壊す。
(※ラフ……イノセント・ラフのこと。放送終了後に公式HPで配信している動画ドラマ。殉也が主役のショートコメディー)
「ラフ」のあんな感じが北川さんなんだよね、と思いました。
だって「ラヴ」のオープニング、走る北川さんを見て最初に吹きましたから。
ちょっと恥ずかしいというか。どっちかっていうと息子を見守っているお母さんな気分になったというか(おい)
シーンひとつとっても気が気じゃなかった。活舌よくしようと頑張ってるな、とは感じましたがちょっと裏返ったような声になって「あらら……」な所もありましたし。
周りが本職の方たちばかりなので、ちょっと浮いてしまったのは否めませんね。
そのぶん笑顔でフォローしてたのかしら? なんて思った方は多かったのではないかと思います。
確かに北川さんはいつもより微笑み度高かったです。
でもね。
その笑顔がスタッフの狙いだったと思うのは私だけでしょうか?
別に、北川さんの笑顔がどうとかそういうのではありません。
あくまで役柄「長崎殉也」としての話です。
公式HPで殉也は「いつも明るく天真爛漫な性格。しかし実は深い悲しみを抱えている」と書かれています。
その悲しみの理由も第一話のラストで明かされたわけなのですが。
聖花に語りかけるあのシーンで殉也を取り巻いていた空気がふっと変わるんです。
笑顔の仮面がはがされ、殉也の心の悲しみが初めて表情に現れる。
それは静かで穏やかに、でもどこか重くのしかかるような間。
第一話の狙いはまさにそこ。前半が(不自然なほど)笑顔ばっかなのも視聴者にそのギャップを見せるための伏線かと。
しかし天井にガン飛ばしていた聖花のインパクトが強すぎて見事打ち消されたような気がします。はは。
でもあの時の北川さんの表情はすごくよかったな。聖花に語りかける台詞もすごく自然だったし。あそこだけはすっと感情移入できましたね。
そして北川さんは台詞と一緒の演技より動きや表情だけの演技の方が上手いような印象を受けました。(パイプオルガン修理の時も自然だったし)
ここからは私の勝手な憶測ですが、この先殉也は聖花の前でどんどん壊れていくのではないかと思います。つうか、恋人の前で笑ってばっかりのキャラを続けるとは思わないし。
そして佳音と関わることで目に見えなかった感情とかが出てくるのでは? イノセント=無邪気な な感じでうっかり八つ当たりとかしてそう。で、すぐに「ごめん」みたいな。
あくまで予想は予想ですけど。
まぁ、そんなこんなでドラマが始まったわけですが。
何故北川さんが起用されたのか、まだ疑問に思っている人もいるかと思います。
浅野さんはゆずのライブを見て北川さんをドラマに使ってみたいとおっしゃってました。
北川さんは脚本の浅野さんから物語について聞いて仕事を引き受けたと言っていました。
もし浅野さんが当てた役柄がただ爽やかに笑っているだけだとしたら北川さんは絶対引き受けなかったと思います。
でも、北川さんは長崎殉也役を引き受けた。
私も最初は「何故」と思いましたけど、第一話を見た後、殉也に対する上記の印象から「こうなのかな」と思えるような可能性が一つ浮かびました。
これも勝手な推測でしかないんですけど。
どちらも「壊し」たかったのかなぁ? と。
今回「ラスト・フレンズ」のスタッフが集結した、とやたら宣伝しまくってましたが。
それってものすごいプレッシャーではないでしょうか?
