「 男は強くなければ生きていけない。
優しくなければ生きている資格がない 」
レイモンド・チャンドラー ( アメリカの作家 )
If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't be gentle, I wouldn't deserve to be alive.
Raymond Chandler
以前にも登場させた名言だが、本当に的を得た表現だと思う。
女々しく弱々しく生きる人もいるが、それは 「 男 」 として生きていない。
尊敬する両親に恵まれ、心身の健康面に恵まれ、仕事に恵まれ、出会いを通じ人間関係に恵まれ、自分は幸せ者だと感じている。
ときに自分の姿勢は、「 恵まれない人間 」、「 弱い人間 」 の感情を察していないのではないかと、お叱りを受けることもある。
そう思われているのは自分の 「 不徳のいたすところ 」 だけれど、同じ人間である以上、辛いことや、悲しい出来事も、それなりには経験している。
実際のところ、たとえば両親を早く亡くしたことや、結婚を誓い合った相手が重病を患って去ったことなど、自分にも不幸や痛手はあったはずだ。
しかし、かといって物の見方を歪めたり、弱気になったり、不幸を第三者のせいにしたり、後ろ向きの生き方をすることが、正しいとは思わない。
平凡な一市民として地味な毎日を過ごしながらも、「 ちょっと良いこと 」 や 「 ちょっと悪いこと 」 ぐらいには、それなりに遭遇する。
今週も 「 ちょっと良いこと 」 があったが、私のいう 「 ちょっと良いこと 」 というのは、だいたい、魅力的な女性との出会いを指している。
ふとしたキッカケから、初対面の女性を車に乗せることとなったのだけど、意気投合し、お互いに特定の相手もいないので、また会うことになった。
彼女は、「 “ 長澤まさみちゃん ” と “ 井川はるかちゃん ” の両方を足して2で割り、ワインセラーで15年ほど寝かした感じ 」 の30代後半美女だ。
車に乗り込んで、「 遠ければ途中までで結構ですが 」 と言われたときに、「 いいえ、地の果てまででも 」 と答えたのは自然の摂理だろう。
とても生意気な言い方かもしれないが、長くは交際が続かないのだけれど、おかげさまで美女との出会いは多く、それほど珍しいことでもない。
魅力的な女性との出会いに、若い頃は夢中になり、小躍りして喜んだものだが、最近は慎重になったのか、鈍感になったのか、静かなものだ。
感動しないわけじゃないが、せいぜい、「 ちりめんじゃこの中に、ちっちゃなタコの赤ちゃん 」 を見つけた程度のはしゃぎ方である。
まだ始まったばかりで、この先どうなるかわからないが、仕事も忙しいうえに、他の予定も色々あるから、それほど頻繁には会えないだろう。
以前であれば、他の用事は断ってでも会うぐらいの情熱を傾けたが、いまはどこかで、あまり本気にならないよう、ブレーキをかける自分もいる。
そんな、ニヤッとする 「 ちょっと良い話 」 があった直後に、入れ替わりで 「 かなり悲しい話 」 が飛び込んできて、いまは珍しく落ち込んでいる。
具体的な内容には触れないが、自分にとっては親が死んだ以上に ( 誰も死んだわけではないが ) 胸を裂かれるほど悲しい知らせである。
最近、商売のほうは順調だが、お金で解決できる種類の問題ではないし、少し先の話ではあるが、解決策が見つからないので悩んでいる。
私が、たとえば鬱病の人に 「 甘えがある 」 と考えるのは、こんな悲しみを体験したら、きっと彼らは自殺を企図したり、生きる気力を失うからだ。
男なら、どんな状況においても、絶望に耐え、自分を見失わない強さを持ち続ける使命があり、それを放棄した時点で 「 男の生き方 」 ではない。
ちなみに、「 かなり悪い話 」 のほうは自分の問題ではなくて、それを抱える人間への想いが強いので、胸が裂かれるし、少し気落ちしてしまった。
男なら、自分の問題で鬱になったり、愚痴や泣き言をこぼしたりはせずに、黙って自力で解決するのは 「 当たり前 」 の話である。
世間には 「 最近の日本人は 」 と総称して若者を責める人もいるが、老いも若きも 「 最近の男 」 に難点のあるケースがほとんどのようだ。
アキバ系のオタク以上に、ブログを書いている中年男性には 「 軟弱 」 な人が多く、なんでも国家権力の悪口につなげるのだから情けない。
憲法改正がどうとか、イラク戦争がどうとか、チマチマした問題をウジウジと批難する前に、男として生きる試練を自分に課すべきだろう。
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