毒茄子
レガお君



 信じてみる

久々に自分のペースで過ごす。

一昨日の実習中、術後の患者さんに
「家に帰ったら食べられるだろうから
病院では無理して食べなくてもいい」
と的外しまくり発言をした学生。

「人間には自然治癒力があるんだから
いつかは治って行く。
そこをもっと早く治るように
できるだけ楽に治るように
治るまでの不自由がないように
常に出来ることはないかな?って
探すのが看護じゃないのか?」
と私が言ったところ
何とか伝わったらしく
計画を挙げてきた。

「ニオイが気にならないよう
ラップのかけ方を工夫する」
「個室じゃなく食堂で食事を摂って
気分が変わるようにする」
おお。
変化の兆しが見えるとこちらも嬉しい。

実習トラブルの時の発言で
彼女に対してかなり問題意識を持ってる。
でも根気よく関われば彼女も
変わりえる存在なんだと言う事を
忘れかけていたのかもしれない。

実際に根深い問題はある。
彼女は患者さんに援助を提供するのに
「指示されてやってみた事」では
患者さんが良い方に変化をしても
イマイチ嬉しくないと言う。
「自分で考えて何かをして
それを喜んでもらえたら嬉しい」
のだと言う。
が、自分で何かを考えたい割には
恐ろしいほど知識が足りない。
俗に言う「自分勝手」。

誰が考え付いた援助でも
自分がそれを実行する事で
患者さんが喜べばそれでいいと思うけど
彼女はそうではないらしい。
何か新しい事を教えてもらって
その技を盗んで患者さんに提供したところで
患者さんは「それって他人のアイデアやろ?」
って喜ばないという事はないと思う。

だいたい臨床で仕事を覚えるには
「こうしてみたら?」と先輩に言われて
やってみる所から仕事を覚えるんだし
実習でもまずは教科書を見て
そのとおりにやってみる所から始まる。

基本的な事が出来て初めて
応用やアイデアの加味があるのに。
だいたい「食欲を強化する」みたいな
基本的な食事への援助も忘れてるくせに
自分のアイデアも何もあったもんじゃない。

看護の喜びが「患者の変化」主体ではなく
自分の「やりたいこと」になってしまうと
本当にひとりよがりで危険な状態だと思う。
自分のアイデアを実行したいあまりに
基本から外れたり患者の意向を無視したら
それこそ倫理なんてどこかへ行ってしまう。

彼女に課題は多いけど
だから切るんじゃなくて
何とか関わり続けて小さな変化を重ねて
そういうのが私たちの仕事。
臨床を離れて1年とちょっとで
まだ教育が何なのかよくわかんないけど
相手の力を見極めて
信じてみるところから始まるのは
後輩も学生も患者も同僚も多分一緒。

根気よく。

2004年06月12日(土)
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