Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2007年05月17日(木) 僕らはみんな生きている



「 火熱に耐えられなければ、台所から出て行くべきだ 」

           ハリー・S・トルーマン ( アメリカ合衆国第33代大統領 )

If you can't stand the heat, get out of the kitchen.

                               Harry S. Truman



親が最も子供に教えるべき事柄は、すべての生き物に共通している。

それは、種が絶滅しないために、最も必要な事柄でもある。


つまり、それは 「 自分の命を大切にしなさい 」、「 生き残りなさい 」 という教育であり、他の何事もそれに勝るものではない。

人間にかぎらず、砂漠や、ジャングルや、海中や、地中に棲む動物までもが、子供に 「 生きる術 」 というものを、身をもって教えている。

それは教育というより、本能に近いものかもしれないが、親がいて、子供がいて、また次の世代が育つ繰り返しで、種は保存されていくのだ。

いくら過酷な環境に棲み、生きる作業が苦痛であったとしても、辛いから、面倒だからといって 「 死に方を教える 」 ような動物はいない。

他者の生命など何とも思わない下等動物でさえ、必死になって自分の命を守ろうとし、その姿を通じて次の代は、命の尊さを学び、また伝えていく。


国民投票の是非だとか、憲法改正がどうとか、教育基本法がなんだとか、国の批判をする人間が多いので、今夜は私も少し文句を言ってみよう。

昨年 ( 2006年度 ) に、過労やストレスによる自殺で労災認定を受けた人の数が、過去最高の66人だったことが、厚生労働省の調べでわかった。

数の問題ではなく、「 自殺者に労災認定などするな 」 というのが私の考えであり、論拠は、「 自殺者を無くすため 」 である。

政府は片方で 「 自殺者を減らしたい 」 と言い、もう片方で 「 自殺しやすい環境をつくる 」 という矛盾した行為を行っているのだ。

遺した家族が心配で自殺を躊躇している人間に、「 たとえ自殺しても、後は労災にお任せください 」 と、自殺を幇助しているのと同じではないか。


交通遺児に救いの手を差し伸べる 「 あしなが育英会 」 という団体があるが、ここも、最近は自殺遺児の支援などという 「 愚行 」 に走っている。

労災もそうだが、こういった団体は 「 自殺後のケアを充実させ、自殺者を増やしたい 」 のだろうかと、まったく理解に苦しむばかりだ。

たしかに自殺遺児は可哀想だし、とても気の毒ではあるが、そんな状況をつくりだした犯人は、社会でも職場でもなく、自殺した本人である。

もちろん、自殺遺児が生きるための支援は誰か ( 最終的には国 ) が行わざるをえないが、そういうことは大々的に宣伝すべきでない。

自殺したら 「 何の補償もない 」、「 家族が悲惨な目に遭う 」 という認識を持たせたほうが、自殺者を減らす効果が高いに決まっているではないか。


前述した通り、たとえ下等動物でも、親というものは子供に対して、必死に生きる姿を見せ、生きる術だとか、生きる意味というものを教える。

福島の首狩り少年は 「 テロや戦争が無くなればいいのに 」 と渇望しつつ、自分の母親を殺したが、それでも自分自身の命までは棄てていない。

どれだけ口先で偉そうな理屈をこねようと、自殺する人間なんていうのは、下等動物以下、首狩り少年以下の存在にしかすぎない。

それも、不治の病に苦しんでいるとか、重度の障害を抱えているのならまだしも、仕事が嫌だとか、辛いとか、ストレスごときで死ぬのはサイテーだ。

なぜならば、難病からは逃れようがないけれど、仕事のストレスなんてものは、自分の能力に合ったレベルへと、容易に転職できるのである。


過労だ、ストレスだと騒ぎ立てる人の仕事内容を検証すると、就労時間数にしても、仕事の難易度にしても、私よりはるかに低い人が多い。

つまり、同じ仕事が私に与えられていたならば、「 しんどいなぁ 」 程度には愚痴ったかもしれないが、心身ともにすこぶる健康に従事したはずだ。

もし、自分の能力では処理しきれない場合でも、他所の職場に活躍の場を求めればよいだけの話で、自殺する理由などまったく皆無である。

こういう話を書いたら、「 簡単に転職というが、現在の収入が維持できない危険があるので、簡単には辞められない 」 などと反論する御仁が現れる。

それは、「 転職先で得られる評価が、その人の正当な評価 」 なのであり、現在の仕事への対価が、能力や実績に見合っていないという証である。


世間では、親や先祖を敬いなさいと言うが、私が両親を尊敬しているのは、自分の親としてだけではなく、一人の人間として尊敬できるからだ。

辛いからといって生きることを放棄し、親として最低限度の 「 自分の生命を大切にしなさい 」 という事柄さえ教えられない親を、どうして尊敬できよう。

自殺遺児が気の毒なのは、生活費に困ることよりも、「 尊敬できない親 」 の元に生まれてしまった不幸に対してである。

経済的な支援は親でなくても可能だが、親から学ぶべき一番大切なことを、彼らは学べずに人生を歩んでいくのだ。

だから、自殺は絶対にしてはいけないし、それを容認する制度などは即刻廃止し、誰も自殺など考えない風土を、築いていく必要がある。






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