2005年02月05日(土) 「雨ニモマケズ」
作:宮沢賢治
雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラツテイル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキ小屋ニイテ 東ニ病気ノ子供アレバ 行ツテ看病シテヤリ 西ニ疲レタ母アレバ 行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニソウナ人アレバ 行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ 北ニケンクワヤソシヨウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボウトヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイウモノニ ワタシハナリタイ
宮沢賢治は好きです。でもちょっとマ○ヒストっぽく(黙れ) 自分を感情に入れないなんて普通無理だし 看病や農家の手伝いは出来ても、病気の人に「大丈夫」何て無責任に言えるほど説得力のある生き方をそもそもしてない。 人には褒められたいし、必要にもされたい。 そう考えると、自分はつくづく俗物なんだなぁ……とか考えてしまいます。
達観した大人(大人をも越えた何か)には勿論憧れるけど、自分には恐らく到底無理な話だろうと。 でも、最後の「サウイウモノニ ワタシハナリタイ」の一文にはちょっと救われます。 宮沢賢治がこの詩の表す様な人物だったかは別にして、 賢治の理想であろう事に変わりはないのだと、勝手に解釈。
理想を追い求める事は、道さえ間違わなければ素晴らしい事だろう。
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