2003年07月23日(水)
犯行予告
「例の」ていうのは基本的に嫌いなのですが、そうとしか言えないので仕方なく。不本意。早く流行止めて正式な事件名で発表して欲しいもんです。 おわかりかも知れませんが 例の長崎の事件の話です。 事件後すぐに講義中に教授が仰っていたことが新聞に載りましたんで、もう良いかなと。 もう2週間以上前の講義での教授の報告はただこれ。 あの少年が行く道は一本だけです。 それを施設の方から学生に言ってくれと言われたんだそうで。 あれだけの事件を起こし、彼を自由にしたままで施設に入れることは出来ない。 自由を奪うことの出来る施設は国内では男女1つずつのみ。 国立武蔵野学院だけなんです。と。 本日、精神鑑定が行われることが決定して。 多少揺らぐやも知れませんが。ほぼ確実です。 だって逮捕当日から施設職員の方々は寝ずに彼の対応に追われているんです。 どうやって彼を受け入れていくか。 これからどういった教育をしていけばいいのか。その方針。 これで来ないわけはほとんどないでしょう。 教授が悲しんでおられたのは、丁度今年の春。 その施設で、つまり全国でもとてもこういった分野に有能でいらっしゃる方が移動になってしまったそうで。 その方がいれば。と教授は泣きそうでした。 教授は月一くらいでその施設に出入りしているそうです。 後期の講義でも話を聞くことが出来そうですが。 似た話でこの事件にもみ消されたように。 そして、引っぱり出されたように。 神戸の小学生生首事件。いわゆるサカキバラ事件の犯人。 サカキバラくんが出て来るそうで。 私としちゃ、てるくはのる事件の方の犯人はどうなったんだ。とちと疑問です。 模倣犯なんでごっちゃにして覚えていらしゃる人も多いんでは? 勉強不足です。出直して来い。 と、周囲の方には申したいとこです。多いんだな、これがまた。 それは置いておくとして。 なにやら、東村山に来るそうで? しかも、名前が知れてしまっているので改名するとか。 なんか上記と同じ教授がかなり詳しい情報を知っているようでして。 後期の講義で情報が流れてきそうな予感バリバリです。 施設にはいるのなら特に、その周辺は教授の頻繁出入り地域の中心です。 長崎の事件で少年の御両親は謝罪しませんね。 本日、公開された被害者児童の御両親のお話はもっともです。 信用なんか出来やしないし。謝罪も求めたいところでしょう。 子育てはゲームじゃありません。リセットも出来なきゃりゃ、その子の状態をパラメータで知ることなんか出来ません。 ただパラメータに代わるのは、自分の感覚と勉強・運動の成績といった数字・証明。 暗闇の手探り状態なんです。 被害者児童が『もし』そのまま育っていたら。 加害者少年のようにならなかったという保証がどこにありますか。 時間に『もし』はありませんが。あえて。 小さな情報だけで仮定をします。ひん曲がっているので御了承の上。 あなたが親として。子供が学校で1・2を争うくらいの優秀な成績の子で。 特に問題も見当たらなかったら。 ちょっと夜遅くに外に出たいと言っても、そこまで執拗に止めるでしょうか。 しかも女の子でなく、男の子です。 それに対して。 ゲームショップに小学校も前の小さな子を一人で行かせる。 これだけを提示すれば、まだ理解できるのは前者ではないでしょうか。 もちろん、情報をひん曲げて提示した例え話です。 加害者の御両親がどの程度、彼のことをわかっていたか。 そんなことはニュースにも乗りませんし。 我々には知ることもできません。 加害者が保護され過ぎて、被害者の遺族への対応が叫ばれる中。 私はあえて、加害者の関係者への対応を求めます。 ただただ、罵倒されるのは加害者本人よりも社会に残されたその人たちです。 そりゃ、上記のようなひん曲がった方向で被害者遺族を罵倒する人もいます。 それでも、です。 私は流行りとは違う方向をあえて行きたい。 そこが一番、見落とされている部分ですから。 まだまだ、自分は勉強中です。 私は周囲とは違って、そういったものとは少々異なる道を目指してはいますが。 それでも関心は持っていきたい。 加害者となる少年らは可哀相です。 確かに社会の闇にもまれて、自分を見失っただけのように感じます。 身近なところで言うと、某なりメ募集掲示板に10歳以下の子が病院設定で諸プレイを求める内容を書き込んでいたり。 本当に意味わかってんのかよ、このガキ。あー? とかね。思ったりするわけで。それは置いておくとして。 加害者に対しては悪いことは悪い。 加害者は加害者。何かの被害者ではあり得ない。 でも、情状酌量は忘れてはいけないし。 同時に、被害者及び被害者の遺族に対しても。 可哀相なことは可哀相。あくまで被害者。 でも、彼らにも要因は無いのか、悪かったことはないのか。 そういったことを追求することも忘れてはいけないと思う。 あんた、間違ってるよ。 愛するだけが愛じゃない。 助けることだけが愛じゃない。 罰するで救うことが出来る愛こそ愛なんだと、私は思うわけですよ。 |