会社が1月1日にて合併のため 今年度は変則的に4月から12月までの 年度で人事評価がされる。
といっても、大半が休職中だったので 降格も覚悟しなければならない。
何かと理由付けができれば 給与を下げ、首を切る。 合併で明るい未来を語る社員が ほとんどいない大会社(何万人だっけ)。
異動でも、かなり本人の適性や希望を 無視したものが多く、自主的にやめさせる 意図が見え見えだ。
いわゆる減点主義。 面白みの無い、沈滞したムードが 会社を覆い、合併に伴う激務だけが 社員のエネルギーを磨耗させている状態。
全く、経営トップの意志やビジョンが 伝わってこない。 社員一人一人の能力は恐らく日本でも 有数だろう。(窓際の私は別)。
幸い関連会社へ出向(飛ばされた?)したため 実際には親会社は10%しか当社の株を 保有していないので、かなり自由で活気のある 職場だ。社員40名。(1月より50名)で 経常が4億。借金ゼロ。本気で上場するのなら こんなわたしでも、もう一度野心に燃えて 働くのもいいかな。
石原慎太郎の「法華経」の本を読んだ。 彼の自己顕示欲の強さには辟易するが 「わかりやすい入門書」ほど判りやすくなく 「自分はこんな事も知っているし経験している」 っていう自慢話みたいなものだ。
都知事としての手腕は決して非難しないが 彼の父性的な強さは実は、内面の弱さの カモフラージュではないかと思った。
少なくとも彼は法華経によって、自分の 存在をしっかりと認識し、 物事の事象を因果応報の流れのなかで 捉えることができるらしい。
瀬戸内寂聴のあとがきもなんだか 胡散臭いな。
やはり、仏教は難しくても高層の原本を 自分でたどるしか理解できない。 誰かの理解を通じて読まされると フィルターを通じて、その者の自己意見 が強く反映されてしまう。
あとは、五感以外で仏を感じることが できるかが重要だ。 そのために、座禅やら修行がある。
サラリーマンとしては、 自分の仕事に没頭し、職人の域に 達することがすなわち修行だ。
仕事が仕事を仕事する。 あれもこれもと、やらねばならぬこと・ やりたいアイディアなどで目の前の 仕事がおろそかになってはいけない。 今、現時点での仕事に無心に取り組む。
スポーツでも一緒だ。 テニスでも、あと何ポイントで 勝利だ、とか次の対戦相手は、などと 考えた瞬間に目の前のポイントを 落としてしまう事は何度も経験している。
無心に取り組む!動機はどうあれ 着手したら目の前の役割を無心に 取り組め!
こんな事が、たとえ念仏を唱えなくても それと同じ効果を得るのだそうだ。
次回の仏教のお話は、人間のおかれている 状況は困難・成功などいろいろあろうが 自分ひとりで創りあげたのではなく 何人かの人や、環境など必ず複雑な 因果関係が造りだしている、という考え方 を書いてみたい。
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