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自分に欠落してるもの
とある方の、友人というものに対する日記を読んで。 深く深く考えさせられた。というより「共感」した。 最近「共感」というコトバを意識的に避けてたけれど。 (ロッキングオン関係を読み始めてからだ・・・嗚呼) 真っ当な意見にはきちんと「共感」するべきだ。と思った。
自分はヒト(他人)をどれだけ知ろうとしてきたか?
「自分の事で精一杯でヒトに対して無関心過ぎた」 とある方は、そのことで深く自身を断罪されていた。 ワタシ自身の事を言われてるように、思った。 それほど、翻って考えた時の愕然が大きかった。
服の趣味とか、細かい癖とか、 彼氏の事とか、云々。
たくさんの会話。たくさんの時間。つきあい。
ヒトはたくさん私に語りかけてくれていた。 どれだけ、掴む事が出来ただろう? どれだけ、返す事が出来ただろう?
返せない事もあったと思う。本当に、あったと思う。 あえて自分から話題に出さない事もあった。 出せない事もあった。 「自分そのコトに関しては全くネタ無いし」 自分の経験の無さを。意見の無さを。知られたくない事を。 そんなコトバですりかえていた。
厭な奴だ。
はね返る。 そんな態度ははね返る。 自分の無力を知られたくない。 ヒトの知性を知ろうとしない。 そうしてワタシは今。 友達と思ってたヒトが、他人になっていくのを見ている。
私は術を知らない。 友人だと思ってたはずのヒトに、 結婚の馴れ初めを聞き出す事さえ出来ない。 妬みじゃなくてただ。不躾と思われるのが怖いだけ。 今さらそんな面して。と切りかえされるのが怖いだけ。 どう接すればいいのか。どう話しかければいいのか。
そしてワタシは本当に話しかけたいのか。 それさえも分からなくなってくる。
電話を極端に嫌うのも。 初対面のヒトより2・3回会ったヒトと話す方が ずっとしんどく感じてしまうのも。 みんなそうだ。 みんな自信の無さの裏返し。
ヒトに優しくなりたい。精一杯ぶつかりたい。 でもその術を知らない。 コレで合ってるの?正しいの? ちゃんとコミュニケ成り立ってる? そんな是非の判断さえおぼつかない。 そんな24歳。キショイ。
キショイって。
*ロッキングオン関係を読んだ方が全て「共感」を 否定してるって訳ではないので。 ただそう解釈してしまうバカも少なからず居る、ってことです。 気分を悪くされた方、すみません。
2002年07月06日(土)
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