2003年03月15日(土) |
子どもと大人の記憶力 |
2003.03.25 (Tue) 14:49:54 えーっと。土曜日か。 このころにはだいぶ落ち着いたはずだ。 事件があったときは我が家に激震が走ったが、 あとになってみると、そんなたいしたことでもなかった。
というわけで、特になにが起きたわけでもないので、 日頃のうっぷんを。
子どもの方が学習が得意だと言われることは、かなりよくある。 しかし、それは本当に事実だろうか。 少なくとも僕自身を見る限り、とてもそうは思えない。 なぜなら、今の方が、 ずっと記憶するのが容易だからだ。
もちろん、これまでいろいろ勉強してきたコトで、 記憶の基礎になる知識が多いというのはある。 しかしそれは、今の時代、誰とてもそうではないだろうか。 そうなると、記憶力が劣るという発想自体が 間違っているというのは、そうずれた主張ではないように思える。
僕は大学生になってから CとJavaというプログラミング言語を勉強した。 これらは結構覚えることが多いのだが、 特に苦労することもなく、それらの事項を覚えることができた。 それに、大学の講義での内容も、 高校の頃よりずっと容易に覚えている。 もちろん、高校の頃と比べれば少ないというのはあるが、 それにしたって記憶力が増したと言うことはあれ、 衰えたとはとても思えない。
だが一方で、 エピソード記憶の能力は確実に衰えている。 あのときなにがあった、こうでこうでこうなった… などという、 思い出の記憶は本当に残らない。 これは歳を取っても残る記憶力らしいので、 おそらくは僕の個人的な体質なのだろう。 そういうことを重要だと思っていないから 記憶に残らないのかもしれない。
記憶力か。 これからどうなるのだろう。 自分の記憶が徐々に失われていったら、 それは僕とは言えないのではないだろうか。 僕はこの日記の中だけに残り、 現実に存在する僕は、 もはや今の僕とは違う存在になり果てるのかもしれない。 老いて、朽ち果てるのみの存在。 今も同じと言えば同じだが、 そんな存在になんの価値があると言うのだろう。 これだけ人間がいる世界で、 自分に存在価値など見いだすことはできまい…。
だからコミュニケーションが重要だと思うのだ。 誰かと話して、誰かに依存していれば、 その人にとって自分が必要なのだと、錯覚できる。 だが、その相手だって、存在価値などないのだ。 そうなれば、結局同じコトだというのに。
2003.03.25 (Tue) 15:03:17
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