な役どころで出ていたということ。 最近の映画では「スリーピー・ホロウ」でちょい役程度で出ていたぐらい…あれはきっと、ティム・バートンが「怪奇映画にはクリストファー・リーがいなくちゃ」っていうんで、とってつけたよーに出したんだろうなー。あの映画に実はクリストファー・ウォーケンも出ていたんだけど…ま、それはそれとして。 「指輪物語」、今回は導入部分の「旅の仲間」。 ホントに導入だけだったよ…良いところで次回へ続いちゃったしさー。 まったく。 カメラワークが同じパターンだったのも、退屈の理由かな? 風景の良いニュージーランドでオールロケを敢行したのと、監督がニュージーランド出身だったのとで、ニュージーランドの観光案内的画像が多くて。 例えば、遺跡のある丘を越えていくシーン。 フツーに丘を越える主人公一行を撮影するべきなのに、何故かヘリコプターから撮影、それからまるで「サウンド・オブ・ミュージック」のオープニングを彷彿させるカメラワークで、主人公一行をアップにしていく。 このパターンが、随所にあった。 峠を越えるときも、全く同じパターン。 カヌーで川を下るときも同じ。 川下りのところ、これが仇となってるんだよね。 自然の雄大さを出そうという魂胆なんだろうけど…ここで巨大な王の立像が出てくるのだけど、巨像が出てくる前に、自然の断崖絶壁を延々と映していたので、巨大だという印象が薄れてしまっている。 お金かかっているのはわかるけどさー。切り捨てていく勇気も必要だよ、監督には。 あと、もう少し丁寧に描いて貰いたかったところもあったし。 例えば灰色魔法使いと白魔法使いの直接対決第二ラウンド、雪の峠での決闘。ここなんか、そうとう盛り上がれるところの筈。 ここをさらっと流しちゃうんだもんなー。 …もっとお金のかかったドワーフ族の地下神殿の逸話を、いっぱい映したかったからか? 話自体は面白い。 当たり前である。 原作あっての映画だなーって感じ。 三時間というところが、まずネックだな。 ジョージ・ルーカスは言った。 「人間、暗闇で窮屈な椅子に腰掛けて大人しくできるのは、2時間が限度」 だからこそ、彼は劇場用に編集したのは全て2時間に収めた。 時間の関係でどうしても入れられなかったシーンを入れた完全版の意義は、ルーカスにこそあると思う。 どんなに面白い映画でも、1時間半過ぎた頃にクライマックスがこないと、だんだん人間、退屈するものだ。 「指輪物語」を見た後、映画館を出ていく人たちはみんなぐったりして、口数少なかった。ホント、疲れた。 エンディングを「エンヤ」が歌っていた。 この歌。彼女がまだ「クラナド」に所属していたときにも歌っていたものだ。うちにある「Magical ring」というアルバムに多分収まっている。 この歌はケルトのいわば「民謡」らしい。 「指輪物語」自体、実はケルトの伝承を言語学者であるトールキンが書き直した…というか、編纂しなおしたもの。 言語学者が書いたというだけあって、それぞれの種族が話す言葉に特徴を持たせていた。 エルフ族が話すエルフ語はおそらくアイリッシュ・ゲールと呼ばれるゲール語を元に作ったんじゃないかな? 登場人物の訛りが象徴的だ。 魔法使いはどうやらアイルランド訛り、ドワーフ族はスコットランド訛りっぽかったかなー。
総評としては面白かった。確かに、面白かった。 でも、改良すべき点は沢山あるように思う。とにかく、せめて2時間半に収める努力をするべきだと思った。 ま、原作も長大な話だし…(旅の仲間の途中で果てた私…根性無いもので)、映画も長大になってしまうのも無理ないのかな? ダーリン曰く 「一回見ただけじゃ、覚えられない。もう一度ぐらい見ないと。それに早く次をやってくれないと、忘れちゃうよ」 だそうで。 確かに、そうかもねー。登場人物覚えるだけでも大変だもの。
劇中、ミスリルが出てきた。 ふと、私は中国の逸話を思い出す。「矛盾」の話。 ミスリルは全ての武器を跳ね返すことができる、最強の鉱物。 オリハルコンは全ての武器を貫くことが出来る最強の鉱物。 ではミスリルで作った鎖帷子を、オリハルコンの剣で突いたらどうなるんだろーか。(笑) |
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