楓蔦黄屋
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2025年03月01日(土) 3倍時計ペタンコ期

SNSの何もかもがイヤになるということはよくある。
時期的なものだ。

あけすけな言葉で表現して万が一知り合いにここが見られたら気まずいのでボカして表現すると
ドラえもんの「1/3時計ペタンコ」と「3倍時計ペタンコ」をそれぞれ貼られる時期があるのだ。
それは1ヶ月の女性ホルモンのサイクルによるもの。

何もかもがイヤになるのは「3倍時計ペタンコ」のほうを貼られている時期だ。
脳にだけ作用するのでフィジカルが3倍になるわけではないのがまた厄介。
実際に3倍で動けたのならこんなにストレスもないと思う。

周りのすべてが1/3に感じるのに自分は3倍では動けないのだ。
ストレス爆発。

1/3時計ペタンコのほうを貼られている時期は心は穏やかだが
もしかしたら今の時期よりも愚鈍になっているだけかもしれないと思うと
どちらがいいのかわからない。
しかし実際は変わらないのだろうから3倍を貼られるだけ損なような気もするが
しかしこのサイクルによって子を授かることができたのもまた事実なので
やっぱりどっちも貼られてていいものなのかもしれない。

恩恵を受けるということは損をするということでもある。
表裏一体だ。

何をしたから幸せになれる、ということがないのと同じに
何をしたから不幸になる、ということもまたない。

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そりゃあ占いをしてもらいたいと思うこともあるよ。

誰か他の人に、自分のことを言ってもらえるのは嬉しいものだ。
そこに自分には知識のブラックボックスを挟まれたらなおのこと。

占うほうは人に今よりも少しだけ良い気分になってもらえたらと思ってやっているわけだし。

しかしながら。
言ってしまえば自分も同じようなお商売をやっているので
どうしても二の足を踏んでしまう。

なぜなら私のお商売は、人に心を寄せてもらって初めて成り立つものだからだ。

私には人を幸せにすることも不幸せにすることもできない。
ただただ自分の経験と技術とを、法則性のもとに人の目に見えるように、人の脳に訴えるように具現化するだけ。
そこから先はお客さんの力だ。
心を動かすのはお客さんの持っている力によるものだ。

で。
私は占いもそうだと思ってしまっている。

少なくとも自分に作用する占い(はたまた何かこういわゆる霊的な何かとか呼ばれる類のもの)は
全部そうだと思っている。

要するに、言われたことに自分から心を寄せてしまうのだ。

そしてそれを、性分的に「悔しい」と思ってしまうのだ。
おそらく占いをしてもらったら、スッキリすると同時にたぶんすごくモヤモヤしてしまうのだ。

だから二の足を踏んでいる。
というか、おそらくやらない。
1/3ペタンコの時期なら気にしないだろうが3倍ペタンコの時期の私はきっと地団駄踏んで悔しがる。

てか前にやったことあるんだ、占いじゃなくてもっと霊的な何か的なほうのやつ。

まったく頭から「そんなもんあるわけねえだろ」と思って参加した。
ただただ施術する人の解説を楽しみたくてやってみたんだがそれも期待外れだった。
そりゃそうだよな。
たとえて言うならノンフィクションが面白い人がフィクションも面白いとは限らないもんな。
それにフィクション歴ならこっちのほうが長いし。よく考えたら。
まあこれも勉強なので別に不満はないです。

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私はオバケ屋敷は怖いし肝試しはイヤだし怖い話もイヤだし夜の学校なんて入れないが
「霊的な何か」全般に関しては「そんなもんあるわけねえだろ」と思っている。
「占い」も基本、そこに入っている。ごめんね。「統計学」とか言われてもなあ。ピンとこないし。

ただ、ややこしいが申し添えておくと
「霊的な何かを見た」「信じられない体験をした」と言う人のこと自体は疑わない。
そういうものを見たのも、そういう体験をした(とその人が思っている)のも事実だ。

ただそれは、「霊的な何か」「信じられない何か」によってもたらされたものでは決してない、と思っている。
人為的にしろ偶発的にしろ脳が見せているにしろ、必ず何か道理がある。
その道理がうまいこと飲み込めても飲み込めなくても、そこにあるのは道理だ。
こうなればああなるよな、という自然の摂理だ。

だってさあ。

小学生だか中学生だかの時に、
「どうして夏と冬があるのか」の理由が「日照時間が違うから」だと知ったときに
ものすごくびっくりしたから。

その、なんつーの、夏とか冬とかそういう人間にはどうにもならないことが、
実は「陽が当たればあったかい」なんていうものすごく当たり前のことが原因で、
しかもそういう理屈って、地球規模になっても変わらないっていうことに
ものすごく感銘を受けたんだもん。

四季があるのはなんかこう色々ともっと複雑な因子が絡み合ってるからだろうし、
世界の各地で寒かったり暑かったり雨降ったり振らなかったり季節が違ったりするのも
色々と理屈はあるんだろうけど、全部当たり前の道理によるものなんでしょ。

でもさ。
「霊的な何か」って多分、その当たり前の道理によるものじゃないんでしょ。
「そういうのを超越した何か」とかそういうものなんでしょ。
道理によったら存在できないわけでしょ。だから「超常現象」って呼ばれてるわけでしょ。

地球みたいなでかいものでさえ当たり前の道理で動いてるのに、
身の回りのことがそれを超えてるわけないじゃん。

「そういうのを信じる人がいる」
「そういう文化が発生している」
っていうのは当たり前の道理としてスッと「そうだね」ってなるんだけど
「そういうのを信じる人がいるのはそういうのが存在するからだ」とはならない。抵抗ある。

だから「幽霊とか信じる?」っていう質問をされるのも嫌いです。
幽霊はいないけど、何かを見てそれを幽霊だと思う人がいるっていう事実はあると思っているから。
そういうの説明すんのめんどくさいから。そんなめんどくさい質問してくる人に。

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3倍ペタンコつけてる時期はこういうことものすごく考える。





楓蔦きなり

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