2004.9.17
8時なので実際のところそんなに早くないのだが、まあ、早いということにして書いてみる。と言うのも、朝方に日記を書くとどういうことになるのか知りたかったからだ。
昨日の夜は、わけの分からない漫才の相方をやらされるという奇妙な夢を見た。つっこみをやれと言われて、確か、赤と言えば広島の原爆がアップルだとかって「広島アップル」と黒板に書いてあって、それが動画でリアルにイメージされた。で、蒼と言えばモンクのドーピング…だったかな。なんかそれで「それは違うだろ!」とか突っ込んで目が覚めた。わけが分からん。ちなみにモンクってのは修行僧のことを指すらしいが、ここではそんなことではなく、ゲームの中に出てくる格闘家のイメージだろう。
うーん、寝ぼけているかと思いきや、意外と書けるものだ。急激に目が覚めてきているのか、あるいは寝起きがいいのだろうか。どちらにしても、文章の感じもまったく違ったものになるだろうし、おもしろい試みかも知れない。
最近、多くの制約を感じる。例えば、駅の改札口付近には長くいるべきではないと思っている。ガラガラの駅の改札でも例外ではない。広いスペースがあって人が誰もいなくても、早く通り過ぎなければならないと思っている。自分で自分を制限しているのだと思う。そういう制約を感じることが、最近は本当に多くなった。おそらくこれが大人は自分を枠にはめるというやつだと思う。社会には制約が多いから、そうやって無意識のうちにいろいろ制限しないとやっていられないのだろう。みんなが幸せになるはずの社会がそれぞれの人をどんどん押しつぶしているわけだ。
そう言えば、マイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」を見た。最初から最後まで見たわけではないが、言いたいことは何となく分かった気がする。日本でも感じている問題が、アメリカではより大きくなっているようだ。すなわち、力ある人が力のない人を押しつぶす構図だ。日本は徐々にアメリカに近づいているのだから、アメリカにある問題が日本にもあるのは当然なのかも知れない。そして、そのどちらにも共通するのは、弱肉強食の息苦しさから目を背けていることと、弱者への視点が欠けていることだ。似ているようでこの二つは違う。弱肉強食というのは、自分を常に強く保たなければならないから弱者に限ったことではない。むしろ強者こそ常に食われる不安におびえなければならない。しかし、それでも弱者を食いたいがために必死に今の社会を保とうとする。
それが悪いとは言わない。誰かが欲望を礎として富を求めなければ、人間は進歩しないからだ。しかし、それで自分がとばっちりを食うのは嫌だ。進歩なんてほどほどでいいから、もう少しのんびり生きようよとどうして思えないのだろうか…。いや、思えないのだろうな。歴史を見ればハッキリすることだ。穏健を求める人と欲望に満ちた人は、常に相容れない。個々の問題は別として、集団となれば絶対に相容れない。自分の意志を通すためには他人の意志を踏みつぶすこともいとわない。と言うよりも、他人の意志などという細かいことを気にするような人間には、大きな物事を成し遂げることなどできない。それなら僕は、大きな物事など成し遂げたくはない。他人の意志を踏みつぶし、多くの人に嫌われ、一体何をしたいと言うのか。まったく理解できない。そう、理解の対象にならないのだ。
ところでマイケル・ムーアだが、少々内容が偏りすぎだと感じた。そうは言っていないが、大企業は悪で、黒人は善で…という印象を受けた。まあ、大企業や白人を批判する内容だからそう感じるのだろうが。マスコミへの批判は、今の日本のマスコミにも同じことが言えると思う。緊急の第一報だけ報じると、そのまま事件の背景など取材しないで次の事件に向かうあたり、そっくりだ。まあ、沈痛な表情を浮かべていたアナウンサーが、カメラの目がなくなった途端に崩れるのは単なる皮肉だろうが。
しかし、偏ってはいるが、必要だと思った。日本もああいう皮肉がもっと注目されるべきだ。新聞もその役目を果たしているのかも知れないが、彼らは公平性がモットーだ。実際に公平かどうかは別として、その批判は明らかに鈍い。もっと極端に偏った意見でバランスを取るべきなのだ。そうすれば、冷静に考える材料になる。極端に偏った意見であれば、普通の人はそれをまともに受け入れない。受け入れるのであれば、それはその人がどうかしている。大企業や金持ちがすべて悪であり、黒人がすべて善だ、なんて言い方で偏っていないと感じるなら、一度小学校から出直してくるべきだ。いや、こう言った基本的な思考能力の欠如はどこで修正するべきなのだろう。言われて直ることなのだろうか。ただ、意外と多く見られる気がする。みのもんたに人気があるのがその証拠だ。彼の言うことをすべて信じると、世の中健康食品だらけだ、ということになる。つまりきちんと栄養バランスの取れた食事さえしていればいいじゃないかという当然の結論が見えてくる。この結論はあくまで僕の意見だが、みのもんたが紹介する健康食品が多いのは事実だ。この点を認識すれば、彼が何かを紹介するたびに売り切れるなんて現象は起こらないはずだ。一体どうすれば、もう少しまともな思考ができるようになるのだろう。もちろん、みのもんたには害がないからいいかも知れないが、…いや、あそこまで需要に大きな変化をもたらすと、売れる方にとってもろくなものではなさそうだ。ともかく、どうすればもっと多面的な思考ができるようになるのだろう。
まあ、とは言えこれは、自制すべき点ではある。僕も、自分と関係のないことについては比較的冷静に考えられるのだが、自分と関わりが出てくるとなかなか客観的な思考ができない。特に顕著なのが買い物だ。必要性だけをゆっくり検討すればいいのだが、お金に対する価値が本当にあるのか、だとかそんなことを考えてしまう。30000円の化粧品の原価が50円であっても、そんなことはどうでもいいのだ。自分にとって30000円の価値があると思ったのなら買えばいいのだ。その辺の冷静な思考がどうしてもできない。
朝方でも書けるものだ…と思ったが、これはだいぶ前から溜め込んでいた考えだからかも知れない。ともかく、文章にすることでだいぶまとまった感じはする。まったくバラバラだったものを少し整理しただけだからまだまだ読む方にとってはさっぱりだと思うが。今までは、読み直してみれば自分にだけは分かる文章だったが、今回はどうだろうか。実は寝ぼけていて、1から10まで何も分からないかも知れない。まあ、それもおもしろいじゃないか。自慢ではないが、僕は自分以外の読者についてはろくに考えていないのだから。