毒茄子
レガお君



 子を亡くす事

仕事終わらせたら一目散。

今日は久々に友達の家に寄り道で
一緒に晩御飯を食べる。
食べるだけじゃなくてちゃんと作る。
仕事着のままで台所なので
友達のエプロンを借りたら案外いい感じ。
何だか奥さんって雰囲気で気に入る。

そういう和やかなムードになる前には
涙々の時間があって
今日の本題はそっちだったりする。
冬に双子を妊娠した彼女は
経過中にトラブルが発生して
双子のうちのひとりが亡くなった。

結婚して4年、諦めた頃に授かった子で
私の結婚決定と重なって
ダブルオメデタだと大喜びだった。
それが一転しての厳しい結果で
生き残ったもう一人も出生時600グラム。
今は900グラムまで体重が増えながらも
ギリギリで頑張ってる。

明日で49日の法要を迎えるのに
お花と線香を上げに来たのが今日。
友達はショックと悲しいのとで
情緒不安定な時期もあった。
だいぶ落ち着いたからという事で
会いに行ったんだけど
気丈な彼女を見て私が泣いてしまう。

リビングに祭壇があって
そこにベビーの写真が飾ってある。
見事なまでの父親似でちょっと笑う。
でも、顔を見てたら涙しか出てこない。
この子は何で生きられなかったんだろう。
2日間の人生に込められたものは
なんだったんだろう。
友達のお腹の中でむくむくしてた子と
こんな形で会うなんて思ってもみなかった。

NICUで2日間過ごしたベビーの
生きてる姿を見たのは両親と
そこに働いてる数人のスタッフだけで
それでもベビーが生きてたんだと言う
証を残すべく友達夫婦は命名書を作り
出生届を書いて戸籍に入れ
死亡届を書いて戸籍にバツが入って
ベビーがちゃんと生まれて生きたんだと
必死で形に残そうとしてた。

亡くなった子のアルバムを見せてもらう。
出生直後から体調が悪くなってという
経過が写真に残ってる。
結局彼女が生きてるわが子に触れたのは
保育器に入った手先だけ。
抱いたのは亡くなってからで
「初めてのだっこ」という写真は
人工呼吸器も点滴も外されて
穏やかな顔をしたベビーと
泣き腫らして目も鼻も真っ赤なママ。

アルバムは進んで、ベビーはNICUから出て
両親がいる病室で親子3人川の字で寝て
翌日、保育器の中で頑張ってる
弟に会いに行きお別れをする。
26週間、お腹の中で一緒にいた二人も
これでお別れで亡くなったベビーは家へ。

友達は亡くなった子を一晩抱いて過ごし
次の日にその子を連れてNICUへ行き
そのままダンナの運転する車で
普通に退院するようにつれて帰った。
玄関や庭先で友達が遺体を抱いて
写真に写ってるけど表情はうつろ。

遺体を抱き続ける彼女の写真を見て
必死で「親子」を感じておきたいという
彼女の思いが伝わってきて
やっぱり涙が出てくる。
母はわが子の死を認めてアルバムを作った。
私は泣きながらアルバムを見てたけど
彼女のダンナは辛くてまだ
アルバムは見られないと言う。

2日間で5ページ。
それがそのベビーの人生なんだけど
遺したものは大きい。
別に有名人にならなくても
こうやって周りの人間に強烈なインパクトを
遺していく命もあるわけで
人生の意味とか内容とか濃さとか
そんな事をぼんやり考える。

よく「自分が生きてる間に何ができるか」
って言ったりするけど
遺すものの大きさに人生の長さは関係ない。
生き残ったベビーは毎日がヤマ場で
管だらけになっても頑張ってる。
友達は子どもをひとり亡くしても
残った子どもを支えることで
かろうじて自分を保ってる所もある。
保育器の中でただ、生きてるだけに見えても
それが人を支えたり勇気付けることもある。

だから私も一生懸命、生きないと。

2004年07月26日(月)
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