| 2007年10月15日(月) |
古びたルールに縛られたい日本人気質 |
「 われわれ全員が自由でありうるために、全員が法律の奴隷となる 」
マルクス・トゥリウス・キケロ ( 古代ローマの政治家、哲学者 )
We are slaves of the law so that we may be able to be free.
Marcus Tullius Cicero
規則や、伝統的な価値観は、秩序と文化を保つために必要な指標だ。
ただしそれが、時や場所を越えて普遍なものだとは、けしてかぎらない。
せっかちな日本のビジネスマンが、イギリスの田舎を歩いていたら、湖畔で釣りをする老人を見かけ、しばらく、その様子を眺めていた。
よく見ると、釣り竿には糸も針もついておらず、不思議に思った日本人が、老人に理由を尋ねると、逆に、「 糸や針をつける理由 」 を問い返された。
日本人は、当然のことのように 「 魚を得るため 」 と答えたが、すると老人は、「 魚を得てどうするのか 」 と、再び質問を返した。
その問いに、「 食べるため、あるいは販売するため 」 と答えると、老人は、「 魚を獲り、販売して儲かったら、何をする 」 と、また問い返した。
しばらく思案した後、日本人は 「 そうだなぁ、のんびりと田舎で釣りでもするかなぁ 」 と真顔で答え、老人は、「 それなら、もうやってるよ 」 と笑った。
これは、「 エコノミックアニマル 」 などと呼ばれる日本人への風刺を込めたイギリスのジョークだが、多くの日本人にとって、重要な教訓を含んでいる。
糸と針をつけない老人の 「 非生産的 」 な行動は奇異で、釣り本来の目的から逸脱していると思うのが 「 当たり前 」 だと、大部分の人は感じる。
しかしながら、よく考えてみると、都会で忙しく働き、資産を獲得した人々が 「 ノンビリと田舎で釣りをしたい 」 と願うのは、釣果が目的ではない。
仕事において、「 なるべく最少の時間と費用と労力で、最大の成果を効率よく挙げる 」 という考え方は、日本も、諸外国も、そう大きくは変わらない。
ところが、たとえ余暇の時間でも、日本人は自分の行動に効率性を求め、そのせいで、本当の意味での 「 骨休み 」 にならないことが多いのだ。
欧米に比べ、長期休暇が少ない ( 短い ) 影響もあるが、日本の旅行社による観光ツアーには、異常に 「 ハードスケジュール な プラン 」 が多い。
利用者も、1箇所に留まって 「 旅の思い出 」 をつくることより、片っ端から名所・旧跡を数多く巡ることに、価値を感じる人が多いように思う。
一部には、ノンビリしたいが、「 誰かがルールで縛ってくれないと、何をしてよいのかわからない 」 理由から、自由度の高い企画を敬遠する人もいる。
せっかくの余暇を、規則に縛られず、羽を伸ばしたいと思う気持ちは誰でも同じだが、規則がないと、何をするかは、自分で考えなければならない。
余暇の過ごし方を、情報を集め、それを参考に 「 自分で意思決定を下す 」 タイプ が欧米人には多く、それを苦手とする タイプ が日本人には多い。
私も長年に亘って携わってきたが、日本では有名ブランドの衣料品が珍重され、ノーブランドの商品に比べると、とにかく無条件によく売れる。
これは、顧客の 「 審美眼 」 に自信の無い表れでもあり、「 有名ブランドの服さえ着ていれば、少なくとも恥はかかないだろう 」 という意識の賜物だ。
本来、ブランド・ビジネスとは、品質保証に関する生産者側の 「 誇り 」 を、受け皿となる消費者側の 「 信頼 」 と交換して、成し得るものである。
ところが、日本の場合は 「 自分で何が良いのか決められないので、選択のセンスを代行させる 」 目的で、ブランドに依存する傾向が強い。
ここでも、日本人の 「 自分では意思決定をせずに、何かの指標に頼る 」 という性向が、大きく影響しているようである。
釣りの話、団体ツアーの話、ブランド・アパレルの話を例に挙げたが、既存の価値観、先入観、規則、権威などの 「 呪縛 」 に、日本人は頼りやすい。
インド洋の給油問題を、「 アメリカの言いなりにならず、自分の意志で行動しろ 」 と叫ぶ人もいるが、自分で判断できないのが 「 日本人 」 なのだ。
自民党 にしても、民主党 にしても、「 憲法で決まってるから 」、「 国連で決まってるから 」 と、既存のルールを持ち出すだけで、自分の意志などない。
たまに、安倍前総理のように 「 憲法というルールそのものが正しいのか、一度、、見直そうよ 」 と 「 意志のある意見 」 が出ると、猛反対が起きる。
意志のない国民にとって、正しいか、間違ってるかは問題でなく、「 いままで盲従してきた規則が否定されたら、どうしていいかわからない 」 のである。
赤福餅の偽装問題について、抵触した 「 JAS法 」 は昭和25年に制定された規則で、現在では冷凍技術も進んでいると擁護するブログがあった。
正確には、JAS法は制定後に何度も改定されているのだが、この指摘は正しく、古いルールに縛られるより、現実的な衛生問題を問うべきだ。
ご承知の通り、「 日本国憲法 」 が発布されたのは 「 JAS法 」 の3年前、昭和22年5月3日で、その当時と現在では、世界の様子が一変している。
しかも 「 JAS法 」 と違って、重要な部分や、時代に則さない部分に改定も加えられず、当時 ( 終戦直後 ) のまま、今日まで効力を保ってきた。
そろそろ日本人も、既存の価値や規則に縛られ隷従する習慣を、現状と、将来予測に基づいた 「 自分で考える習慣 」 に、切り替える時期かと思う。
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