「相棒」のような続編ドラマならともかく、「以前このドラマでやりました〜」的なことを言って新たなドラマを作るとなると視聴者の興味を煽る分期待を持たれるわけですよね。
そして「前のドラマがこうだったから、脚本がこの人だからこうなのではないか」といった予想も立ってくるわけです。
最初の普遍と意外性の話に戻りますが、小説だと同じ作家だから同じ作風。設定から物語から似たりよったりになってしまうことがあります。
これはドラマも同じではないでしょうか。
それを「ラスフレ」スタッフの持ち味として受け入れる人もいますが、そこにたどり着くまでが難しいのではないのでしょうか。
最近は皆さん想像力豊かです。そして飽きっぽい。
だから「こんなのありきた、想定内」って思ってしまえば見るのを止めてしまうでしょう。「原作のイメージとは違う」と思ったら見ることもないでしょう。よっぽどの技量、物語を惹きつける何かがないと人の心をつかめないわけです。
打開する方法はそれぞれありますが、その中にもし誰もが想定しなかった「イメージを壊す」という「意外性」を盛り込んでいたら。
もしかしたらそんな「壊したい」気持ちに北川さんの心が動いたのではないかと思っちゃったりするわけです。
世の中は歌手の「ゆず」に対し「爽やか」なイメージを持っている方がほとんどかもしれませんが。
本来のゆずは「クラッシャー(破壊者)」ではないかと私は思っています。
これは八年前、彼らがオールナイトニッポンのパーソナリティをやっていた時のことですが。
曲を作る際、彼らは「自分たちのイメージを壊していこうぜ」的なことを常に考えている、ようなことを言ってたんですよね。
既存のまま、普遍性を求めるのではなくあくまで新しい「ゆず」を作っていくのだと。
つまり、ありとあらゆる可能性を求めアグレッシブな精神を持ってるんだみたいなことを言っていたわけです。
まぁ、この辺は「トビラ」時代(ゆずの楽曲においての第一次過渡期)だったこともあって刺々しさもあったわけなんですけど。
でもそういった気持ちは今も心のどこかにあるんじゃないかなぁと私は思うわけです。
そうでなかったら前回のアルバムで蔦谷さんや久石さんの協力を請わないはず。
あんなエンターテイメント満載のライブを続けるわけないし、月9に出ておきながら「シシカバブー」で女装や全身タイツなんてしたりしない(笑)と。
だから、長崎殉也役を引き受けた時も、物語のどこかに浅野さんの概念を「壊す」ものがあったか、あるいは自分と重ねるものがあってそれに惹かれたのだと思います。
そして「ゆず」として糧になるような経験につながると思ったのでしょうね。
今回のドラマは「孤独」がテーマになっています。
それが物語とどう絡んでくるか、この先はそういったことを考えながら見るのも面白いかもしれませんね。
北川さんの演技にハラハラしながら最終回まで見守っていきたいと思います。
私も下手くそながらも小説書いていたりして「どうしたらこの話が面白くなるのか」を考えて、少しでもそれが読み手に伝わるようにと願かけしながら書いてます。
己の持ち味が何なのか未だに分からず手探りだったりします。
ぶっちゃけ上手い文章なんか技術を積めば誰でも書けちゃうんですよね。
でも、心に響く物語は誰にもできるわけじゃなく、それが人の記憶に残り続けるのもごくわずかなわけですから。
嗚呼、日々精進。
普遍と意外性について、ちょっと話をしてみようかと思います。
普遍を調べたところ、この言葉は「全体に広く行き渡ること。例外なくすべてのものにあてはまること」という意味。
つまり誰もが持っているものであり、当たり前だと思っている「普通」のこと。
小説においての普遍は人を惹きつける力が弱いです。
当たり前の出来事、普通のよくありそうな話は一部の読者に共感を持たれても、その大半は読んでいてつまらないものになってしまうんです。
だから作者は読み手を飽きさせないよう予期せぬ「意外」を組み合わせるわけですが。
それは独特の言い回しや、視点を変えるといった技術的なもの、あるいは登場人物の性格やその背景などの設定だったり。
でもこの「意外」も使い方を間違えると読者に空回りのまま終わってしまい、物語が台無しになってしまうので、出すタイミングは慎重に選ぶべきだと私は思います……
なーんて最初から硬い文章を書いてしまいましたが。
「イノセント・ラヴ」初回を見ました。
ぶっちゃけ……
(※ラフ……イノセント・ラフのこと。放送終了後に公式HPで配信している動画ドラマ。殉也が主役のショートコメディー)
「ラフ」のあんな感じが北川さんなんだよね、と思いました。
だって「ラヴ」のオープニング、走る北川さんを見て最初に吹きましたから。
ちょっと恥ずかしいというか。どっちかっていうと息子を見守っているお母さんな気分になったというか(おい)
シーンひとつとっても気が気じゃなかった。活舌よくしようと頑張ってるな、とは感じましたがちょっと裏返ったような声になって「あらら……」な所もありましたし。
周りが本職の方たちばかりなので、ちょっと浮いてしまったのは否めませんね。
そのぶん笑顔でフォローしてたのかしら? なんて思った方は多かったのではないかと思います。
確かに北川さんはいつもより微笑み度高かったです。
でもね。
その笑顔がスタッフの狙いだったと思うのは私だけでしょうか?
