日記を書くことで何かが生まれたり、 整理がついたり、気持ちが変わったり する事を期待しているのだが、 人間の中身が空っぽのため、何も生じない。
どうも、「心」というものがフワフワ浮遊して 定まらない。「不安」との共存を五木寛之は 著書で書いているが、確かに自分には共存する 力がなく、逃避しているようだ。
漠然と、もう今の会社へは戻れないのではないか? 病気がどんどん悪化して治癒しないのではないか? という不安で暗澹たる気分に支配される。
特に、人ごみ・雑踏・知人と話す事・家族と話す事さえ 苦痛に思える。 苦しみから逃げるように、ダイエットに励んでいる。 これは、明らかに現実逃避だ。 過度の食事制限と、痛めつけるようなトレーニング。
私の大叔父は古沢平作という日本の精神医学の草分け である。今、通っているクリニックの先生にそのこと を告げると、たいそう驚いていた。 ドイツ留学し、フロイトの弟子として精神医学を日本に 持ち込んだ人物だ。
父が壮年のころ、その古沢平作先生に診たててもらうと わが家系は、遺伝的に物事に対して極端になる傾向があり、 基地外と紙一重なるも、上手く運べば大事を成す。とのこと。
私もいま、精神状態が基地外の手前まできている。 といって、犯罪に走るような状態ではなく。 自分の人生と自分の本性が、他人の洋服を着ているような 妙な違和感があるのだ。
何をどうすればよいのかわからない。 いつまでかかるかわからない。 家族を養うプレッシャーもある。 会社での立場もある。
迷い・悩み・苦難・混沌 そんな中でも、ただ生きているのだ。 それだけしかできない。 いったい、自分は自分に何を期待しているのか?
今日の夜も深け、明日もまたトンネルの 中を歩き続けるように生きていく。 それだけでも、ひどく力が要る。
座禅でも組みますか〜
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