ひげのお兄さんの日記

2007年02月27日(火) 血気と決起の日

今、この書き込みをしているのは、夜中の0時を
回ったところです。
昨日は、あの2・2・6事件があった日。
1936年(昭和11年)のこの日、陸軍の皇道派の
青年将校が、対立していた統制派の打倒と国家改造を
目指し、約1500名の部隊を率いて首相官邸などを
襲撃しました。
この事件に関係する西田税という方は、この米子の
方で、山陰歴史館にも展示がされています。
実は私が書道を習ったのは、この方のお宅で、
小学校から中学2年生の時まで通いました。
2階が教室に使われていましたが、いつも順番待ちで
一階の仏壇の西田税の遺影の前で、他の生徒と話をしながら
順番を待ってたもんです。
現在の0時をまわった27日は、1862年(文久2年)に
「新撰組」の前身である「壬生浪士組」が結成された日。清川
八郎が提案し、事件が頻発している京都の警護にあたる為、
幕府が募集をかけて編成しましたが、京都に着いた途端、
清川が壬生浪士組の目的は尊王攘夷だと言い出したため、
空中分解し、幕府は帰還命令を出し、清川たち209名は
江戸に戻りましたが、近藤勇、芹沢鴨、土方歳三ら24名は
残り、「新撰組」と改組し、そのご約4年間の京都での
活動は有名です。何年か前にNHKの大河でもやりましたね。
清川は、私の好きな山岡鉄舟とも交流があったようですが、
鉄舟は、政治的にも思想的にも、あまり深入りせず、
剣術家としての修練に精を出していながら客観的に
情勢を見つめていたようです。
この時期は、血気盛んな人を決起させるような、そんな
何かがあるのでしょうか?特に「尊王派」のような人達の
感性に影響するようなものが。
私は「尊王」という思想性とは開きがありますが、
違う意味で西田とも清川とも、わずかながら縁を感じる
部分があるので興味も湧きますし、山岡鉄舟の生き方に
憧れる部分が多いのですが、私自身が置かれている状況は、
剣術修行と政治との比率が、恐らく鉄舟とが逆に近いんでしょうね。
タダ、鉄舟も、薩長との交渉や、幕府が倒れた後には
新政府のもとで役職に着くなど、政治・行政の世界にかかわらざる
を得ない訳でした。
置かれた状況の中で、「与えられた職務に正義があれば、天職として
これに全力を傾注する。そのため武士道の徳の習得と、それを
貫く力の習得に努める。」これは、私が修行している居合道の
「修行の目的」に書かれているものの一部です。
今のこんな時代、様々な価値観の中で、経済にしても哲学にしても
宗教にしても、様々な考え方と動きがありますが、
基本がブレない行動理念をシッカリと持っておきながら
鉄舟のように生きたいものです。


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