2004年05月04日(火)
もふもふ書いてみよう
ちょこっと伴爺ドリ?に手を付けてみた。けれど、どうにもしっくり来ないのはやはりヒロインの口調だからか・・・。 でもなんだか、それ以外のいい形が思い浮かばないので一旦休止。下のほうに載せておきます。 今日も教習所行って応急処置やってきました。 人工呼吸とか心肺蘇生とか、中高で少し体験していたけどもそんなものほとんど覚えているわけもなく。 覚えているのは 思い切ってやれ。 というイメージのみ。お陰さまで上手く行きました。男性より上手く人工呼吸できた。(普通、女性は息量が少なくて上手くいかないものなのです。) ちなみにあの練習用の人形はほぼオールマイティに「アイちゃん」という名前なのですよね・・・。 首の骨を折るくらいの勢いで。首後ろをチョップするのも可。チョーップ! 以下には伴爺ドリ?らしきものの欠片をのっけておきますので注意。 授業中に叩かれた前扉、落ち着いて私を連れ出した先生に私は掴みかかりそうな勢いで反論した。 「そんなはず、ない!絶対にないんです!」 授業時間中の廊下に響き渡った私の声に近くの教室からいくつかの視線が向けられた。そんなことも気にせずに私は床にしゃがみこむ。そして息を詰らせるように泣いた。だって、だって・・・あるはずないの。そんなはずない。もしそれが現実なら、私は生きていられない。 [ なごり桜 ] 進めているはずの足は重く、実際には10cmくらいしか進んでいない。わかっている、早く行かなきゃいけない。頭では理解していても、身体全体でそれを拒否してしまう。 そんなスロー・ペースで歩む公園の道路。休日ともなれば家族連れでにぎわう青々とした芝、草野球の試合声の耐えない野球場、少年たちが列を成すテニスコート、それらも平日の昼間には閑散として静まりかえっている。 だんだんとまた、悲しみが瞳にのぼってくる。それをなんとか止めようと足のペースを上げようと頑張った。そうしたらあっさりとちいさな小石につまづいて私は思い切り転んだ。良く転んでいた幼少時代のお陰で転び方も慣れたもの。ペタリと地面に四つん這いになったものの外傷はほんの少し膝を擦り剥いた程度だ。 ポトリと陰った地面に涙が零れた。 小さな頃の私は本当に良く転んで怪我をして肘や膝に絆創膏が絶える日はなかった。いつも転んではわんわん泣いて親を困らせた。 でもいつも差し出される両親とは違うしわの多い暖かな手。 転んだことで思い出す。もう、あの手が差し出されることはないのだ。どんなに私が転んで泣いていても、決して。 涙がどんどん溢れてきた。プツリと何かが切れた音がして、私は声をあげて泣いた。 学校で泣いたのとは違う。地べたに座り込んで声を挙げて子供のように泣いた。先程まで耐えていた意味も全て無意味にしてわんわん泣いた。 「おやおや、大丈夫ですか?」 暖かな声と桜色のハンカチが差し出された。けれど私はそんな言葉も耳に入らず、ハンカチの色なんて涙でいっぱいの瞳に映る隙間はなかった。私はそのまま泣き続けた。 「あぁ、ほらほら地面に座りっぱなしでどうするんですか。ほら立って。」 声の主は私のそんな態度にも臆することなく、まるで小さな子を扱うようにゆっくりと泣いたままの私を立たせた。 「制服も砂まみれですね。はいはい、ほらほら。こっちに座るんですよ。」 私のスカートや膝から砂を払い、その人は私の背を支えたまま一緒にベンチに座った。 「中学生にもなって転んで泣きますかねぇ。まぁ、うちにも似たような男の子が居ますけど・・・。」 ゆっくりと話しながら私の背中をさする。言葉は厳しいように思えても、そのゆっくりとした話し方に悪意も嫌味すらなく、ただあったのは「慈愛」を表現できる暖かさのみ。まるで日常会話の延長のように語り続ける。 その暖かな言葉に包まれてもなお、私は泣き止むことを知らなかった。むしろその「存在」が私の悲しみを増幅させていたのかもしれない。 「・・・おじいちゃぁんっ・・・」 私の口から小さく零れた言葉に、その人は全てを悟ったようだった。 なんだかなー。微妙。 |