○プラシーヴォ○
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2004年04月26日(月) 広隆寺

所用で、しとしと雨の降る中
京都の太秦へ出かけた


いまどきのワンマン1車両電車で揺られて…


用事が終わり、駅に戻るとき、駅のすぐ横に
広隆寺があることに気がついた


そして、広隆寺の門の横に、な、なんと

にわか仏像ファンの私のあこがれ
弥勒菩薩のポスター(?)が
神々しく張ってあった


思わず広い境内をそろりそろりと
散策し、700円払って弥勒菩薩様のもとへ歩み寄った




平日だし、雨だしということで
恐ろしく拝観者が少ない



2人の女の子が弥勒菩薩様の前で正座をして
(畳がしいてあって、お参りできるようなっている)
熱心に手を合わせている



メガネをかけた20代後半くらいの男性は
荷物を無造作にそばのベンチに放り出して
十二神将をひとつひとつ丁寧に眺めている


背筋をしゃんと伸ばした白髪の老婦が
双眼鏡で弥勒菩薩様を見ている
(コンサートみたい…
 私にも貸してくれ〜!!!)



私の背丈の3倍ほどもある千手観音様が
私たちを救うためのありとあらゆる道具を一つ一つ手にもって
静かに笑ってる


いくら少ないとはいえ
何人かは人間がいるのに

時折、耳がキーンとするほどの静かさが襲ってくる




誰も話さず
誰も動かず


ただ静かに仏様を見て
仏様と話をしてる




この集中力

とても心地がいい



大事に思うものの前では
人間はとても礼儀正しい



だから、
学級崩壊は
生徒が先生を尊敬してなくて
学校を大事に思っていないということそのものなんだろう



くしゃみさえためらうほど静かな空間をつくることができるのに
なぜそれを自分の学習の場で出来ないのか



私は無神論者だった


霊や、未確認物体の存在は信じるけれど
神の存在は信じていなかった


でも、それは確かにいるのだと思った



私たちを救うという名目ではなく、

ただ、存在するんだろうと
今思った



神社やお寺に流れる独特の静かで
清い空気


これはきっと
神様の存在


神様にすがったりはしないけど

存在を否定はしないようにと
今日なぜだか


思った








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