別に、北川さんの笑顔がどうとかそういうのではありません。
あくまで役柄「長崎殉也」としての話です。
公式HPで殉也は「いつも明るく天真爛漫な性格。しかし実は深い悲しみを抱えている」と書かれています。
その悲しみの理由も第一話のラストで明かされたわけなのですが。
聖花に語りかけるあのシーンで殉也を取り巻いていた空気がふっと変わるんです。
笑顔の仮面がはがされ、殉也の心の悲しみが初めて表情に現れる。
それは静かで穏やかに、でもどこか重くのしかかるような間。
第一話の狙いはまさにそこ。前半が(不自然なほど)笑顔ばっかなのも視聴者にそのギャップを見せるための伏線かと。
しかし天井にガン飛ばしていた聖花のインパクトが強すぎて見事打ち消されたような気がします。はは。
でもあの時の北川さんの表情はすごくよかったな。聖花に語りかける台詞もすごく自然だったし。あそこだけはすっと感情移入できましたね。
そして北川さんは台詞と一緒の演技より動きや表情だけの演技の方が上手いような印象を受けました。(パイプオルガン修理の時も自然だったし)
ここからは私の勝手な憶測ですが、この先殉也は聖花の前でどんどん壊れていくのではないかと思います。つうか、恋人の前で笑ってばっかりのキャラを続けるとは思わないし。
そして佳音と関わることで目に見えなかった感情とかが出てくるのでは? イノセント=無邪気な な感じでうっかり八つ当たりとかしてそう。で、すぐに「ごめん」みたいな。
あくまで予想は予想ですけど。
まぁ、そんなこんなでドラマが始まったわけですが。
何故北川さんが起用されたのか、まだ疑問に思っている人もいるかと思います。
浅野さんはゆずのライブを見て北川さんをドラマに使ってみたいとおっしゃってました。
北川さんは脚本の浅野さんから物語について聞いて仕事を引き受けたと言っていました。
もし浅野さんが当てた役柄がただ爽やかに笑っているだけだとしたら北川さんは絶対引き受けなかったと思います。
でも、北川さんは長崎殉也役を引き受けた。
私も最初は「何故」と思いましたけど、第一話を見た後、殉也に対する上記の印象から「こうなのかな」と思えるような可能性が一つ浮かびました。
これも勝手な推測でしかないんですけど。
どちらも「壊し」たかったのかなぁ? と。
今回「ラスト・フレンズ」のスタッフが集結した、とやたら宣伝しまくってましたが。
それってものすごいプレッシャーではないでしょうか?
「相棒」のような続編ドラマならともかく、「以前このドラマでやりました〜」的なことを言って新たなドラマを作るとなると視聴者の興味を煽る分期待を持たれるわけですよね。
そして「前のドラマがこうだったから、脚本がこの人だからこうなのではないか」といった予想も立ってくるわけです。
最初の普遍と意外性の話に戻りますが、小説だと同じ作家だから同じ作風。設定から物語から似たりよったりになってしまうことがあります。
これはドラマも同じではないでしょうか。
それを「ラスフレ」スタッフの持ち味として受け入れる人もいますが、そこにたどり着くまでが難しいのではないのでしょうか。
最近は皆さん想像力豊かです。そして飽きっぽい。
だから「こんなのありきた、想定内」って思ってしまえば見るのを止めてしまうでしょう。「原作のイメージとは違う」と思ったら見ることもないでしょう。よっぽどの技量、物語を惹きつける何かがないと人の心をつかめないわけです。
打開する方法はそれぞれありますが、その中にもし誰もが想定しなかった「イメージを壊す」という「意外性」を盛り込んでいたら。
もしかしたらそんな「壊したい」気持ちに北川さんの心が動いたのではないかと思っちゃったりするわけです。
世の中は歌手の「ゆず」に対し「爽やか」なイメージを持っている方がほとんどかもしれませんが。
本来のゆずは「クラッシャー(破壊者)」ではないかと私は思っています。
これは八年前、彼らがオールナイトニッポンのパーソナリティをやっていた時のことですが。
曲を作る際、彼らは「自分たちのイメージを壊していこうぜ」的なことを常に考えている、ようなことを言ってたんですよね。
既存のまま、普遍性を求めるのではなくあくまで新しい「ゆず」を作っていくのだと。
つまり、ありとあらゆる可能性を求めアグレッシブな精神を持ってるんだみたいなことを言っていたわけです。
まぁ、この辺は「トビラ」時代(ゆずの楽曲においての第一次過渡期)だったこともあって刺々しさもあったわけなんですけど。
でもそういった気持ちは今も心のどこかにあるんじゃないかなぁと私は思うわけです。
そうでなかったら前回のアルバムで蔦谷さんや久石さんの協力を請わないはず。
あんなエンターテイメント満載のライブを続けるわけないし、月9に出ておきながら「シシカバブー」で女装や全身タイツなんてしたりしない(笑)と。
だから、長崎殉也役を引き受けた時も、物語のどこかに浅野さんの概念を「壊す」ものがあったか、あるいは自分と重ねるものがあってそれに惹かれたのだと思います。
そして「ゆず」として糧になるような経験につながると思ったのでしょうね。
今回のドラマは「孤独」がテーマになっています。
それが物語とどう絡んでくるか、この先はそういったことを考えながら見るのも面白いかもしれませんね。
北川さんの演技にハラハラしながら最終回まで見守っていきたいと思います。
私も下手くそながらも小説書いていたりして「どうしたらこの話が面白くなるのか」を考えて、少しでもそれが読み手に伝わるようにと願かけしながら書いてます。
己の持ち味が何なのか未だに分からず手探りだったりします。
ぶっちゃけ上手い文章なんか技術を積めば誰でも書けちゃうんですよね。
でも、心に響く物語は誰にもできるわけじゃなく、それが人の記憶に残り続けるのもごくわずかなわけですから。
嗚呼、日々精進。
2008年10月21日(火)
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